第9話 マッチとポップ
口の中にジワリと広がる濃厚な甘み。マッチポップはそれを右と左と転がせる。
「ほうは。はんはふはんはほふほひっはひひはひは」
「そうだ。バンガスさん誘うの失敗しました、ね。うん分かってたよ。やっぱ難しいと思うから無理しないでいいよ」
口調が優しいというよりは覇気がない。吹いて飛んで行きそうな灰の如き存在感である。
マッチポップは飴を虫歯の無い歯で噛むと、そのままバリボリ砕き名残惜しくも飲み込んだ。
「飴はちょい舐めの噛む派です。バンガスさんは絶対運び屋に誘います。それはもう覆せない心に決めた事ですので」
「……最近依頼中に魔物や盗賊に襲われるメンバーが増えて来ている。戦闘力の底上げは急務だけど展望の持てない者に執着するのはよくないよ。入ってくれたら嬉しい事はないけどね」
エネムは席からゆっくりと立ち上がり、意志の強い眼光を写真立てに向ける。
「ほ、ん、ね、は?」
「欲しいいいいいぃぃぃぃ! 超欲しいんだもおおおん! ギルドランク上げたいよおおおん!!」
「その言葉が聞きたかった! 継続! 継続!」
わいのわいの騒ぎ立てる2人だった。
ギルドランクとはそのギルドの社会的貢献度、人材、所持しているブレイブアート付与アイテムの強さで上下する。
上位に行けば行くほど税制上の優遇を得られるどころか、国の許可が無ければ立ち入れないダンジョンへの突入、また凡ゆるレアな素材の採掘権も優先的に取れる。
他にもあるが、兎に角上げれば上げるだけ得をする。そんな制度がギルドランクというものだ。個人のランクも影響する以上、バンガスという最高ランクの持ち主は喉から手が出るほどに欲しい。これは運び屋に限らず何処もそうだ。
ギルドに所属する者の目的として、やはり集合体の中で名声を得る事を第一にする。個人ランクは大抵後から付随する。ギルドがあっての個人なのだ。
ギルド長エネムは歩き出すと写真立ての前に立ち、その中の一つを取って席に戻る。
エネムに見せられたそれはギルド員との集合写真であり、今はもう亡くなってしまったり考えの相違から抜けてしまった者もいる。
その中央に、年若いエネムに頭を撫でられる、不愉快な目をする膨れた女の子が1人写っていた。
「懐かしい写真ですね」
「道で拾ってから1週間後くらいの写真だからね。立派に育ったもんだよ本当」
「いやぁ照れるなぁ」
「褒めまくりアゲアゲ。さらに大きく肥え太れえええ!! プヨプヨナンバーワン!!」
「集えカロリー! 燃やすな筋肉!」
「蓄えろ! 蓄えろ! 蓄えろ!」
マッチポップはこのエネム・トールホワイト。自分の義父にあたる男と出会った日の事は未だ鮮明に焼き付いていた。
——棒の様な足。歩き続けたせいか痛みの感覚すら無くなって、視界が回り何もかもがボヤけて見える。
お腹空いた、お腹すいた、お腹空いた。ただそれだけしか考えられない。時々襲う、絞り上げるような胃か腸の痛みだけがアクセントとなる。
元々煌びやかだった衣服は埃やゴミ、糞尿の一部を吸い上げ悪臭を放つ。道ですれ違う者達は一様に不快だと鼻を抑え視線を注いだ。
他人の目線が自分の命よりも気になってしまう。その思考が女の子を大通りから脇道へ、脇道から小道へ、小道から家と家の隅に追いやるが、その孤独で静かに休める空間は逆に救いだった。
強く握り締めたボロボロな絵本を開くと体の不調が和らぐ気がした。家から抜け出せたその子のただ一つの拠り所である。
題は『頑張る子マッチ』。マッチという主人公が困っている人の手助けをし感謝されるといった内容。一字一句、絵の端から端まで覚え切ってもなお、その絵本をめくる時は苦を忘れ楽しさを感じられた。
片隅で絵本の世界にのめり込んでいると、それを打ち壊すかのように後ろで声が聞こえた。
「おええええええええぇぇぇ!!! ぎもぢわるいいいいい! 飲み過ぎちゃったよフェンルルちゃああん!!」
「吐け。馬鹿エネム」
「オッサンのマーライオン。ライドオンぇええええぇぇぇぇ!!」
涙と鼻水とゲロを吐き出す、下品の塊がそこに居たのだ。女の子は苛立ちながら無言で視線を向けていると男と目が合う。
「フェンルルちゃん! フェンルルちゃん! あそこに可愛い女の子の妖精さんがいるよ! こりゃ儲けもんだぜい!(幻覚)」
「何を言って……あ、本当に居る」
男の他に居るのは灰色の頭髪に二つの獣耳を生やす、肩やお腹、足の際どいラインを外に晒した女性だった。
2人の視線が注がれると途端に恐怖心が湧いた。絵本を強く胸に抱える。
「君迷子? アイム吐き子」
「黙っていろ。……1人か?」
同性に優しく語りかけられた。怖がりつつも警戒のほつれが一つ取れ、女の子は静かに頭を縦に振る。
「お名前を教えておくんなまし」
「不貞の子」
反射的に口が開いた。枯れ痰の混じる声色に恥ずかしさを感じる。
「不貞の子……かい?」
「名前なのか?」
男と女の2人は怪訝そうに顔を見やり、そしてまた女の子へと視線が戻る。
「訳アリっぽい感じだね。あっ! そういえばさっきのお店でこれ貰ったんだった」
男は懐に手を入れて不躾にも近付き、女の子はその行動にひっくり返るような恐怖と拒否感を覚えた。思わず背中を見せる。
「はい上げる。飴ちゃんをどうぞ」
横から差し出された手には、透明な包装がされた真白く丸い玉が乗っていた。女の子は焦り取り上げ袋ごと口に放る。
咳が出て口の中が鉄の味でいっぱいになる。包装故に最初は味がしなかったが、転がしているとそれは外れ、覆い隠すように甘さが広がった。
「袋を取る余裕も無いか。うむ、これは孤児に違いない。私には分かる」
「不貞の子ってのも雑に付けられちゃったのかな? わがんね! もう全部分かんね!! 飴ちゃんリピート、プレゼント!」
次の飴が差し出され受け取り、女の子は急いで口の中の物を噛みしだく。包装ごと飲み込もうとしたが枯れた喉では通らず吐き出した。
吐いてしまった事を咎められないか。恐怖心はあれど申し訳なさが勝ち、女の子の体を前に向けさせる。
男は熱った顔でにっこりと笑っていて、ふと何かに気付いたように胸の辺りに目が行った。
「『頑張る子マッチ』。それと飴……ポップか。良し! 今日から君はポップコーン! あたっ」
男は頭を摩る。離れた女性が頭部の付け耳を外し、勢いよく男へと投げ飛ばしたのである。命中率が良い。
「勝手に名前を付けるな。それにマッチポップだろその組み合わせなら。……もしかしたら家族が探しているかもしれないし一旦保護するか」
「怪しいおじさんが捕まえちゃうよーん。ほい抱っこ!!」
きっと冗談のつもりだったのだろう。しかし女の子は広げられた胸の内に、自分でも分からないが吸い寄せられていた。ただ目を瞑りしがみつく。
男は丸くなった目を女性へと向けて、女性は仕方ないだろと言いたげにニヒルに笑う。
暗い視界に浮遊感が生まれた。恐る恐る開けた瞳は地面が遠く、地面の石タイルがふらふらと動き出した。
アルコールの匂いと酸の臭いが混じり合って鼻腔に届く。
「……おじさんのゲロの方が臭いからね」
「それは違いない」
マッチポップという1人の女の子。そしてエネム・トールホワイトという男。ついでにギルド員のフェンルルが1人。これがギルド『運び屋』に通じる最初の出会いとなったのである。
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