第9話 とらわれた妖精 その1




 その日、テティはグラムファフナーとともに馬車に乗り、彼の邸宅へと向かっていた。いつもの“帰宅”だ。


 三年会議の開催中であるが、もともと会議目的ではなく、東西南北を固める代表が王都に集まることが大事な行事だ。

 魔法学園長のシビルは王都の分校の視察。大神官長のモロドワもまた、王都の大聖堂を預かる神官達との懇談会がはいっている。そんな中日。


 王都にはいまだ目覚めぬ女達に、噂の種はくすぶっていて、その中心である宰相と月色の髪の姫君が、淡々と変わることなく日常を過ごしている。それこそが噂を払拭することだ……とは建前。


 テティが屋敷に“帰って”来ることをランダ以下の屋敷の者達が大変楽しみにするようになったのだ。宰相となったグラムファフナーは屋敷に戻ることは滅多になく、主人不在の屋敷は火が消えたよう……だったのが、グラムファフナーがテティを伴ってきたことで、まるで春がやってきたようだと。


 テティもまた屋敷の者達と会うことを楽しみにしていた。「グラムの家族だよね」と言われて、彼は軽く目を見開いた。

 たしかに北の氷の城の領主となって百年。自分を支えてくれた生き残りの魔族達だ。宰相となったときも都に伴ってきた。今も自分の手足となって情報収集など働いてくれている。


 「そうだな」と彼は微笑んで、膝のテティのもこもこの頭をなでたのだった。




   ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇




 馬車を迎えるため、屋敷の門が開いたとき、それは起こった。

 「お願いがございます!」と馬車の前に身を投げ出すように、貧しい身なりの中年の男が一人飛び出してきたのだ。


 男は石畳にうずくまるように「お願いします。お願いします。宰相様にお願いがございます」と訴える。門番達がそんな男を馬車の前から退かそうとしたところ「待て」とグラムファフナーが馬車の外へと出た。


 黒衣の宰相の姿を見るなり、男はひときわ大きく「お願いします」と地面にひたいをすりつけんばかりに、うずくまった。

 グラムは「顔をあげて立ちなさい」と男に告げる。男は顔はあげたが、地面に両膝をついたままグラムファフナーに早口で訴えた。


 自分の娘が例の魂狩りに襲われ、眠ったまま目覚めないこと。

 王宮にて月色の姫君が襲われかけた娘を引き戻したと耳にしたこと。


「どうか、どうか、月色の姫君のお力で娘を目覚めさせてください!もう娘は一月も眠りっぱなしで、いつ、いつ、死んでしまうかと……」

「その話は誰に聞いた?」

「町の呪術師です」


 占いやまじないで生計を立てている、下級の魔術師だ。娘が眠り続けていると悩む男に、その呪術師は宮廷魔道士の知り合いから、耳にした噂話を男に話したのだという。


「その呪術師の名は?」


 男は「ジャン」と答えた。彼がその片隅を店代わりにしている酒場の名も。

 そして、男は「娘を月色の姫君にみてもらいたい」と再度訴えた。グラムは「それはすぐには……」と口にしかけたところ。


「待って、グラム」


 馬車の扉が開いて、ふわりと空色のドレスのスカートがひるがえる。月色の髪を濃紺のリボンでゆるくまとめた姿の月色の姫君、テティが姿を現すと男はポカンと口を開けてその姿を見る。それは、門番達も同様だ。


 さっきまで馬車の中ではクロクマの姿だったテティは、グラムファフナーと男が会話しているあいだに素早く着替えたのだ。

 ちらりと緑葉の瞳で、黒衣のエルフをうかがえば、眉間にしわが寄っている。


 男はまばたき三つほどのあいだ、月色の姫君に見とれたあと「お願いでございます」とそのドレスの裾にすがらんばかりに平伏して訴えた。


「娘を、娘を助けてください!」

「いいよ」

「テティ!」


 軽く答えたテティにグラムファフナーが声をあげる。「だって、このお父さんすごく娘さんのこと心配してるよ」と答え。


「グラムがいれば大丈夫でしょ?」

「まったくお前は」


 小首をかしげて微笑むテティに、グラムファフナーは折れたのだった。




   ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇




 男が娘と暮らしているのは一階が商家の建物の最上階の五階だった。長い階段を昇らねばならない上の部屋ほど家賃は安い。

 台所に食堂と居間を兼ねた、部屋の向こうの寝室に娘は寝ていた。男の話では働いている酒場からの帰りの夜道で、魂狩りにあってそれから一月寝たきりだという。


 王宮から派遣される施術師による癒しで命をつなげているとも。それには王様と宰相様に感謝していると男は述べた。


「でも……一月も娘は眠り続けたまま、目覚める気配もありません。もしかして、一生このまま……」


 おいおいと泣き出した父親にテティは「大丈夫」と答えて、娘の眠る寝台に歩み寄る。ひたいをあわせようとすると「テティ」とグラムの声がかかる。


 それにテティは振り返り「グラムがちゃんと捕まえておいてくれるんでしょ?」とにっこり笑う。「まったく」とグラムは呆れながらも、娘の眠るベッドの枕元に腰掛ける、テティの肩にグラムファフナーの手が置かれる。


 テティは娘のひたいに己のひたいをくっつけて、眠る娘の意識の中へと飛びこんだ。





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