第2話 崩れる日常
「ただいま、母さん」
「あら、おかえり小夜子」
私は高校から帰宅して玄関で出迎えてくれた母に声を掛けた。私の家は極普通の一戸建てで、日本全国どこにでもあるような家に住んでいる。専業主婦の母に、サラリーマンの父――絵に描いたような一般家庭だ。
「今日の面談、どうだったの? 好きな大学には行けそう?」
「うん、『今の成績なら問題なさそう』って先生が言ってた」
「それなら良かったじゃない」
当時の私は受験を来年に控えており、友達も同級生はみんな大学選びと受験勉強に集中している。みんなはけっこう学力を上げようと苦戦しているみたいだけど、私の場合はうまくいっているような感じがしていた。
* * *
私は寝室で服を着替え、夕飯を食べるためにキッチンへ入った。
キッチン中央に置かれたテーブルには、2人分のコロッケとポテトサラダが置かれている。
「あれ? 私以外にも夕飯を食べてない人がいるの?」
キッチンの壁に掛けてある時計を見たら、時刻は午後8時を回っていた。
普段、この時間なら私以外の家族は全員夕飯を済ませているはずだ。それなのに、私以外の1人分が余っている。
盛られている食器の柄からして、私の妹である
「あれ、母さん。
私の2歳年下の有紗は、いつもこの時間には高校から帰宅して寝室で勉強しているはずだが、今日は姿が見当たらない。
何かあったのだろうか?
「今日はまだ帰っていないのよ。連絡も無いし、心配だわ」
「ふーん、部活が長引いてるんじゃない?」
私はテーブルの上に置いてあったリモコンを手に取り、テレビを点けてニュース番組へチャンネルを変える。
大学受験の小論文で時事に関することを書かされる可能性があったため、私は世間で流れる情報に敏感になっていたのだ。
《今日の日本時間で正午、イラク軍とアメリカ軍は、合同で謎の生物が占拠する地域へ空爆を行ったが失敗に終わった、と発表しました》
スタジオの男性アナウンサーが、真剣な表情でそう語っていた。
《この問題は先月頃から一部の中東地域に謎の生物が出現し周辺住民へ危害を与えているというもので、これまで多くの国家軍が占領された地域の奪還作戦を繰り広げましたが全て失敗に終わっています。今回の失敗を受けてアメリカ国家安全保障局の官房長官は「今後はさらなる人類の団結力が必要だ」とコメントしています。
また、今回の騒動で日本にも影響が出始めています。石油の採掘基地が謎の生物によって占拠された影響で石油の値段が世界的に高騰、その他鉄鉱石や天然ガスの価格にも大きな影響を及ぼしています。
周辺地域の観光業にも影響が出始め、先月に発生した謎の生物の襲撃による旅客機落下事故を受けて、中東地域でのツアーのキャンセルが相次いでいることが旅行会社への取材で分かりました》
「謎の生物かぁ。どんな生き物なんだろ?」
このとき、私にはその問題の実感が湧かなかった。謎の生物が出現しているのは日本から離れた地域だったし、その影響を感じるような出来事も無かったからだ。
テレビや新聞で伝えられるのは、その生物たちをかなり遠くから撮影した写真・映像ばかり。黒い点々が荒野をちょこちょこ移動しているようにしか見えない。
「軍隊を撤退させるなんて、そんなに強いのかなぁ?」
私はそんなことを考えながら夕飯を口へ運び始めた。
そのとき――
プルルル……!
我が家に電子音が鳴り響く。廊下に置いてある固定電話が着信を知らせていた。
「もしもし、桐倉です」
電話に出たのは母だ。
「はい……はい、そうですが……そんな……」
母の声は徐々に小さくなる。
電話の内容が《良いことではない》という想像することは容易だった。一体、誰と会話しているのだろう?
「はい……分かりました……すぐに伺います」
母はそこで電話を切った。「すぐに伺う」? これからどこかへ出かけるのだろうか?
「うっ、うっ……」
私はキッチンで食事をしており廊下の様子は見えなかったが、母の声は泣いているように聞こえた。
「母さん? どうしたの?」
私は食事を中断して母のいる廊下へ向かう。母は電話の近くに寄り掛かり、右手で顔を隠していた。
「何があったの?」
「小夜子、今すぐ2階からお父さんと
「病院? どうして?」
「有紗がね……誰かに殺されたらしいの……」
これが我が家の不幸の始まりだった。
* * *
有紗が死んでから1週間が経過した。
有紗の死因は首の動脈を何者かによってナイフで切られたことによる失血性ショックだった。服装や荷物に荒らされた形跡はなく、強盗や強姦が目的の殺人ではないらしい。
今、世間を騒がせている「少女連続殺人事件」と同一犯による犯行という線が濃厚だった。
殺人現場となったのは夕方の公園近くの茂みで、当時は薄暗かったため目撃者はほとんどいない。犯人の捜索は難航するだろう、というのが警察の見解だ。
「どうしてあの子が……」
母は葬儀でそればかりを口にしていた。
私もどうして有紗が殺されなければいけないのか見当がつかない。彼女は温厚な性格で、誰かから恨みを買うなんて考えられなかった。
一体、誰がこんな酷いことをしたのだろう……?
有紗の葬儀には彼女の友達や、私の友達、弟の悠太の友達など、たくさんの人が訪れた。葬儀場の前ではマスコミ関係者が訪れた人にインタビューをしている。
「どうして殺されたのか全く分からない」
「恨みを買うような子じゃなかった」
インタビューに応えた人間もこんなことを言っていた。
有紗が死んでから1週間、母と父の顔色はずっと悪いままだ。
娘を失った悲しみのせいだろうか。
私はそんな風に思っていた。
しかし、それだけが理由ではなかったと、後から思い知ることになる。
この出来事はこれから起きる惨劇の序章に過ぎなかったのだ。
* * *
有紗が死んでから2週間が経過し、私は彼女の寝室で遺品の整理を行っていた。有紗との思い出の品を手に取り、感傷に浸りながら分別を進めていく。
そのとき、母が扉を開けて寝室を覗いてきた。
「小夜子、買い物行ってきてくれないかしら?」
「えっ!」
そのとき、私は母の顔を見て驚いてしまった。
彼女の肌はまるで死人の様に蒼白で、棺の中の有紗の顔を彷彿とさせたからだ。
「ちょっと、母さん、大丈夫?」
「え?」
「顔色、すごく悪いよ?」
「うん、ちょっと調子が悪くて。お父さんも熱があるみたいなの。だから、代わりに買い物頼めるかしら?」
「分かった。買うものをメモしておいて。私が行ってくるから」
私は母から買い物メモを受け取った。
「ん? 気のせいかな」
「どうしたの、小夜子?」
「いや、何でもない」
そのとき、一瞬だけ母の目が不気味に変色した気がしたのだ。
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