第29話 浮上する戦艦

 ドオオオオオン!


 状況を理解できたときには、もう遅かった。

 蠅の王ベルゼブブの槍は、闇魔法粒子の高密度な結晶である。粒子を集結させることができるなら、その逆もできるのではないだろうか。


 ゆっくりと沈んでいき、海底に到達した漆黒の槍。

 それは闇魔法粒子を撒き散らしながら大爆発を引き起こし、紫の光が海底を覆う。強烈な海流が私たちを襲い、流された。


 敵はこの爆発で私たちを無理矢理海中から引き出すつもりだ。

 闇魔法粒子の進行方向が操作された爆発で、海底にあるものを全て空中に上げる。こうして私を海中から敵の有利な空中戦に再び戻したいのだろう。


 海底へ並ぶように沈んでいる戦艦も、この爆発に押されて海上へ高く吹き飛ぶ。重量が何トンもあるはずの戦艦が、まるで紙のように――。

 同時に大量の水飛沫も上がり、私たちの上に巨大な虹がかかる。戦場には似合わないほど綺麗だ。


「どコだ、どこにイる、魔法少女ォ!」


 蠅の王ベルゼブブは海上に舞い上げられた物体を一つ一つ観察していた。巨大な目玉をギョロギョロと動かし、自分の獲物である魔法少女を探す。


 上空に吹き飛んだ戦艦。

 私はその船体に張り付いていた。敵の視界から隠れるように――。

 爆発による急流で、運よく敵の死角となる場所に流れ着いたのだ。そのまま戦艦とともに浮き上がり、身を潜めている。


「はぁっ……はぁっ……」

「どうする、小夜子」

「アイツのことだから、このまま逃がしてはくれないわよ」

「じゃあ、どうするんだよ」


 やがて空中に上がった戦艦は下から押し上げられる力を徐々に失い、ゆっくりと下降する。


 そのとき、私の目は捉えていた。

 蠅の王の手に、再び槍が形成されていくのを――。


 再び海中に逃げたところで、アレの爆発で再度私たちを引き上げるつもりだろう。


「ほら、またアレをやるつもりよ」

「海中には逃げられない……か」


 圧倒的速度差。

 このまま飛翔魔法で離れても、敵はすぐに追い付いて来るほどの能力を持っている。ここは遮蔽物のない海の上。


 つまり、私に残された道は――


「ねえ、ハワド」

「どうした、小夜子?」

「聞いてなかったんだけど、反魔法甲殻って、弱点とかはないの?」

「まさか、アイツとやり合うつもり――」

「いいから教えて。甲殻の特徴だけでもいいから!」


 どうにかしてヤツを撤退させるしかない。

 例え、倒せなくても足止めできればそれでいい。


 ただ、それをするには情報が少なすぎる。

 些細な情報でもいい。ハワドが知っている情報に敵の弱点と言えるものが含まれていれば――。


「特徴かぁ……反魔法甲殻っていうのは、本来の甲殻の上に特殊なコーティングをすることでできあがる」

「コーティング? つまり、アイツの甲殻は二層構造ってこと?」

「そうなるな。上段が魔法を弾く甲殻。下段が銃弾やらを防ぐための甲殻ってことさ」


 ――つまり、上段の甲殻さえ消えれば勝機はある。


「分かった。ありがとう」

「お、おう」


 私は何本もの光剣を召喚し、遮蔽物としていた戦艦の装甲を切断した。長方形に切り出し、さらにそれを棒状に造形していく。


「な、何をするつもりだ、小夜子?」

「即席の武器だけど、本当の甲殻に到達できれば……」


 厚い装甲を光剣で削ってできたのは、剣状の鉄塊。

 本当の剣や刀と比べると見た目も性能も悪いが、今はこれでいい。


「行ってくる」


 私はそれを握り、蠅の王ベルゼブブに向かって飛び出した。

 浮き上がっていた戦艦は再び海面まで下降し、巨大な水飛沫を上げる。私はその飛沫に混じって飛翔魔法を全力展開し、敵との距離を一気に詰めた。


「見ツけたぞ! 魔法少女!」

「はああああっ!」


 敵は得物の槍を握り直すと、私に向かって突き出す。


 しかし、それは魔法攻撃だ。

 飛翔魔法と同時に展開させていた私の光剣をぶつけ、その矛先を逸らす。


「うらああああっ!」


 私は握っていた即席の武器をヤツに向けて振り下ろした。

 魔法少女特有の身体強化魔法を使った渾身の一撃。切れ味が悪くても相当な威力があるはずだ。


 ガギィィン!


 その攻撃は、蠅の王ベルゼブブの腕によってガードされる。

 とにかく硬い。

 これが蠅の王ベルゼブブの甲殻の本来の硬さなのだろう。一撃を放った反動で、ビリビリとした衝撃が体の芯まで響く。


「そんな攻撃でワタシを斬れルとでも思ったカァ!」

「思っちゃいない。だけど――!」


 鉄塊がぶつけられた部分――敵の腕には透明なひびが作られていた。

 これが魔法を弾くための特殊コーティング。

 それさえ破壊できれば――!


「はああああっ!」


 私はさらに鉄塊へ力を送り、甲殻の上に貼られたコーティングへ自分の武器を押し付ける。バキバキとガラスのようにひびが広がっていき、細かな無色の破片が海上へ落下していく。


「ア、反魔法甲殻アンチマジッククラストが……」

「穴は作った。後は――」


 私は鉄塊を敵の腕から離し、同時に光剣を召喚してひびの広がった甲殻へと刃を入れる。


 そして――


 ブシャアアアッ!


 魔法を弾くコーティングが消えた腕は、光剣によって簡単に切断された。

 切断面から噴出する黒い血液。


「腕がアアアアっ! ワタシの腕がアアアッ!」


 蠅の王ベルゼブブ刈者リーパーが初めて味わう魔法攻撃。

 その痛烈な感覚に、絶叫が止まらない。魔法攻撃とはこんなにも痛いものだったのか、と。


 海へ落ちた腕は波の中に消えていった。


「魔法少女ォ! 貴様ァァァッ!」


 槍を構えた敵は、再び私へ襲いかかる。


 しかし、今の蠅の王ベルゼブブは腕を失ったことで体重のバランスが崩壊した状態にある。加えてヤツ凄まじい痛みを感じている。これまでの攻撃のように、速度に精密さが伴わない。ただ速いだけの乱雑な攻撃など、何度も戦闘を経験した私にとって避けるのは簡単だった。敵の攻撃が切り裂くのは、何もない空間だけ。


 敵が繰り出した槍の突きを回避。

 私はそのまま敵の懐に入り込む。今度は鉄塊を胸元に叩き付けた。

 強烈な打撃によって、鏡のように砕ける上層甲殻。

 そこへ間髪容れずに光剣も突き刺す。


「ク、クソオオオオッ!」


 剣山のように何本もの剣が突き立てられた胸。

 普通の魔族なら絶命しているであろうそれでも、蠅の王ベルゼブブ刈者リーパーは倒れない。


「なかなかしぶといわね、蠅の王ベルゼブブ!」

「上級魔族を舐めルなァ! ワタシはこのくラいでは倒れん!」


 ヤツがそう言い放つと、持っていた槍を放り投げる。


 そして――


 ドオオオオン!


 強烈な紫の閃光。青一色だった空を紫色に染め上げる。

 再び槍が爆発を引き起こし、闇魔法粒子を伴った強烈な爆風が周辺を襲う。私はそれに流され、海面に叩き付けられた。


 そのとき、爆風に吹き飛ばされながらも、私の視界は捉えていた。

 蠅の王ベルゼブブ刈者リーパーが紫の光を放ちながら遠くへ逃げていくのを――。


 この爆発は目くらましだ。今の状況が自分に不利だと判断し、撤退を選んだのだろう。


 遠ざかる流星。

 爆風と光が消える頃、それも完全に見えなくなっていた。


「おうい、小夜子!」


 遠くに退避していたハワドがふわふわと寄ってくる。私は波にプカプカと揺られながら海面を漂っていた。


「やったぞ! あの蠅の王ベルゼブブを撤退させたんだ! こいつぁ、偉業だぜ!」

「でも、止めを刺すことはできなかったわね……」


 何だか、どっと疲れが出た気がする。

 瞼が重い。腕に力が入らない。

 魔法少女は睡眠や老化などの生物的機能を止めることができるとはいえ、今回の戦闘で体に負担がかかりすぎた。今すぐに休息したい。眠りたい。


「小夜子、疲れたのか?」

「うん……」

「でもよ、海に浮きながら眠るのはまずいって」

「ごめん、限界……」


 波に揺られている感覚が気持ちいい。ゆらゆらと。ゆったりと。


 波によって、私の意識は海の中へ溶けていった。

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