+ 暮樫言鳥の日常
1.
奇談の奇ということも、人により書物によって固より一様ではない。余りに奇に偏し怪に傾けば、久しきに及んで、厭にならぬまでも、単調に陥る
(柴田宵曲 編『奇談異聞辞典』より)
*
私の話をしよう。
私の名前は
怪異が見えることを除けば、ごく普通の高校生だ。
……え? 怪異云々を差し引いてもお前は〝ごく普通〟なんかじゃない?
なるほど、貴重な意見として拝領したい。
しかし、今は置いておこう。
…………え、まだ何か。ここ出だしなんですけど。
ちょっとあとで。
ええ、好きにして。はい。
*
私の話をしよう。
兄は私について語ると言っておきながらその実、滔々と続けているのはおよそ兄自身の話であった。限られた紙幅で、本当に私のことを叙述していた箇所はほんの一部分に過ぎない。
けっきょく兄は私も含めてまわりのことなど何も見えてはいないのだ。
度し難い愚兄である。
擁護のしどころがまるでない。
*
思えば兄は昔からそうだった。
兄としての立場を強調するわりに、私のことなんて少しとして見てくれていない。
そしてあの暮樫の家にあって、自分は怪異に遭ったことがないのだと言う。
火の玉は見えないしあの世からの呼び声も聞こえないと言い張る。
それはまだいいとしても、見えないなら見えないなりの振る舞い方があるだろうと思うのだが、愚かなことに、ひとたび怪異在りと知れば私の抑止も聞かず万事ことごとく首を突っ込みたがるのがあの兄であった。
しかも、私がどれだけ気苦労をかけさせられてきたかということにはとんと思い及んでいないとくる。
いい加減にしてほしい。
その癖、私が危機的状況にあると必ず駆けつける。
気づけばいつも私の傍らに立ち、怪異と対峙している。
自分はそこにあるものが何かも、見えていないというのに――。
あれはずるい。
些か心臓に悪い。
有り体に言えば、ちょっときゅんとくると言うか……。
ああいやいや、そういう話ではない。
そういう話では、ないのだ。
*
兄は私が高校で上手くやっていけるかどうかを随分気にしていた。
まったく要らぬお節介だ。
差し出がましいにもほどがある。
ひとのことをどうこう言う前に、まず自分の心配しろと言いたい。
確かに中学時代の私は周囲の人間に対してどこか壁をつくっていた。
それは事実だ。
だけれども、それもすべては怪異を引き寄せやすい私たち兄妹の体質故のこと。
無理解な人間が近くにいても、互いに望まない軋轢を生むだけである。
ならばはじめから、他者とかかわりを持たなければいい。
人間関係は最小限でいい。
兄と私さえいえればそれでいい。
そう思っていた。
あの頃は、まだ。
しかし私も少しは成長したのだ。
いまや私にだって友人の一人や二人はいる。
いつまでも昔のままの私ではないのだ。
*
これから語るのは、兄の話ではない。
妹の、私の話だ。
高校で私に友人ができるまでの話だ。
つまりは、私の友人の話だ。
私が、友人について話す話だ。
*
「――言鳥ってさ、マジでお兄さんの話しかしないよね」
言いつつ
「ああ、ほんとそれ」
と応じる
高校の中庭。
ベンチに女子三人。
だらっとした空気が流れている。
四月下旬の昼休みの一幕であった。
*
「え、そんなことないし!?」
友人二人の思わぬ反応に、私は即座に否定の言葉を重ねた。
私は今自分自身の話をしているのだ。
兄のことを話したのは、あくまでその前座でしかない。
それが伝わらなかったのなら残念だ。
とても残念だ。
「いや、あんたがお兄さん大好きってことは嫌と言うほど伝わってきたから」
と返した詠宇は伸ばしっぱなしの髪を軽く掻き上げ、鋭くとがった瞳をこちらに向けた。
一見ガンを飛ばされているとしか思えないそれは本人にその気はなく、まったく生来のものらしいが、その視線に込められた冷ややかさは間違いなく意図されたものだった。
「だ、だから、私は、そんな話は、していない」
詠宇の目力に負けじと私は強く反論する。
しかしそんな攻勢もむなしく、
「はいはい」
「相変わらずの自覚無しね」
と詩華も加わって適当にあしらわれる。
詠宇はミルクティーひとパックを飲み切ってやや所在なさげであった。
詩華のほうはまだスマホをいじっている。
「だから――」
と私は続けて抗議しようとするが、
「ブラコンも、ここまで来ると、重症ね、……あ、一句出来てしまったわ」
などと、詩華は私を何かの患者扱いしてくる上に言葉遊びの題材に供する。
そしてなおスマホ画面から目を上げようとしない。
何だと言うのか。
*
「……ところで詩華」
私は終始無表情を貫く詩華に問いかける。
「なあに」
「そのずっといじってるスマホ……、もしかして、私のじゃない?」
「え、そうだけど?」
詩華は平然と言い放つ。
彼女の眠そうな双眼の見る先は、依然じっと画面に落とされたままだ。
「そうだけど――じゃないでしょ! なに勝手に見て……!」
「だって言鳥、さっき見ていいかって訊いたら『好きにして』って言ったじゃない?」
「なっ、私はそんなこと――」
――言った気がする。
はい、言いましたね。
「いやだからって……!」
「しかしこの画像フォルダ、お兄さんの写真ばっかね。イケメンだけど」
「あっ、ちょっと!」
「へえ、あたしにも見して」
と横から詠宇が覗き込む。
「うわあ、マジだ。てか、これ心霊写真多すぎじゃね」と、詠宇。
「写ってる本人がそれに気づいている様子が微塵もないというのが、また何とも」と、詩華。
「って、このアングルどうやって撮ってんの? ドローン?」
「この写真なんか明らかに盗撮では」
「でも、この高さは人間が素で撮れる位置じゃ……あ、もしかしてこれも何か霊的な奴の力を借りて?」
「能力の公私混同では」
交互に無遠慮な感想を口にする。
「ああああっ、もうっ!」
私は詩華の手からスマホをひったくった。
何故この私がいじられキャラのような扱いを受けなければならないのだろう。
何がどうしてこうなったのか。
私の高校生活、こんなはずではなかった。
そう、こんなはずでは。
私はどこで間違ったのか。
――思えば、遡ることおおよそひと月前。
私が今の学生寮へとやって来た日。
あの日からすでに歯車は狂い始めていたのかもしれない――。
*
時季は春休み。
中学から高校への移行期間。
先月末、三月最終週の日のことだった。
「さあ、ここが君が今日から暮らす学生寮だよ」
私の隣に立って叔父は言った。
目の前には小型のビルディングのような簡素な建物。
それは通う高校からそう遠くない、ごく一般の住宅地の中に建っていた。
「え……? 私は兄さんと同じアパートがいいとお願いしたはずなんですけど……」
私は叔父に不満を述べる。
「そうは言ってもだね言鳥ちゃん。この寮は学校指定の施設のひとつだし、管理人さんだって私の知り合いでとても信頼できる方だ。暮樫家のあれこれにも理解がある。条件としては申し分ないと思うよ」
私のほうを覗き込むようにして、叔父は尋ね返す。
叔父は無駄に長身である。
私の目線に合わせると、自然と大きく背を曲げることになる。
確かに彼の言い分はもっともだ。
しかし私が言いたいのは、そういう問題ではない。
「それにだね、大事な姪っ子をあんなボロアパートに住まわせておくわけにはいかないからね」
兄はそのボロアパートにもう一年近く住まわされているのだが。
というか、兄を問答無用であのアパートに放り込んだのは他でもない叔父だったではないか。
「
「またそれですか」
何かにつけるとすぐ〝修行の一環〟だ。
それは叔父が兄の事情を説明する際の常套句だった。
そもそもその修行方針からして、私は一度も賛成した覚えはない。
もやもやした気分を抱える私に対し叔父はやや困ったふうに笑ったが、
「――そうだね、本当のところを言えばだよ言鳥ちゃん」
「何がですか」
「まあ落ち着いて。君と或人君、同じ敷地の中に暮樫の人間が二人も揃って長期間暮らしてみたまえ。怪異を引き寄せる強力な磁石を放置しておくようなものだよ」
「それは……」
そうなのだが。
暮樫家の一族の者は、そこにいるだけで怪異を引き寄せる。
そのため、学校等では私はあまり兄の近くに居続けることができない。
できないことはないが、のちのち面倒なことになる。
暮樫の家がある地域でならともかく、不特定多数の人がいるところで不穏な事態は避けたい。
――が、それでもあのアパートに兄を一人にさせておくよりは、よっぽどマシだと思えた。
「君たち兄妹が里から離れた都市部の――、それも同じ学校に通うというだけでも、関係各所といろいろ調整を要したんだ。それが分からない――、君ではあるまい?」
そう言って叔父はにっこりと微笑む。
取って張り付けたような、造り物めいた笑みだった。
この叔父の持って回った言い回しが、私は嫌いだ。
*
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