10.



「どんな曲が聞こえているのかって、そんなの決まっているじゃない」


 三年生らしき女子部員の一人が何故か自信たっぷりに答えると、


「そうですよね! もしかしてキミ、曲の名前が分からないからってわざと聞こえていない振りをしているのじゃない?」


 恐らくは二年生であろう女子が僕にあらぬ疑惑を向けてきた。とんだ濡れ衣ではあったが、僕以外の全員が聞こえているのだ。そのように思われても仕方がないことではあるかもしれない。すると、その隣にいた小柄な女子部員が、


「あのえっと、言いづらいんだけど、実は私もなんの曲だったかなってずっと考えてて……メロディはよく知ってるのだけど……」


 と、消え入りそうな声で告白した。


「あら、なんだ。そうだったの?」


 ピアノの怪音が原因で音楽室を追い出されていながら、部員たちの間でもその曲に共通了解があったという訳ではなかったようだ。


「……で、結局なんだっけ、この曲」

「え、お前も分かってなかったのかよ」

「だから……それはあれじゃん、あれ」

「なんだ」

「ほら――『ねこふんじゃった』!」


 二年生とおぼしき女子部員が得意満面に曲名を挙げた。しかしそれに対して別の部員の男子が、


「――は? いやいやいや、『トルコ行進曲』でしょ」


 と言ったかと思うと、また別の部員が、


「何言ってるんですか! ブルグミュラーの25の練習曲がランダムで流れてるじゃないですか! うち、ピアノ習ってたときに繰り返し弾かされたから間違いないですよ!」


 と、重ねて異議を申し立てた。

 そこから先は泥沼であった。


「あれっ、これって『きらきら星』じゃないの?」

「……俺、ずっと校歌の伴奏が聞こえてると思ってたんだけど」

「えっ、それはない」

「あの……私は『子犬のワルツ』かと……」

「ええーっ、噓でしょ!?」

「嘘じゃないですよぅー」

「おいおい落ち着けって」

「でも校歌はないわ……いやないわー」

「あぁっ?」

「先輩たちこそ落ち着いてください!」

「いやあ、あるかないかで言ったら、『きらきら星』だって……だいぶないだろう」

「なんですとー! 『きらきら星』馬鹿にスンナしっ!」

「前から思ってましたけど、先輩の音楽センスは少しおかしいっすよね」

「え、ここでその話しちゃう?」

「というか、ちょっとピアノ習ってたからって何だって言うんだ。てか、ブルグミュラーってなに」

「ピアノなら私も習ってたんですけどなにか!?」

「ええ、あの、ちょっとみんな……! もうっ、こんな時にうちの顧問はどこに行ってるの……」

「いない奴の話をしても仕方ないだろ!」

「ふええ……」


 前言撤回。

 この人たち、全然協調性ない。



                  *



 合唱部員たちの証言にはまるでまとまりがなかった。


 個々人によって聞こえている曲が異なる――。


 それに部員同士が気づいてしまったのが、また不和の火種となった。曲名の確認をしていた筈がそのうち言い争いになり、次第に話題はピアノの件から離れていった。果ては個人の音楽の嗜好や部活内での不満、愚痴のぶつけ合いへと移行し、もはや部外者には何の話をしているのかもよく分からなかった。それも暗がりの中でのことであるので、傍で見ているだけでは誰が誰に対して発言しているのかさえ判然としない有様であった。

 とてもではないが、収集がつけられそうにはなかった。一介の生徒会代理が担う業務の範疇を完全に逸脱している。ジャンルが違う。直面している事態に対し、より適切な人材を求める。灰色の脳細胞を持つ高校生探偵か、学園を裏で牛耳る番長か、もしくは必要以上の使命感に燃える風紀委員か……何かそういう存在の招来をお願いしたい。例えば古典部員、あるいは奉仕部員でもよい。

 兎に角、僕の手には余る。



                  *



 どうしたものかと途方に暮れかけていたとき、布津ふつが「あれ、そういやいつの間にかピアノの音、聞こえなくなったな」と言った。


 好機であった。怪異(らしき)現象がなくなったのであれば、長くこの場に滞留する理由もない。僕と布津は喧々諤々と言い合いを続ける合唱部員たちに気取られぬよう、しずしずとその場を離れたのであった。


 しかし一見して仲がよさそうに見えた彼らが、ピアノの音ひとつでああも容易く決裂してしまうとは……。音楽性の違いとは斯くも恐ろしいものなのか。いまはただ、合唱部がせめて新歓イベントまでは存続していることを祈るのみである。

 まあ、怪異の体験談自体の採取はできたので今回はよしとしたい。そういうことにしておこう、うん。



                  *




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