第4話 魔法少女になる最悪の動機
私は店から離れて歩行者が多い大通りに出ると、服のポケットから携帯電話を取り出した。
「ひゃ、110番しなきゃ!」
私は震える手でダイヤルボタンを押し、携帯電話を耳に当てる。
《現在、回線が大変混雑しております。申し訳ありませんが……》
「え……?」
電話から聞こえたのは自動音声だった。
「どういうこと……?」
そのとき――
「うわああああああああ!」
「キャアアアアアアアア!」
大通りのあちこちから叫び声が聞こえた。
叫び声だけでない。救急車やパトカーのサイレンもあちこちから響いている。
「何なのよ、これ!」
私は目の前にフラフラと歩く制服の女子高生を見つけた。私が彼女の顔を覗き込むと、虹彩の色が不気味に輝いていた。
「こ、この人も……」
「ウガァァッ!」
目の前にいた女子高生は私に走って襲い掛かってきた。私が彼女の突進を回避すると、自分の後ろにいたスーツ姿のサラリーマンに覆い被さる。
「うわぁ、何だ君は! 離しなさいって……ゲボォェ!」
彼女はサラリーマンの動脈を噛み切り、さらに胴体の肉に喰らいつく。グチャグチャと音を立てて腸を掴み出し、そのまま口の中へ。
「ご、ごめんなさい!」
私は彼を放置し、自宅に向かって駆け出した。
そのとき、私は不意に視線のような気配を感じた。振り向くと、急いで通り過ぎたゴミ置き場に白いイヌのぬいぐるみが捨ててあったのが見える。
この非常事態にそんなものはどうだっていいはずなのに、自分でも何故それが気になったのか具体的な理由は分からない。
でも、その人形から何か得体の知れない気配が感じ取れたのだ。
結局当時はそれに構う暇なんて無くて、そのまま通り過ぎるしかなかったが。
* * *
「きっと、目の色がおかしくなっちゃうと他人を襲うようになっちゃうんだ」
私は自宅前の道路を走りながら頭の中で考察をしていた。
人が突然、人を襲い始める――それは、どこかで見たゾンビ映画の冒頭のシチュエーションによく似ている。
「でも、どうして? そういうウイルスのせい?」
私は自宅前に辿り着くと、逃げ込むように玄関へ駆け込んだ。
「お母さん! お父さん! 悠太! 大丈夫?」
私は家の中で叫んだ。しかし、応答はない。
「私の目は……大丈夫かな?」
私は家族の安否よりも自分の目が気になり、洗面所に行って鏡を覗き込んだ。自分の目は以前と同じように黒く澄み、瞳孔も円形をしている。
「良かった。私はまだ大丈夫そうね」
そのとき――
ガタン! ドタドタドタドタ!!
自宅の階段の方向から、2階から何かが転げ落ちたような音がした。
「何の音……?」
1階の階段下に誰かが倒れている。どうやら彼が2階から転げ落ちた音らしい。私はその服装に見覚えがあった。
「悠太!」
床に横たわっているのは弟の悠太の死体だった。彼の服装は血まみれで、首から上が存在していない。背骨が露出し、赤黒い断面から血液がドロドロと流れている。
「ゆ、悠太……どうして?」
そのとき、視界の隅に何かが蠢く。階段を下から見上げると、2階の廊下に誰か立っていた。
「お父さん、お母さん?」
それは父と、母だった。二人とも虹彩の色が変色している。顔や服が血まみれで、母が赤い物体を一心不乱に齧っていた。
ガリッ! ガリッ!
「お、お母さん、何を齧っているの?」
母は私に気付くと、齧っていた物体を階段から落とした。
ゴトッ!
「ひっ」
私の目の前に転がったのは、悠太の生首だった。
悠太の顔は大半の皮膚が齧られて消失しており、筋肉や骨が露出している。少しだけ残っている皮膚からは、恐ろしいものを見たような、絶望した表情が読み取れた。
私はその光景に腰を抜かし、失禁してしまう。
「だ、誰か……!」
父と母がゆっくりと階段を下りてくる。悠太の肉片が付いた歯茎を剥き出し、ボタボタと赤黒い涎を服に垂らした。
一方、私は恐怖で動くことができなかった。生まれたての小鹿のように、床でジタバタするだけ。
「こ、来ないで!」
「アァ……ァ……」
母と父の蒼白とした手が私へと伸びる。
きっと、悠太と同じように私も殺すつもりなんだ。
私もあんな酷い状態で死んでしまうんだ。
そう思ったとき――
「おい、今すぐ俺と契約して魔法少女になれ!」
私のすぐ後ろで若い男の声が聞こえた。振り向くと、そこにはゴミ捨て場で見た白いイヌのぬいぐるみが置いてあるではないか。
どうして、このぬいぐるみがここに?
それに、今の声は一体?
「助かりたいんだろ? だったら魔法少女になって道を切り開くしかないぞ?」
正直、このぬいぐるみが何のことを言っているのか全く分からなかったが、私は状況が飲み込めず、泣きながら人形にうんうんと頷くしかなかった。
「よし、契約成立だ!」
ぬいぐるみがそう言った瞬間、足も腕も、私の全身が雪のような真っ白の粒子に包まれる。ひんやりと冷たい、不思議な感覚だった。一体、自分の体に何が起きているのだろう。その光景に酷く恐怖を感じたのを、今でも覚えている。
その光に怯えたのか、一瞬だけ父と母が動きを止めた。目を両手で覆い隠し、その場で苦しそうに獣のような唸り声を上げる。
「な、何が起きてるの!?」
「お前はこれから魔法少女になるんだよ!」
「ま、魔法少女!?」
「魔族に抵抗するための手段。魔法を使って目の前の相手を倒すんだ!」
いつの間にか服装は滑らかな質感の、胸元が開いた白いドレスへと変化していた。肌と一体化しているような、奇妙な感触がする。
腕には、光り輝く剣。レイピアのように細い刃が、私の困惑した顔を嘲笑うかのように反射していた。この剣はどこから現れたのだろう。
「ウグゥアアアアア!!」
おぞましい咆哮とともに、父と母は私に飛びかかる。
「嫌ああああああッ!」
ほんの一瞬の出来事。
剣が眩い光を放ち、両親を切り裂いた。
何が起きたのか、私には全く分からなかった。
気が付いたら、両親は体を真っ二つにされた状態で床に倒れていたのだ。
「……え?」
「それが、お前の魔法だよ。小夜子」
「……お父さん? お母さん?」
床に倒れた二人からの反応はない。
私の両親は死んだのだ。
多分、私の握る剣が彼らを殺した。
驚くほど簡単に彼らの体は真っ二つになったと思う。
彼らの体から人間のものとは思えないような黒い血液が流れていた。
「私が……お父さんとお母さんを殺したの?」
「そうだな。でも、殺さなければお前が殺されていたさ。まぁ、お前の両親に意識や自覚はなかったと思うがな」
「わ、私は……お父さんと……お母さんを……うぅっ……」
私はその場に泣き崩れた。
もう何が何だかよく分からない。
これは夢だ。
そうだ、これは夢だ。
もう醒めていいんだよ、私。
いつものベッドで爽やかな朝を迎えようよ。
そう何度も願ったが、そんな瞬間が訪れることはいつまで経ってもなかった。
* * *
これが私が魔法少女になった経緯。
私の想像していた『魔法少女』はもっと夢や希望に溢れているものだと思っていたが、私にはそんなものの欠片すらなかったのだ。
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