第42話 皇蜂の紋章

「それで、お前はこれからどうするつもりなんだ?」

「えっ?」


 崩壊した魔族の基地・情報閲覧室。

 斑鳩いかるがとおるに質問され、ハワドは戸惑った。透は腕を組みながら、壁に寄りかかって彼を見つめている。


「天界に戻るのか?」

「いや、そうしたいのは山々だが――」


 ハワドは口篭る。

 どうにも心の中で引っかかることがあった。


「――まだ、アイツのことが気になるからな」

「小夜子とかいう魔法少女のことか?」


 ずっと一緒に戦ってきた相棒、桐倉きりくら小夜子さよこ

 彼女のことが頭から離れず、ハワドはこの世界から離れることを躊躇っていた。


「俺が、アイツを戦いの世界に引き込んだんだ。アイツが家族を失って、困惑しているときにな。そのせいで随分と辛い思いをさせた。それでも、アイツは俺に見返りを求めず、一緒に戦ってくれたんだ。魔族になっちまった今でも……」

「相棒に深い恩を感じているのか?」

「ああ、だから、これからアイツがどうなるのか気になる。アイツは俺を戦いに巻き込まないために置いていったが、俺はアイツの活躍を最後まで見届けてやりたいんだ……」


 このまま彼女の結末を見届けずに帰還すれば、きっと後悔する。

 大切な相棒のことを置いてきてしまったことを。


「逆にこっちからも聞くが、お前はどうするんだ?」

「僕は……魔界アークに向かう」

「魔族の本拠地じゃねぇか。そこで何をするつもりなんだよ」

「『皇蜂の紋章』を奪う」

「何だそりゃ?」


 ――『皇蜂の紋章』

 ハワドも初めて聞くその言葉に、耳を傾ける。


「簡単に説明すると、反逆防止システムみたいなものだ。人間を魔族として自分たちの兵士に選出する際、その選別を誤ると与えた力を以って反逆される可能性がある。精神潜入サイコダイブによる選別も完璧じゃない。反逆の意志を持った人間に魔族の力をそのまま与えてしまうリスクが伴う」

「そのリスクを消すのが、『皇蜂の紋章』ということか?」

「ああ。それを持つ者はほとんどの魔族に対して強制的に命令可能だ。誰かが反逆を起こしても、それがあればテレパシーで捻じ伏せられる」


 ハワドも「人間の知能を保持したまま魔族にする」という彼らの戦略に疑問を持っていた。そんなことをしたら、自分たちへ刃を向けられる可能性がある。そんな危険性を孕んだ作戦を本当に実行するのか、と。

 魔族たちがその作戦を使ってきたのは、どうやらいつでも彼らをコントロールできる自信があったかららしい。その自信の正体こそが、『皇蜂の紋章』なのだ。


「僕はこれを入手して、全魔族が魔界アークに引き返すよう命令してこの戦いを終わらせる。空中に漂う死神ウイルスに対しても自滅シグナルを送れるはずだ」

「つまり、達成できれば、もう死神ウイルスの死者を出さずに済む、ってことか!」

「ああ。このウイルスが蔓延した状態を一気に浄化できる。新たに感染者が生まれることもない」


 この戦争が激化した原因の一つ――死神ウイルス。

 感染した小夜子の両親が、彼女を死の一歩手前まで追い込んだ。他にも多くの命が奪われた。元々人間だった多くの者を殺害しなければならなくなった。


 あの悲劇を、もう繰り返さなくていいのだ。

 これが実行できれば、小夜子も喜んでくれるに違いない。


 ハワドは彼女の喜ぶ顔を見たかった。魔法少女になって辛いことばかりだったあの娘を、安心させてやりたかった。もし透の言うことが正しいのならば、ハワドにとって彼に協力する価値が大いにあるというものだ。


「それで、紋章の入手方法は分かっているのか? というか、入手できるものなのか?」

「唯一、魔王だけが持っている。ヤツから剥ぎ取れば、入手できる」

「……は?」


 ――「魔王」。

 その言葉の登場に、ハワドは動揺を隠せなかった。希望が見えていた表情が一転し、顔が強張り、声が震える。


 魔族の王――「魔王」の存在は、妖精の間でも脅威として恐れられていた。全ての魔族を超越した存在であり、圧倒的な強さを誇る。あの蠅の王ベルゼブブ刈者リーパーでもその強さには遠く及ばないという。

 それを倒そうとするなんて、目の前にいる男は正気じゃない。


「まさか、お前、魔王って……魔界闘神蟻兵アーク・アヌビス・アントを倒して奪うつもりなのか!?」

「そうだが?」

「お前も分かっているだろうが、アイツはヤバイんだぞ!? それに、戦う前に紋章を使われたらアウトじゃないのか?」

「いや。やれるのは僕しかいない」

「何か作戦があるのか?」


 透は「ああ」と呟くと、自分の胸元に手を当てる。


「この体は、『皇蜂の紋章』が効く対象外になっている」

「お前は元人間だろ? なのにどうして……」

「僕の体内にあるウイルスが突然変異だからだ。本来の魔族が持つ遺伝子とは少し違うから、紋章のテレパシーが作用しにくい。だがそのせいで、ヤツらの言うことを聞くよう脳を好き勝手改造されたがな」


 自分の米神をトントンと指で叩く透。先程の回復魔法で消えかかっているものの、米神には手術跡らしき傷が見える。それが彼の脳に行われた洗脳の痕跡だろう。

 一見クールそうな瞳の奥には、憤怒の炎が燃え上がっていた。身体改造されたことを深く根に持っているらしい。


「琴乃に打ち込まれたのはウイルスは、僕から採取したウイルスを『皇蜂の紋章』の対象になるよう改良を施したものだ。そうやって、反逆を防ぐシステムが完成されていたが、お前が僕を回復魔法で手術前の状態に戻してくれた。絶対服従の体制に、今、綻びができたんだよ」

「だからお前が隙を突いて魔王から紋章を入手し、この戦況を覆す――という算段か」

「いずれ、ヤツらも僕への洗脳が解除されたことに気付くはずだ。不意打ちをかけるなら、今のタイミングしかない」


 透は壁に寄りかかるのを止め、部屋の出口に向かって歩き出す。


「後は、僕がどうにかする。だから、お前は天界に戻れ」

「え……?」

「これはもう魔法少女や妖精がどうにかできる事態じゃない。お前の相棒の女だって、それを分かって魔族になる道を選んだんだろう。これ以上お前が介入したところで、無意味に命を落とすだけだ」


 そして、最後に透はハワドへ振り返る。そこにあった表情は憎しみで溢れていた。眉間にしわが寄り、鋭い目つきでハワドを睨む。


「だが、忘れるなよ。この戦争を引き起こした原因はお前ら妖精にあるんだからな。そのツケはいつか払ってもらう」


 透はこう言い放つと、基地の外へ消えていった。

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