第14話 ミケ


 アカピカの灯りを頼りに広い洞窟を歩む。住み着いた魔物が居そうなものの、その気配は感じられない。


 生物というのは大なり小なり臭いを放つ。特に野生動物特有の据えた臭いは、鼻が慣れたバンガスと言えどすぐに気付けるものだ。


 大自然の環境下に身を置いているので、逆に言えば自分以外に対する感覚は非常に明瞭。生物の起こす不和を見抜ける力を持つ。


 バンガスは左手にアカピカを構え、右手にストックしてある棍棒を取り出した。


 作り置きはこれで最後。壊れたら作らにゃいけねーな。そう思いつつ更に奥へと向かって行く。


 ただ一本道を進んだ先に、円状に広がる大きな間が待ち受けていた。やはり特段魔物の気配は感じない。既に攻略されたダンジョンなのだろうか。


 バンガスは少し周りを見て無駄足だったなと踵を返す。すると——。


「ワン!」


 獣の吠えが洞窟の中で響き渡った。


 途端に向き直し構えると、バンガスの心臓が高鳴った。気付けなかった事に対する注意の甘さが冷や汗として湧き出す。


 依然として臭いは無い。なら今の声はなんなのか。


 警戒を強めたまま摺り足でこの間の奥へと歩み寄って行く。


 するとアカピカの灯りの端に何かが映り込んだ。


「ワン! ワン!」


 毛に覆われた足元が暴れ回り、鎖と思しき金属を忙しなく擦り鳴らす。更に近づいていけばそこに、何故か鎖に繋がれた姿の薄汚れた柴犬が一匹。近くには寝床なのか小さな小屋まである。


「お前……ダンジョンボスか?」

「ワン! ピーピー」

 

 左右に振り回す尻尾。舌を出して興奮するまま息を吐いている。正しく犬ではあるものの、これがダンジョンの宝を守るボスなのかそれは疑問符が浮かんだ。


 ダンジョンボスとはそのダンジョンに安置や放置されたブレイブアートの念が作り出す敵対的な存在だ。


 ブレイブアートの制作過程に於いてそこには必ず妖精の『誰かに使ってほしい』といった願いが込められる。


 これが使われる事なく長年の月日が立つと、ブレイブアート自身が負の情念を撒き散らす。それが形作ったものがダンジョンボスとなる訳である。


 製作者の精霊の想いが強ければ強いほど強力なダンジョンボスが現出する。


 ただ、今バンガスの目の前にいるこの柴犬が果たしてそのダンジョンボスに該当する存在なのか。経験には無い事態なのでバンガスも頭を悩ませる。


「うーん。なんで芝犬なんだ?」

「ワワン! ワン!」


 柴犬はただ吠えた。


「ダンジョン『ミケ』か……。もしかしてお前がミケなのか?」

「ワン!」

「分んねぇよ犬語」

「ハッハッハッハッハ」


 困ったな……。そもそもダンジョンボスは目に合った生物全てに襲い掛かるほど凶暴。なら、この犬の反応はダンジョンボスとはまた違うのか?。


 バンガスの経験で一つだけ確かなのは、出会ったダンジョンボスのその全てが血気盛んに襲い掛かってきた事。棍棒を脇に挟み恐る恐る拳を柴犬の前に突き出す。


 柴犬は何度かその拳に鼻を鳴らした後、長い舌で一つペロンと舐めた。あ、違うなこりゃ。バンガスは警戒心が緩んだ。


「宝っつー宝も無ぇみたいだし。お前捨てられたのかよ?」

「キャン!」

「人語介せって。魂を近付けろもっと」


 動き回りチャラチャラと叩く鎖の音が鬱陶しく感じるバンガス。もし、特殊なギミックがあるのなら、鍵はこの鎖自体にと考える事も出来る。


「この鎖がトリガーにって可能性もありそうな雰囲気。でもこのままにゃしとけんよな……」


 仮にダンジョンボスだろうと、バンガスの自由を模索し続けるその在り方が、柴犬を縛っているこの鎖に対して嫌悪感を持たせる。


 これを壊す事自体バンガスにとって容易な事である。


「ま、壊して覚醒でもすんならバトろうか。……せーの!」


 バンガスは考える事を止め、柴犬の鎖に向け棍棒を叩き下ろした。易々と砕かれた金属が散り、柴犬は首から紐の如く残る短い鎖を引き摺って駆け回る。


「ハッハッハッ。クーンクーン」

「本当にただの犬……? 酷い飼い主だなマジで」


 柴犬は立ち上がり前の手をバンガスの膝上に置く。一つとして変わらない振る舞い。周囲の状況にも気を張っていたがここも変化無し。


 バンガスは潤んだ瞳の柴犬を見つめる。大きくため息を吐いて、ただの犬に馬鹿みたいな警戒して阿呆らしいと、棍棒をレザーコートに仕舞いその手で肉を取り出す。生ではなく焼きの。


「食うか?」

「ワン!」

「あの後纏めて焼いておいて良かったぜ」


 小川での大騒動の後、撤収して行く目が覚めたギルドの面々を横目に生肉を火に投じた。燃料が勿体なかったのでついでに焼いておいたのだ。


 まぁ犬なら生肉だろうが消化出来るからそもそも心配は要らねぇんだがな。でも熱入れた方が美味い。


 バンガスは肉に齧り付く柴犬の姿を暫く見つめていた。


「食ったな。わりぃが俺はお前の面倒は見られねぇ。着いてきても飼うつもりは無いから1人自由に生きろ」

「ワン!」

「……流石に動物と会話するセイントアイテムは持ってねーな」


 食べ終えた柴犬と少し遊んだ後、バンガスはその間から立ち去った。


 柴犬はバンガスの言葉の意味を察したのかどうなのか。


 背後に着いてくる気配はなくあの場に留まるようだった。


 後ろ髪は引かれたが残るのであれば、それはあの柴犬の意思なのだろう。バンガスは柴犬の中に自由を見た。


 入り口まで戻りアカピカも仕舞い。バンガスは最後に振り返る。


「一体何だったんだこのダンジョン……アイテム回収して犬だけ捨ててった? てかそもそもミケって名前か? 犬に付ける名前なのか? 何でこんな森の奥に……」


 疑問はあれど一期一会の醍醐味か。あまり考えないでおこうと、バンガスは更に湖のほとりにまで出る。


 暗いダンジョンから帰還した際に浴びる日差し。この浄化されるような気持ち良さもやはり懐かしい。


 その空気に水を差すようにバンガスは自分に近づく何人かの足音を聴く。目を向けた先はバンガスがダンジョン突入前に通って来た湖沿い。


「ゲッ……」


 バンガスはこちらに向かって歩く4人の人姿を見て苦々しくそう吐き出した。


 気分が台無しだと、また棍棒を取り出してバンガスからも歩み寄る。


「バンガス殿とお見受けする。少々お話があるのだが……」

「ギルドには入らねーぞ」


 話しかけたのは黒く日焼けした肌に濃い古傷が目立つ壮年の男。後ろには帽子を深く被るやたらと背の低い女の子と、緊張した面持ちである若い男女が2名。


 全員簡素と見える赤い胸当てと、同じく赤く透明感のあるイヤリングをそれぞれ付けていた。

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