6.
春休み最終日のその日。
五筒井さんは、図書委員会の仕事で学校に出てきていた。新入生を迎えるイベントに向けての作業があったためであった。今年は生徒会が大掛かりな新入生歓迎イベントを企画しているらしく、図書委員会もそれに協力するかたちで昨年度からいろいろと準備を重ねていた。
委員会の仕事自体は滞りなく進んだのだという。しかし、最後のミーティングが思いのほか長引いてしまい、帰る頃には辺りは既に暗くなり始めていた。
季節は卯月上旬。暮れ時の風はまだまだ冷たい。委員会解散後、五筒井さんはやや気急ぎに校舎を後にしようとしていた。
そして、校庭の桜の木の前を過ぎようとした――そう、例の老いた桜の木だ――そのときであった。
怪しい風が吹いたのだという。
ざわざわと落ち着かない心地を彼女は覚えた。
――〈何か〉に見られている。
何故、突然そのように感じたかは分からない。
ただ漠然と感じたのは、心細さ。
見知らぬ土地にひとり取り残されたような、底冷えする水の中に沈んでいくような……そんな心象。
誰かに側にいてほしかった。
いつも隣にいる幼馴染みは今はいない。
そして一度そのことを意識してしまうと、いっそう強い孤独感に襲われた。
瞬間。
ぞくり、とした寒気に思わず振り返る。
背後には暗がりにそびえ立つ校舎。黒々とした大きなコンクリートの塊。
見馴れた筈の建物が、そのときは異様に不気味な物体に思えた。
ふと、高所から何者かの視線を向けられている気がした。
おそるおそる、屋上を見上げた。
そこには――青白い人影があった。
視界に遠く浮かび上がるのは、一人の女性のシルエット。
髪が長い、若い女性であった。
ロングドレスが夜風にはためいていた。
夕刻。かなり距離があるにもかかわらず、確かに「若い女性」と分かるのが不思議であった。薄闇の中で、その女性の立っている周囲だけが、ぼうっと光を帯びているように見えた。
女性の影を認めたと同時に、五筒井さんの脳裏に思い浮かぶ記憶があった。
それは、この高校に伝わる〝学校の怪談〟。
そのうちのひとつ、「屋上の幽霊」の話。
曰く――学校の屋上に女の幽霊が出る。
それは過去にこの学校で自殺した女の霊で、屋上の縁に立ち虚ろな表情で校庭を見下ろしているのだという。女の手には青い火の玉が灯っており、その姿を見てしまった者はあの世に引きずり込まれるだとか、運よく逃れたとしても原因不明の熱病に冒されやがて死に至るのだ、と――。
*
はっとして気づく。
視線。
こちらに向けられた視線。
いま、屋上の人影が見つめているのはまさしく自分だ。そう思った。
女の影が青くゆらゆらと揺らめく。その像は今にも闇に溶けてしまいそうな程不鮮明なのに、そこから発せられる視線が自分を凝視していることだけははっきりと感じ取れた。
――あれは日常の存在ではない。
あの世のもの。
此処にいてはいけないもの。
幽霊だ。
屋上の幽霊だ。
そこに思い及んだとき、幽霊が突如として高笑いを始めた。一瞬、恐怖に頭が真っ白になりかけたが、
それから数十分後。
五筒井さんは
怯える五筒井さんに対して、布津は「こういう時に頼るのはまず親だろうよ」と軽く毒づいたが、そう言いながらも涙目の自分を静かになだめる布津に、五筒井さんは心身の緊張が解きほぐされていく安堵を感じていた…………。
*
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