第7話 広がる戦火と犠牲の夜

 大規模な火災によって、街はその炎が発する光に包まれていた。太陽はすでに沈んでいるが、まるで夕日が残っているかのように明るい。


「小夜子! 飛翔魔法を使うんだ!」

「え?」


 私が大火の方向に走っていると、横で浮いているハワドが叫んだ。


「飛翔魔法?」

「ああ! 飛翔して、上空から敵の正確な位置を掴むんだ!」

「ど、どうやるの?」

「翼をイメージして、『光よ、我に力を』って唱えるんだ!」

「ひ、光よ、我に力を」


 次の瞬間、私の体は軽くなり、ふわふわと宙に浮き始めた。


「え!? 何これ!?」


 自分の体を見渡したところ、どうやら背中に白い翼のようなものが形成されているのが分かった。そこから細かな光る白い粒子が溢れ、私の体を照らす。


「今、お前の背中には魔力によって翼が形成されている。お前がイメージしたように飛んでくれるはずだ」

「わ、分かった!」


 彼の言うとおり、その翼は自分の思うがままに動いてくれる。広大な街を見渡せるほど高く上昇し、多くの魔族がいる街の中心へと一気に加速していった。


     * * *


「な、何よ、あれ?」


 上空から見える、大火から逃げ惑う人々。スーツを着たサラリーマン、学生服の子どもたち。

 多くの人間が血だらけになりながら、必死の形相で街から離れようとしている。


「きゃぁっ!」

「く……来るなァ!」


 それを追うのは、何体もの死神たちだ。体のサイズに似合わないような俊敏な動きで、次々と人間を爪で裂き、突き刺し、強靭な顎でゴリゴリと噛み砕く。


 道路には人間の細かな肉片が散乱しており、黒いアスファルトは真っ赤に染まっていた。灰と血の臭いが周囲に漂い、地獄とも言える状況だ。襲われている人々を助けようにも、敵の気配や怪我人が多過ぎてどこから手をつけていいのか分からない。


「酷い……」

「おい、小夜子! あそこを見ろ!」


 ハワドが耳元で叫ぶ。彼は遠くに向かって指差しており、私はその先を凝視した。


「何よ、あれ……」


 そこには何台もの消防車両が乱雑に駐車されていた。おそらく、この火災の消化のために派遣されたのだろう。しかし、消火活動は開始されていない。


 なぜなら、死神とは別の巨大な魔族が彼らの活動を妨害していたからだ。


「死神じゃない……別の魔族なの?」

「ああ。甲虫頭大鬼ビートルヘッドオークだ」


 高さ五メートル近い巨躯に、黒光りする甲殻と筋肉。そして、特徴的なカブトムシのような角。そんな魔族が消防隊員の前に立ち塞がっていた。


「な、何だ! こいつは!?」

「に、逃げるんだ!」

「うわぁぁっ!」


 消防隊員たちは必死に逃げようとするも、その魔族の巨体からは想像できないような素早い動きに為す術なく掴まれてしまう。


「うわぁぁ! やめろぉ!」


 ブシャッ!


 その魔族が消防隊員を掴む手に力を込め、一気に握り潰した。その握力は手の中にいた消防士を一瞬で血飛沫に変える。巨人は男を飲み終わったジュースの缶を捨てるような感覚で周辺に投げ捨て、彼の内臓はぐちゃぐちゃに飛び散った。


 人がこんな死に方をするなんて!


 彼の凄惨な死に方に、思わず私は目を背けた。


「く、くそっ! 早く逃げろ!」

「グオオオオッ!」


 散り散りに逃げていく消防隊員を見て、その甲虫頭は地を揺るがすほどの大きな咆哮を上げた。


「グァ……」


 その咆哮を聞いたのか、周囲に散開していた死神たちが甲虫頭の下へ集合していく。まるで、甲虫頭が「ここに獲物がいるぞ」と合図したかのように。

 私にもあらゆる方角から魔族がそこへ集まっていく気配が感じ取れた。


「あいつが……他の死神を操っているの?」

「どうやらそのようだな。あの甲虫頭が死神を統率するリーダーらしい」


 そこから逃げていた隊員は次々と死神が持つ鋭爪の餌食となっていく。


「小夜子、あいつらを助けに行くぞ」

「む、無理よ……だって……あんなの!」


 逃げたい。


 私は甲虫頭を見た。強靭そうな筋肉に、分厚い甲殻。角の下にある4つの目には殺意が宿り、死神よりも数段迫力がある。

 そんな化け物を見たら、誰だって怯むだろう。目の前で繰り広げられる惨劇に、私は動けずに空中で佇んで見つめていた。本来は魔法を使って助けるべきなのかもしれない。しかし、救助に行きたい気持ちよりも、魔族から逃げたい気持ちの方が勝っていたのだ。

 どこにも逃げる場所なんてないのに。


「大丈夫だ。お前の魔法なら、あのレベルの魔族はどうにかなる」

「ホントに……?」

「さぁ、人々を救うんだ! お前がみんなの命を守るんだよ! そうしないと、どんどん人が死んでくぞ!」

「分かった……あなたを信じる」


 私は逃げたいと言う気持ちを押し殺し、ハワドに言われるまま人々を救うために戦場へ赴いたのだった。


     * * *


「や、やめろ! こっちに来るなぁ!」

「グァ……」


 乗り捨てられた自動車によって退路を塞がれた市民が数匹の死神に追い詰められていた。死神たちは牙を剥け、涎を垂らしながらじわじわとその男へと距離を縮める。


「だ、誰か助けてくれ!」


 ドスッ……!


 男が助けを求めた瞬間、一閃が死神たちの頭上に現れる。


 ドサッ……!


「グェ……!」


 数匹の死神たちが黒い血液を吹き出しながら一斉にアスファルトへ伏していく。その頭には光を放つ剣が深々と突き刺さっていた。


「だ、大丈夫ですか?」

「えっ……?」


 倒れた死神たちの上には少女――白い翼、白い衣装、まるで天使のようだ。


「だ、大丈夫……」

「早く、ここから逃げてください!」

「あ……あぁ……」


 男は困惑気味に回答した。


「それじゃ、私はこれで……」


 その少女は高速で飛び去っていく。

 彼女が向かう先には、巨大な角を持つ化け物――甲虫頭大鬼ビートルヘッド・オーク


「グオオオッ!」


 ビルから出る轟々とした炎に照らされる角の巨人が吠えた。部下の死神を殺された怒りと魔法少女に対する敵対心を剥き出しにし、拳を作りファイティングポーズを構える。


「小夜子! 来るぞ!」


 小夜子と死神を率いる甲虫頭の戦闘が始まろうとしていた。

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