第48話 芋の借り

* * * *




 いつだって夢に見る。眠りの中であれ、朝の煌々と照らす日差しにさえ、夜のさもしい影に潜む時でさえ。


 食事を致す場に於いても。王国の兵士と対する時であれ、泣き喚く子供に輪を掛ける時であれ。下卑た笑みを浮かべる客人に鎖を手渡す時であれ。


 それは何時いかなる時にでも、場所を選ばず不躾に、今目の前で起きているのだと、そんな再体験を我が身に与えるのだ。


 悲惨と言えば悲惨な過去をシューベルゲンは持っている。しかし、下へ下へと見比べてみればそれは何てことのないように思える。


 奴隷商人という肩書と立場、行動から今まで見て来た惨事などは数知れず。ならばこそ思い返せば比較的マシな生い立ちなのだろうとシューベルゲンは思う。


 自分が売られた理由もまた災害に寄与している。天から降り注いだ燃えるように血濡れた雹が記憶に焼き付いている。住んでいた村、街、国を凍えさせ焼く矛盾の災禍に見舞われた。


 人々は焼けているのに凍え、凍り付いているのに焼けている。その恐ろしさは脳という媒体に強く意識させ中心核を担うのだ。


 亡命先の国では今か今かと待ちかねていた犯罪人が軒を連ねていた。逃げる体力も無く、捕えるのは容易かったろうと同じ立場として今は見れる。


 反抗しなければ殺される事もない。なのにどうして、シューベルゲンと共に逃げて来た友の犬はそうではない。


 飼い主を守るように盾となって、そして驚くほど簡単にお互い捕まり、飢えていく様を毎日毎日見せつけられた。


 友の犬は空腹に喘ぎ苦しみその命を散らせた。


 ……あれは辛かったですね。


 シューベルゲンはしみじみと思い返す。あまり感情的な人間だと自分で思っていないが、あの時ばかりは小っ恥ずかしくなるほどに泣き喚いた。


 そのせいで気絶するまで棒で殴られたのを覚えている。


 今の立場となってみて、シューベルゲンのされたこの仕打ちは謂わば反抗心を削ぐ為のものだったのだと理解している。


 寧ろ奴隷に対して積極的に使っている。悪いとは微塵も思っていないが、それでもシューベルゲン自身救えませんねと俯瞰して思う事もあるのだ。


 凄惨な災害と愛する犬の死。この辛さに耐え難いもの等あるかと気張っていたけれど、それに疑問を呈せる程に救い難い世界が裏側にはあった。


 この世とは斯くも地獄である——。


 恐ろしくも感傷的な気分は久々だった。シューベルゲンは今し方貰った一つの芋を見る。


「……ブロンから飽きるほど貰ったのですけどね」


 どうにも断るのも億劫で、いや失礼だとも思いましたね。多少は。


 敵ばかりな世界で敵であった者。商品とする予定の者。縁の程遠い、Sランクという日向の者。そんな人間から施しを与えられてしまった。


 仇で返すのが我々の流儀ですのに。全くバンガスさんは見境がないようで。


 色々と思い返してしまうのもバンガスという男の無神経な行動故か。残響に浸る資格も無いでしょうにと自笑する。


 過去は過去でしかない。覆らないのであればどんな流れであれ先に向け身を委ねるしかない。


「危ねぇ、危ねぇ、危ねぇ!! みんな退いてくれ!!!」


 仕事に向かう人々が増えて来た街並み。その1日の初動を破壊するかの如く、一台の荒れ狂う馬車が走り来たる。


 何を興奮しているのか2匹の馬は目をギラつかせ、鼻息荒く、慌てふためく騎者の言う事を聞いていない。


 シューベルゲンは端に避けようも思ったが、ふとこの先にある店の事が気になった。


 可能性は薄いがもしこの馬車が突っ込んだら……。そう思ったシューベルゲンは自ずと前に出る。


 ふぅ、と。息を整えた。


「|止まりなさい《動くな》……」


 急所を無慈悲に握り上げるような、そんな静かな威嚇が馬をターゲットとする。


 暴走し我を忘れているであろう馬は正気に戻り、その足取りはゆっくりと速度を収め、シューベルゲンの正に直前で完全に停止する。


 上官の叱責を受けている兵士の如く。馬2匹は怯えた顔と震える体でシューベルゲンの前に硬直する。


「た、助かった」


 騎者は魂が抜けたとそんな顔付きである。


「手綱はしっかりと握らないといけませんよ」

「あ、あぁ。すまねぇ。普段はこんな事ねー筈なんだけどよ……」


 怪訝そうに馬の様子を見つめる。


 人間が気分で動くように馬もまた気分によっては荒れ狂う。全くもって正しく生物であるとシューベルゲンは思った。


 足早に通り過ぎ、再度の礼の言葉を受けながら、やっぱりわざわざ止めに入るまでもなかったかと行動の是非を考える。


「壊すのに惜しい店があそこにある。それは確かですね。念には念をと、そんな具合でよろしいのでしょうか」


 ……よく分かりませんね。


 シューベルゲンはまた貰った芋に目を向け、少し躊躇しつつも土汚れの付いたままの状態に齧り付いた。


 咀嚼すると臭いのままに土味。カブトムシの香りが口いっぱいに広がる。


 時々、生の芋の風味がお邪魔する。控えめに言っても美味しいとは思えない。


「……やっぱり生のままは食べ辛いですよ、シスター」


 平然と平らげたシスターの有様を思い出して、私にはあの振る舞いは出来かねますと一つ確信するのだった。

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