第5話 人間の尊厳を守るために

「これから……私たち……どうなっちゃうの?」


 父と母を光の剣で切り裂いた後、私は両親と弟の死体を寝室に運んだ。

 バラバラになった家族の死体。それを一つずつ運ぶには体力を要した。人間の体は重い。

 それに精神力も削られる。


 家族の死。

 それだけでも辛い出来事なのに、その死体を間近で見なければならない。死体の切断面が私の視界に入り、何度も私の心を鬱屈とさせる。


 本来ならば警察や病院に連絡すべきだと思う。でも、110番も119番にも通じなかった。録音音声で応対されるだけで、具体的な指示や人員派遣は何も無い。

 スーパーマーケットで見たように、人間が凶暴化する騒ぎがあちこちで発生しているのだ。そのせいで回線が混乱状態にあるのだろう。


 寝室へ家族の死体を運んだ後、家の中を見渡すと家中血だらけになっていた。廊下も、壁も、キッチンも、階段も……私の体も。

 気が付けば、時計の時刻は夜7時を指していた。暗闇で家の中の視界も悪い。私は寝室に置かれているランプのスイッチを入れようとした。


 そのとき、


「駄目だ。小夜子。電気を点けるな」

「え……」


 ハワドと名乗る妖精に止められた。ハワドはふわふわと浮遊し、私の傍を漂っている。彼は自分のことを必死に『妖精』だと主張しているが、その外見はどう見ても白い犬のぬいぐるみだ。


「今電気を点けたら外の化け物に気付かれるぞ」

「化け物? 人間なのに……」

「あいつらはもう人間じゃない。『魔族』になったんだ」

「『魔族』?」

「今、ニュースや新聞やらで話題になってるだろ? 中東地域を支配圏に治めている生物集団のことだよ」

「あれが……魔族?」


 ニュースで報道されていた『謎の生物の大量発生』。テレビやネットに流れている映像では黒っぽい生物のように思っていたが、彼らも元々は人間だったということだろうか?


「まぁ、元々人間だった生物を無理矢理『遺伝子改変型魔族』によって魔族に変えているんだけどな」

「遺伝子……改変?」

「奴らが作った超小型の魔族さ。これが体内に侵入された人間は驚異的なスピードで体中の遺伝子を書き換えられる。多くの場合、体内のマクロファージによって排除されるが、運悪くそれが行き届かなかった人間は――」

「魔族になる?」

「そういうことだ。徐々に体を魔族にされ、人間としての意思を失い、自分が誰なのかも忘れて周囲の人間を襲い始める」

「まさか、虹色の虹彩も、黒い血液も……」

「魔族に体を改変されていたから、だろうな」


 私は寝室の窓辺に近づき、カーテンの隙間からこっそりと外の様子を窺った。自宅前の道路で何かが蠢いているようだ。


「アァ……ァ……」


 虹彩を虹色に光らせている人間が呻き声を上げながらウロウロしている。涎を垂らし、周囲をキョロキョロと首を動かして何かを探しているようだ。


「あいつらはとにかく栄養補給することを目的に動いている。奴等が人間を襲うのも、魔族に支配された脳味噌が『これは食べられる』と判断したからだろうな」

「元の人間には戻らないの?」

「戻らない。感染初期なら魔法で体内の魔族を浄化できれば戻るかもしれないが、あそこまで魔族化が進行したらどうにもできない」

「そんな……」

「人間としての尊厳を失う前に殺してやるしか、感染者を救う方法は無い。姿になる前に殺してやる方が、その感染者にとって救いになるだろう」

「『もっと醜い姿』?」


 そのときだ。


「グゥ……ア……ァ!」


 自宅前をウロウロしていた感染者のうち一人の様子が急変する。


「何よ……あれ?」

「『死神化』が始まったんだ」


 その感染者の筋肉が大きく隆起し、体格が変化する。服が破け、黒ずんだ肌が露出していく。

 手足の爪が剥がれ、その代わりに猛禽類のような鉤爪が指先から伸びる。

 髪の毛がごっそり抜け落ち、口が裂けた。

 歯茎を覗かせ、そこから尖った犬歯が見える。


 その変化に、私は目を離すことができなかった。


 感染者は一瞬にして、人間の倍近くも背丈のある漆黒の巨人へと変貌したのだ。


「人が……化け物に!」

「あれが『死神化』だ。あの形態に変化するために、人間を捕食して栄養を集めていたんだ」

「死神……?」

「『死神』っていうのは、あの形状の魔族の種類名だ。鎌のような鉤爪や黒い巨躯が死神を連想させることから付いた名前らしい」


 私はカーテンの隙間から、さっきまで人間だった死神を再度凝視した。

 その生物に、人間だった面影は一切感じられない。

 光沢を持つ黒い肌は、まるで甲殻のようだ。その姿は死神というよりも、どこか巨大な昆虫を連想させる。


 私の両親も放置されていたら、あんな風になっていたのだろうか。


 確かに、あんな姿になるくらいならハワドの言うとおり、早いうちに殺される方がマシなのかもしれない。


「小夜子、もうヤツを見るのは止めろ」

「え……」

「人間から死神になることで、ヤツの索敵能力は飛躍的に向上しているはずだ。目が合えば襲い掛かってくるぞ」


 そのとき――


「……!」


 死神の視線がこちらに向いているのに気付いた。虹色の瞳が、睨み付けるように私の姿を捉えている。死神は歯を剥き出し、唇を震わせた。


「ヤバ……こっち見てる!」

「来るぞ! 小夜子、剣を構えろ!」

「う、うん!」


 次の瞬間、死神は我が家の駐車場や塀を飛び越え、私の寝室に向かって跳躍した。その巨躯からは想像できないほどの脚力だ。それだけ、死神の筋肉は異常発達しているのだろう。


 ドガァッ!


 死神の腕や口が、寝室の窓枠や壁を破壊する。ガラスが周囲に飛び散り、窓際のインテリアもぐちゃぐちゃになった。私は咄嗟に後方へ下がり、その攻撃を回避する。


「グルァァアアッ!」


 死神は窓枠から口を大きく突き出し、おぞましい声を上げた。


「小夜子! 魔法でこいつを斬るんだ!」

「わ、分かった!」


 私は両親を斬った時と同じ感覚を思い出し、光り輝く剣を手の中に召喚させる。

 目の前の魔族は元々人間だ。しかし、これだけ姿が変化した異形を魔法で殺害することに躊躇ためらいはなかったと思う。


「あ、あなたも……こんな姿になって人間を傷つけたくはないでしょ?」


 ブシャァァッ!


 一閃。

 私の手から伸びた光の剣が、死神の首を刎ねる。首はゴトリと床へ落ち、黒ずんだ血液が周囲に飛び散った。

 自分の魔法が死神の硬い皮膚と骨格を一撃で切り裂いたのだ。


「魔族になった人間を救うには、これしかないのよね?」

「ああ、お前もこうはなりたくないだろ?」

「うん……」


 私は床に転がる死神の首を見た。鋭く尖った牙。その牙が何本も並ぶ裂けた口。その顔は地球上に生息するどの獣よりも恐ろしく、魔族という生物の攻撃性を示している。


 それよりも恐ろしいのは――


「……すごい」


 ゾッとするほど綺麗な首の切断面。化け物の分厚い皮膚と太く強靭な骨すらも切り裂く私の魔法。


 もしかすると、私は非常に危険な能力を入手してしまったのかもしれない。

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