第2話 アイカツおじさんと灼熱の物販サバイバル

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※この物語は、事実を基にしたフィクションである。


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2018年9月8日(土)、『アイカツ!シリーズ5thフェスティバル!!』開催初日。


「イベントグッズの販売開始は午前10時……うーん、思ったより早く到着してしまった」


ここは千葉県千葉市、海の見える美浜区。JR東日本、京葉線の海浜幕張駅に降り立った権助は、午前八時を指す腕時計を見て呟いた。本当はもう少し寝ているつもりだったのだが、どうやら遠足前の子供と同じく、今日という日を待ち焦がれすぎていたらしい。齢40手前になっても、やはり好きなものにはワクワクが止まんないのだ。


駅に隣接する狭いコンビニで500mlのスポーツドリンクを調達し、会場の幕張メッセへと歩を進める。メッセに近付くにつれ、各方面からやってきた人の波が集束し、どんどんその密度が高まっていく。なにしろ、幕張メッセのイベントホールのキャパは最大9,000人。あの武道館を超える規模である。権助は人ごみに飲まれないよう、面倒だがいったん途中の階段を昇り、地上ルートを行く人々と別れることにした。


「まぶし」


階段の上には屋根が無かった。直射日光が照り付ける。


「……今日は暑くなりそうだ」


早くも強くなり始めた日差しに目を細めながら、権助は買ったばかりのペットボトルの口を開けた。


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150メートルばかり進んだところにある下りエスカレーターに乗り、ふたたび地上ルート組と合流すると、いよいよ幕張メッセの赤い屋根が見えてきた。しかし、権助の視線はすぐに下がり、イベントホールへと続く大階段の下に向けられた。


「えっ……あれ、もしかして物販列か?」


メッセの正面広場に作られた特設テント前に……ざっと三百人はいるだろうか。そこに集まった人の列は、折り返しに折り返しを重ねて、巨大な長方形を成していた。先頭は恐らく始発組であろう。権助は「しまった、まったく早くなんかなかったぞ」と、少し慌てながら列の最後尾に座った。


(よし、お昼までに物販を済ませて、あとはキラキラッターのみんなと合流して時間を潰すとするか)


これまでのイベント物販で得た経験則から大まかな時間を計算して予定を立てる。グッズの販売開始が午前10時。そしてイベントの開場が16時、開演が17時というのが本日のタイムスケジュールである。


「列が動くまであと一時間半。分かっちゃいたが、持久戦だな」


と、退屈しのぎにスマホを取り出し、キラキラッターを開く。


”あっ、権俵さん見っけ!”


そう書き込んでいたのは、きいろさん。過去に何度もアイカツ!関連のイベントでお会いしているため、権助とはすっかり顔なじみである。顔を上げて列の前方を見渡すと、百人ほど先のところに、見覚えのある黄色い眼鏡の男性を見つけることができた。


「きっと他にもキラキラッター女児がいるんだろうな。……さて、まだまだ時間があることだし、改めて公式サイトでグッズを確認するか」


スマホをスワイプして、ずらりと並ぶグッズを品定めしていく。定番のペンライトにマフラータオル、Tシャツに缶バッジ。アクリルスタンドに団扇にヘアゴム。変わり種では、可愛いアイドルではなく、男性学園長の「諸星ヒカルのメガネ拭き」なんていう物まである。


「どれも欲しいものばかりだが、遠征組としてはあまり大荷物にもできないからな。今回は新作のジャケバッジを細々と買うぐらいか。…………それにしても……むぅ」


先程から、どうにもスマホに日光が反射して見づらい。だんだん陽が昇って来たせいだ。かと言って、長方形に整備された行列の大半は日向に晒されているし、列が動き出さない限りは貴重な日陰にたどり着くことはできない。


「暑いな……」


時間と共に徐々に気温も上昇してきた。権助は、またペットボトルの口を開けた。


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午前10時。


ぞろり、ぞろりと列がゆっくり動き始めた。


「やっとか……。このまま干物になるかと思ったぞ」


気温は恐らく、既に35℃近いだろう。さんさんと照り付ける日光は今や凶器である。


「日焼け止めを塗って来て正解だったな」


どうでもいい話だが、数年前、夏場にモールで行われた親子向け『アイカツ!』無料ミニライブを見学した際に、親でも子でもない権助は日除けの無いエリアで数時間立ち見を行った結果キョーレツな日焼けをしてしまい、週明け出社時に「権俵さん、海でも行ったんですか? それとも山ですか?」と返答不可能の質問責めに遭った悲しい過去があったのだった。


というわけでお肌の心配は解決済みだったが、一方でペットボトルの中身は既に半分を切っていた。


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(……なんだ、どうしてこんなに列が進まないんだ?)


午前11時30分。いまだレジのある特設テントは遥か遠くにあった。開始から一時間半が経過したにも関わらず、まだ百人かそこらかしか捌けていないように見える。原因究明のため、待っている間にスマホで情報を集めるものの、「商品点数が多いから」「クレジットカード決済の処理が難しい」「レジが足りていない」など様々な憶測が流れているだけで、はっきりとした理由は分からない。ただ言えるのは、この異常な暑さの中(*)、これ以上並び続けるのは危険だということであった。


(*:2018年の夏は、1946年の統計開始以来もっとも平均気温の高い平成最悪の酷暑となった)


(これは……さすがにちょっとマズいのでは)


ついにペットボトルの中身が尽きた。その途端、急激に体内の水分が失われていき、ふわふわと頭が揺られている感覚に襲われる。唾液が喉の奥まで届かない。権助は自身の体が危険信号を発しているのを感じた。こんな時、もう自分の体は無理が効かないと自覚している中年は、高い危機管理能力を発揮するのである。


「……ちょっとすみません、列を離れます」


密集する人々の間を通してもらい、躊躇なく列を抜けた。グッズは惜しいが、何より命に勝るものはないのだ。駆け足で近場の自動販売機へ向かい、スポーツドリンクを追加購入する。


「…………ぷはぁ」


水分を得たことでたちまち身体に活気が戻り、頭が冴えてくる。それにより、先程の体調はやはり危険だったのだと理解する。


「こんな状態で、他のみんなは大丈夫なのか……?」


心配になり、キラキラッターを覗く。


”やばい、水無くなってきた”


”頭クラクラしてきた……”


”もう持たない”


何名かが、既に救難信号を発している。このままでは誰かが倒れるのは時間の問題だ……権助のその予想はすぐに的中した。会場に救急車が到着したのだ。素早く物販列の脇に停車し、隊員が列の中から倒れた人を運び出しているのが見えた。


(これはまずいぞ)


権助は急いで辺りを見回し、見つけた最寄りの自動販売機に向かって走った。しかし。


「ぜんぶ売り切れ!? ……いや、この暑さなら当然か」


もう一度、今度はより遠くまで見渡す。……あった、イベントホールの壁際にもう一台! 慌てて駆け寄り、まだスポーツドリンクの在庫が残っていることを確認して、次々に小銭を投入する。


「……よし、これだけあればひとまずは。”水分無くなった人、思い切り手を振ってください”……っと」


キラキラッターに書き込み、物販列からの反応に目を凝らす。しかし、並んでいる人数の多さに加え、日光除けにと日傘を使っている人も多く、どこで手が上がっているのか分からない。


「ええと、じゃあ……”近くに何か目印があったら教えてください”」


その書き込みに、先程のきいろさんが反応した。


”特設テントに向かって左端の方にいます。ここからジャケバッジの見本が飾ってあるのが見えます”


スマホから顔を上げ、列とテントの位置関係を把握する。


「あの辺か」


ペットボトルを数本抱えて、列をぐるりと回り込む。が、しかし。


「すみません、ここはパンフレット受け取り列なので入れません」


そこは物販列に隣接するパンフレット受け取り所。係員に呼び止められて、初めて、権助はそのことに気が付いた。なぜなら、全員が物販を優先し、いつでも受け取れるパンフレットを後回しにしていたため、そこには誰一人として並んでいなかったからだった。しかし、ここを通らないときいろさんのところへはたどり着けない。


「あの、あそこにいる人に水を届けたいのですが……」


係員のお兄さんが、権助の視線の先を見る。少し考えて。


「……分かりました、そういうことならどうぞ」


「ありがとうございます!」


列に誰も並んでいないこと、それに救急車の到着により事態が切迫していることを考慮してくれたのだろう。権助は許可を得て列の前方へと回ることができた。


「……いた!」


最前列から4列目あたりに、きいろさんを目視した。目が合うと、こちらに手を振ってくれた。


「すみません、そこの黄色い眼鏡をかけた男性に、これを届けてもらえないでしょうか?」


最前列の人に声をかけ、リレーでスポーツドリンクを手渡してもらう。ありがとう、と受け取ったきいろさんが頷いた。


「よし、次だ」


権助は再びキラキラッターを開き、次の救援へと向かった。


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「ありがとうございます!」


「いえいえ。もうちょっとですから、がんばって!」


持っていた最後のスポーツドリンクを手渡し、再び自販機へ向かう。一度に持てる数には限りがあるし、なるべく冷たいままの状態で渡したいので、効率は悪いが列と自販機の往復を繰り返す。まだまだ全員に行き渡るには時間がかかりそうだ……そう思った時。


「権俵さん、お疲れ様です! 手伝いますよ!」


そう言って権助の元へやって来たのは、キラキラッターでのやりとりを見た人や、物販を終えた人たちだった。


「いいんですか?」


「『アイカツ!』は助け合いでしょ!」


「……っ! よろしくお願いします!」


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それから、数十分。


ついにキラキラッターからの救助依頼の書き込みが途絶えたことで、権助たちの救援活動はひとまず終わりを告げた。


「なんとか、みんなの助けにはなれたかな。……でも」


権助は、まだまだ終わりの見えない……どころか際限なく伸びていく物販列に目をやった。人数は既に千人を超えているらしい。彼らの大半はキラキラッターに所属してはいないので救援が必要かどうかは分からないが、きっと水分を求めている人は多いだろう。しかし、この人数を全員助けるにはこちらの数があまりにも足りない。権助は、個人ができることの小ささに歯噛みした。


その時。


「みなさーん、これ順番にどうぞー!」


声のした方を見ると、大きな2リットルペットボトルの水と、紙コップの束を抱えた男性が列に声をかけている。……いや、それだけではない。


「スポーツドリンクたくさん買ってきました!」


「こっちは汗拭きシートと塩飴ありますよ!」


キラキラッター以外の場所でも、多くの有志が自発的に救援活動を始めていたのだ。


「これが、『広げよう、アイカツの『WA』!』……!」


作品の垣根を超えて手を取り合ったコラボ回、『アイカツスターズ!』第69話のタイトルを思い出しながら、これなら大丈夫だと、権助はようやく安堵した。


そして。


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「それでは、今から開場いたします!」


幕張メッセ、イベントホールの入口が開かれると、一斉に大きな拍手が起こった。


『アイカツ!シリーズ5thフェスティバル!!』、ついに開幕の時。




余談になるが、物販で最初に完売したグッズは「諸星ヒカルのメガネ拭き」であったという。



-おわり-

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