第8話 三年会議 その2
王宮のメイド、イルゼは就寝時間後、今夜も空の寝台を確認した。明日も彼女の仕える小さなクロクマは、朝帰り決定のようである。
朝にはベッドの天蓋を開けば、愛らしい姿はそこにあって「おはよう」と言ってくれる。たまに朝寝坊されて、こそこそとお部屋に戻ってくるときがあって、そのときは「悪いクマさんですね」と叱るとうなだれてもじもじしている。そんな姿も愛らしくて、つい許してしまう。
真夜中テティがなにをしているのか。それは聞かないように、かなり最初の頃に宰相様からは言われているのだ。
王宮の廊下で向こうからお姿が見えて、脇にひかえていると、目の前に立ち止まられて、ひと言言われた。
「テティが夜に抜け出しても、どこに行っているか聞かないでくれ」
たしかに相手は不思議なクマさんなのだから、仕えるメイドの自分が詮索することではないかもしれない。
もしかして、宰相様の密命を受けて、テティ様は王都の悪を斬ってらっしゃるのかもしれない! と、その手の冒険小説を読むのが趣味のメイドは夢想する。
明かりの燭台を手に自分の部屋へと戻る。王宮の長い廊下で彼女は暗がりをよぎったものに、息を呑んだ。
「……若い娘、お前でもかまわない……」
キャアとあげかけた悲鳴は、その影がかかげた銀色の鳥かごに吸い込まれた。
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
真夜中、テティはぱちりと目を覚ました。グラムファフナーも同様。寝台から飛び降りて駆け出せば「二度目だな」とグラムファフナーに言われてうなずく。
月色の髪をなびかせてテティは駆け出した。
あのときはヘンリックの部屋にまっすぐ向かったが、今回の魔の気配はテティの部屋の近くの廊下だ。
「イルゼ!」
テティは倒れているメイドを抱き起こした。息はある、だけど魂が抜かれようとしている。まだ細いけれど、身体とつながっている。いまなら引き戻せる。
「待て!」とグラムファフナーの声が聞こえたけれど、テティはイルゼのひたいに自分のひたいをあてて、彼女の精神へと飛びこんだ。
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
一瞬、世界は真っ暗になる。
やがて見えたのは薄ぼんやりとした明かりの数々。あれは魂だ。不気味な枯れ木の先につり下げられた銀の鳥かごに入れられている、若い女達の。
ふらふらと歩み寄ろうとしているイルゼの後ろ姿に、テティは手を伸ばして彼女の腕を捕らえた。
「あっちにいっちゃ駄目だ!」と引き戻す。
「逃さない!」
そんな声が頭に響いて、木からザン! とまっ白な髪の毛のようなものが伸びる。イルゼを捕らえようとしたそれを、テティは星のロッドを取り出して断ち切った。
しかし、その一房がテティの手首に絡みつく。テティは瞬間、顔をしかめる。すこし魔力を吸われた。
「ああ、なんて極上の甘い魔力、生気、若さ。お前さえいればなにもいらないわ」
恐ろしい声とともに木から再び飛び出した白いそれが、テティを捕らえようとするが。
「テティ!」
閉ざされた世界に響くグラムファフナーの声。テティが「グラム!」と応えれば、腕を掴んだイルゼごと引き上げられた。
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
パチリと目を覚ますと、自分をのぞきこむグラムファフナーの心配そうな顔があった。
横を見ればイルゼも「う……」と意識を取りもどす。
「イルゼ!」
テティが呼びかけると、彼女は開いた目をさらに大きく見開いて「テティ様……」とつぶやく。
今の姿は黒い皮を脱いだ姿だった! とテティが思い出すより早く、イルゼはテティに抱きついてきた。
「テティ様、テティ様、テティ様、助けていただいてありがとうございます」
「イルゼ、僕がわかるの?」
「はい!」
彼女の心に飛びこんで魂で触れあったのだから、わかって当たり前といえた。
「よかった」とイルゼと笑いあっていると「まったく、無茶をする」と頭上から降ってきた声。不機嫌と心配がないまぜになった表情のグラムファフナーにテティは「ごめんなさい」と首をすくめた。
「グラムが引っぱってくれて助かった」
「もう少し引き上げるのが遅かったら、お前も呑み込まれていたぞ」
それには「うん」とテティもうなずいて、彼にしては珍しく深刻な顔となる。
「相手はもうすっかり魔物と化している。捕らえられている魂もなんとか解放しなきゃ……」
「テティ様」とぐすりと感激に涙するイルゼをちらりと見て、テティはグラムの長い耳にぼそりと告げる。
「そうか、……の匂いか」
グラムファフナーもまた、テティにしか聞こえない声でつぶやいたのだった。
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