8.



 調査対象のひとつ、音楽室に向かっていたとき。次の現場で本日分の調査も切り上げ時かなと、そのように思っていたタイミングでのことであった。


「――ん。或人あると、何か聞こえないか」


 なお暗闇に閉ざされた廊下で、布津ふつが告げた。


「え? 誰かの悲鳴とか逃げる足音とかならそろそろ聞き飽きてきたんだけど」


 校内では怪異の目撃事件が同時多発的に起こっていた。そのたびにあちらこちらで遭遇者たちの叫び声や逃げ惑う音が反響した。まるでシーズン盛りのお化け屋敷の中にいるように錯覚された。



                  *



 廊下をただ歩いているだけで、怪異目撃情報が舞い込んできた。しかも、数分から十数分間隔で、である。

 どう考えても異常事態なのだろうと思う。そしてそれらを調査し聞き込みをするのが僕の役目ではあるのだが――ここまでの頻度となると、逐一取り上げている余裕もなくなってくる。


「いや、それじゃなくてな……ああ、叫び声が頻繁に聞こえてくるのも本来ならじゅうぶんにおかしいんだが、そうでなく……そう、ピアノの音みたいな……」


 音楽室の近くで聞こえるのなら、それはピアノの音なのでは?

 そう訊き返そうとした。

 が。

 ちょうどそこで、暗い廊下の少し先にうろつく人影が目に入った。どうやら生徒男女数名がたむろっている様子であった。音楽室の前に全員で固まり、少し開けた扉の隙間から室内を窺っていた。


「どうしたんですか?」

「えっ……あ、ああそれが――」


 僕は彼らの後ろから訊ねた。

 このパターンのやり取りも今日で何度目になるだろうか。幾ら繰り返しても対人交渉は苦手である。やや気が滅入りそうになるも、これも怪異探求の代償と割り切るしかない。



                  *



 さて。

 聞けば、彼らはみな合唱部の部員ということであった。部員たちが代わる代わるに語った話を要約すると、それはおよそ以下のようなものだった――。


 放課後。

 合唱部はいつものように練習に励んでいた。活動の最中に急な停電に見舞われるというアクシデントもあったが、新歓イベントでの実演披露を控えていたこともあり、部員たちは構わず練習を続けたのだという。停電以外は際立った問題もなく、練習は通常通りに進められた。

 そして、明かりのない音楽室で練習を継続すること数十分。

 暗い教室にも慣れてきた頃――。


「あれ、ピアノの音がする」


 部員の一人が言った。

 ピアノの音――。

 音楽室にはグランドピアノが一台常置してある。しかし部活では備え付けのオーディオ機器を使用していた。ピアノには誰も触れていない。


「あ、ホントだ。いったいどこから……」


 かねてよりの豪雨で窓は締め切っていた。少なくとも、外からの音ではないことは明らかだった。しかし、音は確かに室内で発せられていた。考えられるとすれば、教室のグランドピアノくらいだが……やはり奏者は不在であった。

 動揺する合唱部員たち。

 その間にもずっと、彼らの耳には正体不明のピアノの旋律が響き続けていた――。




                  *



 ピアノの音を聞きながら、合唱部員たちは思い出していた。

 音楽室に伝わる怪談――。


 夜、音楽室のピアノが勝手に曲を奏でる。

 誰もいない音楽室からピアノを弾くのが聞こえる。


 音楽室は通常、合唱部と吹奏楽部とで持ち回りで使用していた。その怪談は両部の部員たちの間で、まことしやかに語られ続けている話だった。


「そういえば、私……吹奏楽部の子から聞いた気がする……春休み中にも同じようなことがあったって……」


 女子部員がぽつりと呟いた。


「そ、それを言うなら、俺も吹奏楽部スイブの奴から聞いたことあるぜ。この音楽室には自殺した音楽教師の幽霊がいて、夜な夜なピアノを弾くんだ、っての……」


 男子部員が言い重ねた。

 その怪談自体は他の合唱部員もみな耳にしたことがあり、しかしいままでそれらしい現象も起きず、どういった幽霊なのかという具体的な由来もなかったために、ほぼ忘れかけられていた話であった。

 しかし一度そういうふうに言い出すと、そうとしか思えなくなってくる。

 自分たちが普段使っている空間でいま、幽霊がピアノを弾いている……。

 その事実が、部員たちを戦慄させた。


「ま、まさか本当に幽霊が……」


 そのうち、恐怖に耐えられなくなった部員がひとり、音楽室を飛び出した。それを切っ掛けに、全員がわっと雪崩打って廊下にまろび出てしまったのだった――……。



                  *



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