第4話 月夜の秘め事 その1
お城で暮らして三日、困ったことが起こった。
お風呂に入りたい!
いや、部屋に風呂はある。メイドのイルゼはテティの黒いもこもこの毛皮を毎日のように洗ってくれて、魔導具のどらいあ~でごおおおっと乾かしてふかふかにしてくれる。さらにブラッシングでつやつやだ。
が、お風呂に入りたい。というか、ぶっちゃけ水浴びでいい。森では“裸”になっていつも水浴びだったし。
金の蛇口をひねればシャワーは出るけど、お風呂を使ったとわかったなら、イルゼは疑問に思うはずだ。毎日、就寝前と就寝後にお風呂に二度どうして入るのか?なんて。
テティはうーんと腕を組んで考えた。というか、すでに目星はつけてある。
就寝後、天蓋のカーテンが「おやすみなさい」と閉められて、しばらくしてテティはベッドからぴょんと飛び降りた。
ととと……と走って部屋の次の次の間へと駆けていく。ここは二階だけど、そんなことはまったくとんちゃくせずに、バルコニーの柵をぴょんと跳び越えて、下へくるりと回転しながら降りる。
ぱふっ! と着地。両手を広げてじゃーん! とポーズを決めてしまうのはなんとな~くだ。
飛び降りた場所は、宮殿の奥にある中庭。その中心に泉のような噴水がある。
テティは“裸”になって、ぱしゃんとその噴水に飛び込んだ。
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
ここ数日の騒動で溜(た)まっていた執務を片付けていたら、すっかり夜も更けていた。グラムファフナーは表の執務室より、奥の自分に与えられた居室に向かっていた。
広い宮殿。一番の近道は、中庭を突っ切ることだ。この時間となれば人通りはなく、コツ……と石畳に靴音が響く。
ぱしゃりと聞こえた水音に美しい眉間にかすかにしわが寄る。こんな時間に噴水で遊んでいる者がいるのか?
そこに石畳の上に投げ出された黒い小さなものが目につく。なにか違和感を感じて、それを拾い上げれば既視感があった。
これはなにかの抜け殻だ。まるでぬいぐるみのクマのもこもこの毛皮だけのような。
まさかとぎょっとした瞬間に、またパシャリと水音がして、顔をあげてグラムファフナーは切れ長の目を大きく見開いた。まさしく黒い目がテンとなる。
噴水の泉にいるのは人魚か?いや下半身はすんなり白い足が揺れている。月色の緩く波をうつ長い髪に幼さを少し残した丸い頬。花のように小さな唇に、ツンと少し上向きの形のよい鼻。
こう表現すると少女のようだ。いや、可憐で美しい顔立ちも細い身体も美しい少女そのものだが、その胸は真っ平らで隠すものもなにもないゆらゆらゆれる水面で見える足の間からして、しっかり男の子だとわかる。
そして、黒い毛皮をまとっていたときでも、印象的だった、緑葉の色の輝く瞳。
「テティ」
それは直感だった。これはテティだ。そして自分が手にしているのは、テティの皮というのは妙な表現か。では、世を忍ぶ仮の姿?いや、この表現もなにか違う。地獄で悪魔が笑っているような声が聞こえる。
とにかくこれはテティだ。そう、思った瞬間、硬直していた人魚じゃない少年がぱしゃんと水音を立てて立ち上がって逃げようとした。
全裸で。
腕を伸ばして、その細い腰をぐいと抱え込んだ。逃げるのに背を向けるのではなく、こちらに向かってくるとはなんだ?と思う。
「は、離して!」
「こら暴れるな。大きな声を出すと」
人が寄ってきて見られたらどうする?と言いたかったが、それ以上声を出しては本当に衛兵がやってきそうなので、口をふさぐことした。
「んっ…んんんっ!」
かぷりとかみつくように口づけて、舌までからめておいて、ここまでする必要があったかな?と思ったが、しかし、腕の中の身体がジタバタ暴れているので、思うさま吸って舐めてやったらくったりとした。
そのまま抱きあげて、誰かに見つからないうちにさっさと自室に運んだが。
「変態!」
我に返ったテティに言われる。なかなかにぐっさりきた。
「は、初めてキスした!」
そうか初めてだったのか。初めてか……とグラムファフナーはむっつりと噛みしめた。
「なんであんなところで水浴びしていたんだ?」
「身体を洗いたかったんだよ」
「風呂に入ればいいじゃないか?」
「毎日入ってるよ! イルゼが丁寧に毛皮を乾かしてくれて、ブラッシングしてくれる。ピカピカなの毎日見てるでしょ?」
「ああ」
「でも、いきなり裸になったらイルゼ、びっくりするかな~って遠慮していたんだけど、かゆくなってきちゃって」
そう、その姿は裸なのか。裸……とグラムファフナーは知った。
そして、くしゅんとテティは小さくくしゃみした。そりゃ夜に噴水で水浴びすれば冷えるだろう。
「私の部屋の風呂にはいるか?」
「うん!」
元気よく返事した。
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
バスタブにもこもこの泡をたてて、テティはご機嫌で入浴している。グラムファフナーは浴室の入り口に寄りかかってそれを眺める。
「このふわふわの薔薇の匂いがするあわあわのお風呂好き」
「そうか」
「森ではずっと泉で水浴びだったしね」
白に金色の猫足のバスタブにもこもこのお風呂。キラキラ輝く月色の長い髪に、緑葉の瞳のマーメイドが浮かんでいる。いや、足はある。にゅうっと泡からすらりとした手足がのぞくのがなまめかしい。
「それでそれがテティの本当の姿なのか?」
そう問えばキョトンして、こちらをみてバスタブのふちにのせた腕に、小さな顔をのせて上目遣いに見る。
「テティはテティだよ」
「そうか」
「こっちの姿もあっちの姿も本当。あ、でもダンダルフはこの姿は人に見られちゃダメだって言っていたな。
もし、見られたら……」
「見られたら?」
「そいつの頭を星のロッドでボコれって」
「…………」
「頭にお星さまが飛び散って忘れちゃうからって」そうテティはあどけなく続けた。鉄かぶとがぺっこりへこむ一撃だ。それは記憶が無くなるどころか、命が無くなることになりはしないか?
テティは空中からお星さまが先についたロッドを取り出して、じっと見ている。今は黒いもこもこのお手々ではなく、白く細い指にその爪は桜貝のようなどっちの手も可愛らしいが、たぶん、その一撃の重さは変わらないだろうと、グラムファフナーには妙な確信があった。
ぱこりとされればお星さまも飛び散るが、赤いなにかも飛び散りそうだ。
「なぐるのか?」と訊けばテティはぶんぶんと首をふる。「やらない」とぽいと空中にロッドを放り投げれば、それはポワンと消えた。
「グラムのかっこよい頭の形がゆがむのはやだよ。そのとびきりいい顔も気に入っているし」
「それは命拾いしたな」
素直な感想だ。マクシにも「その顔だけで百倍人生得しているよな」と言われているが。
正直、己の顔の造作になど、長い己の生でさして気にしたことはなかったが、この可愛いが凶暴な相手に有効だったことは感謝しよう。
「だからね、これはグラムとテティの内緒にしよう。誰にも言っちゃダメだよ」
「ね?」と緑葉の瞳が上目づかいでうかがうのに、否やはない。こくりとうなずいた。
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