第21話 酔いどれからの目覚め

* * * *

 



「あ〜酒! 酒がたんねーよおお!」


 酒飲たんねーから始まる男バンガス。その髪は寝癖があるものの一般的な範疇に収まり、無精髭もついこの間までは剃っていたと思くポツポツと生える程度。


 服装は白いウールの上着を羽織り、その下半身は砕けた鎧の一部を残しながら、内側の黒い布地が見え隠れしている。


 顔を真っ赤に上せ千鳥足。アルコールが大分全身に回っていた。


 ギルドを抜け街を出てあてもなく彷徨う最中、最初はバンガスも開放感に満ち溢れていた。聖剣とも縁が切れ楽になり、俺はここから何でも出来る自由になったのだと。


 しかし、いざこれからどうしようとなった時に、俺は一体何がしたかったんだっけと虚空に放り込まれた気分を味わった。


 ただそれでも、ギルドに入る前へ戻っただけなのでそこまで自棄になる事はなかった。問題は——自身の抜けたギルドが崩壊、名を馳せた一つの伝説が無為に帰した事だった。


 俺1人抜けただけなのに何故。風の噂で聞いたそれは、バンガスの心にヒビを入れるのは十分過ぎた。


 罪悪感の種が生え、あれやあれよという間に育ったその苗は、バンガスを酒という現実逃避の道へ走らせたのである。


 元々は嗜む程度だったのだが、記憶や何もかもを朧げにする状態がデフォルトとなった。そんな中でも自分に話しかけて来る者は居た。


「——探究者の巣に所属されていたバンガス殿とお見受け致す。現在フリーの身であると聞き我がギルドに」

「あーはいはい! 俺ぁ入んねーから! ギルドなんか知らねー話しかけんな!」


 個人ランクSの最高峰冒険者を放っておく者はそういない。まるで競争の如く、名を変え品を変え現れる勧誘人には辟易していた。


 借宿としている所でも、食事をしている最中でも、買い物に出ていようと酒を楽しんでいようと、果ては便所の中にまで彼等は赴いた。


 最初はそれなりに丁寧に接し退けていたが、こう毎日何度とやってくる彼等の扱いが雑になるのは当然の帰結であろう。


 住んでいる街を変えるという手はあったが、バンガスは何故かその選択を選べず、日がな一日酒を飲み散歩して暮らしていたのだ。


 その日はふと山が見たいと思った。


 バンガスは変わらずも酒を飲みつつ街外れまで徒歩で行き、やはり現れる勧誘員を退き、そして住まう人々の家屋が簡素になって来た辺りで適当に地べたへ座り込み、その奥の景色に鎮座する山々を眺め肴にする。


 変わり映えはしねーなー。と、のほほんと考えていると……。


「おい! しっかり押さえてろって!」

「暴れるから難しいんだよ……おりゃあ!」


 甲高い2人の子供の大声が響いた。その快活さから男の子だろうとする。


 目を向けると座り込むその歩道の少し先で、やはり男の子と一匹の魔物が揉みくちゃになっている。


 バンガスは立ち上がると子供等の下へ歩く。近付けば黄色い毛皮のまだ子供の魔物と見えた。


「そこの子供達。可哀想だから魔物を虐めるのはやめよう」

「なんだクソジジイ昼間から酔っ払いやがって」

「酒クセーんだよ向こうで1人くっちゃべってろ!」


 見かねて静止したが、返って来たのは子供には似つかわしくない荒れた言葉遣い。


 子供の言う事だとバンガスにはまだ余裕がある。


「まぁまぁそんなに邪険にするな。別に恨みがあってやってる事でもないんだろう?」

「楽しいからやってんだよクソジジイ」

「ケツにストローぶち込んで膨らますんだ! あっち行ってろ!」


 あまりにも下品な子供達だった。どうしたものかと考えていると……。


「シャーッ!」

「あいてっ! この野郎噛みやがったな!」


 子供の1人が魔物の反撃に会い手を負傷する。黄色い魔物は解放され、子供達に毛を逆立て敵意を露わにする。


 腰に差していた小さな木の棒を2人は取り出した。


「こらこら暴力は……」

「いい加減うっせーよクソジジイ! この棍棒の錆にしてやろうか!?」


 クソジジイの顔も3度まで。バンガスはいい加減額に青筋を浮かべる。


「…………私はまだ、おじさんと言われる歳ではないのだがな」


 一片しばいておくかと、バンガスは魔物と子供達2人の間に立ち、1人の子の棍棒を勢いよく奪ってそれぞれの頭に一撃をかます。


「無用に虐めるな」


 かなりの痛恨だったのか2人は転げ回った。


「びゃあぁぁ痛いぃぃぃ!」

「このクソジジイ覚えてろよ!」


 そして元気そうに捨て台詞を吐き、殴り付けた場所を手で押さえつつ逃げて行った。


「ふぅ……クソガキ共が……」


 親はどんな教育してんだよ。教えはどうしたよ教えは。そんな不満を吐き出すようにして、バンガスは後ろの魔物へ振り返る。


「おい、君は大丈夫か?」

「シャーッ! シャーッ!」


 魔物の敵意は冷めやらず、傷はないかと不用意にも手を伸ばした。


「いッ……!」


 その小さい爪がバンガスの手の甲を引っ掻いた。痺れるような痛みがジワジワと広がる。


 そのまま魔物は勢いよく踵を返し林の中へと戻るのだった。


「ははは。もう捕まるなよ……」


 ま、俺が浅慮だったな。そう思いながら甲を摩る。


 座っていた所に戻るかとした時、林の奥で立つ草木を押し除ける音に顔が向いた。


 また魔物だ。林の奥で悠然と立つ、鹿の姿に似た赤毛の魔物がその視線をバンガスに向けている。


 ただただジッと……見定めるようなそれにバンガスは目を離せない。


「……まさか、俺の考える自由とは」


 バンガスはその姿を見てとしか形容出来ない物が頭に降りた。天啓の如きそれに一瞬視線を外し、そして戻すとその赤毛の魔物は既に去っている。


 真の自由。この世でもしそれを謳歌する生き物がいるのだとしたら、それは大自然を力強く生き抜く彼等の中に存在するのではないか。


 バンガスの心の内には小さな輝きが産まれた。概念として備わるそれは、おそらく手に抱える棍棒と連動しているかのように思える。


 振り返ったバンガスの瞳は見出した希望に照らされていた。変わり映えのしなかった山々が雄々しく壮大に、何もかもを受け止める度量を感じさせる景色にすり替わった。


 バンガスはその日、着の身着のまま自然の中へと繰り出した。


 大自然を師として自由を模索する1人の原人は、この時を持って産声を上げたのである。

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