第11話 裸足のお姫様 その2




 王宮は水晶の間と呼ばれる大広間。その名の通りに天井にはいくつものクリスタルのシャンデリアに壁の枝燭台がきらめく。


 揺れる水晶灯の黄金の光に照らされた広間は、夢の世界のようだった。広間の天井一杯に描かれた、創世の神話の絵と相まって。


 華やかな夜会。勇者王アルハイトが崩御したこともあり、それからこのような会はずっと開かれてなかった。久々の宴に人々が浮かれていたことはいうまでもない。


 まして、今夜のもう一つの目的は、グラムファフナーとマクシ。勇者の仲間である二人は、いまや国の中枢を担う宰相に親衛隊長であり、ふたりともあの老王だった勇者王と一緒に旅をしたとは思えないほど、若々しい美男子なのだ。


 どの有力貴族の家も自分の娘を目一杯着飾らせていた。流行のドレスに宝石に香水の匂いと、それはまるで大輪の花々が咲き誇る温室のようだったが。


「良い匂いも度が過ぎると鼻が曲がるな」

「お前は狼だからな」


 となりに立つマクシが顔をしかめるのに、グラムファフナーはくすりと笑う。


 いつも制服の上着を肩に引っかけ、シャツの胸をはだけている赤狼騎士団の団長であるが今日はさすがに首元のボタンまできっちり留めた上に、臙脂のマントをまとった正装姿だ。七ペース弱(二メートル)の長身に相応しい、戦う為の必要な筋肉がついた見事な身体。燃えるような赤毛に金色の瞳。狼の耳に尻尾の獣人たる異形も、この男の野性味と相まって人間の女には魅力的に映るだろう。

 そんな気持ちもこめて「赤狼の親衛隊長の腕に抱かれたいと願う花々ばかりだ。その香りを嫌ってやるな」と口にすれば「お前が言うと嫌みだぞ」と顔をしかめられた。


「俺がモテないなんて言わねぇぞ。だが、今夜の女どもの一番の目当ては、美貌の宰相閣下殿だ」


 グラムファフナーは宰相としていつもしっかりとした服装であるが、今日は夜会ということでマントつきの正装だ。常に黒衣の宰相は今日も黒衣であったが、青に赤に白の華やかな宮廷服を着けた貴公子達よりも、その存在感は群を抜いていた。


 たとえ彼が宰相でなくとも、誰もが目を留めただろう。腰までの艶やかな黒髪に、理知的な黒い切れ長の瞳。横に立つマクシよりは低いが、それでも十分にすらりとした長身に長い手足。

 それよりなによりまとう雰囲気の高貴さよ。彼が歩く所作の一つ一つ、その歩みの一歩一歩にさえ、楽の音が響くようだと例えたのは、いつの時代の宮廷詩人であったか。

 そして、同時にどこか影のある眼差しは蠱惑的でもあった。これがエルフと魔族の禁断の魔性か……とささやかれるのも道理だ。


「まったく、お前はその顔だけで得しているな」

「以前にもよく言ったな」

「宰相閣下になら明日、この身が破滅しても抱かれたいっていう女も出るだろうさ」

「私は淫魔インキュバスになった覚えはないぞ」


 「それよりもっとタチが悪そうだ」とかつての仲間は軽口をたたく。そして、彼は続けて「どうする?」とさらに横の椅子につまらなそうに腰掛けるヘンリックを見た。

 王である彼は夜会の初めに顔を出して、最初のひと踊りを見てすぐに退出する予定だ。大人達の欲望だらけの夜会からなど、すぐに解放してやるべきだろう。


 しかし、最初の相手。それが問題だ。


「下手に手をとったら、その娘とすぐに結婚か? と噂されそうだ」


 そうマクシがぼやけば。


「ならば私とお前で踊るか?」


 グラムファフナーが返す。「そりゃ面白いな」とマクシがのりかけたところで、広間の入り口、翼の大扉でざわめきが起こった。




   ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇




 真っ赤なドレスに映える月色の豊かな髪。その髪に付けられているのは、星蛍草のほのかに白く輝く珍しい花。摘めばすぐにしぼんでしまうという伝説それが、波打つ髪に大粒の真珠のごとく揺れていた。

 白い小さな顔は白粉一つはたいていない。だが、ミルク色の肌に薔薇色の血色と、これ以上に自然な化粧はあるだろうか? 唇もまた紅など塗らずとも、淡く可憐な花の色だ。


 そして、長いまつげに縁取られた大きな緑葉の瞳は、きょろきょろと誰かを探しているようだった。その瞳は無垢であどけなくて、そんな宝石を狙うように着飾った貴族の伊達男どもがちらちらと視線を送っていて、危なっかしい。


 それとは逆に貴婦人達は明らかに敵意の視線を向けて、こそこそ扇の内側で噂し合う。


「なんですか? あの下品なドレス。宝石一つつけていないなんて貧乏くさい」

「髪も結い上げもしないで、あんな野の花をあちこちにくっつけて、不潔だわ」

「あらあら、足下を見てご覧なさい、裸足よ」


 その赤いドレスからちらちらのぞく白い小さな足には靴をはいていない。


「とんだ裸足の姫ね」

「どこの盛り場からやってきた、ご令嬢かしら?」


 暗に娼婦ではないか? ……とそんな風にけなしながら、彼女達は裸足のひたひたという歩みが近づくと、海が割れるようにさあっと引いてしまう。

 この輝くような美しい存在の隣に立てば、どんな宝石で着飾ってようとも己が見劣りするのが、本能的にわかっての行動だった。


 グラムファフナーは逆に、目にした瞬間から、真っ直ぐに歩み寄って、その白い手をさらうように取っていた。赤いドレスの腰を抱けば、音楽が自然に流れ出す。


「グラム、いた!」


 テティはとたん花開くように笑顔を浮かべる。黒衣の宰相の腕の中で艶然と微笑む、その赤いドレスに人々の目はますます釘付けとなる。


「ひどいよ、舞踏会のこと僕に黙っているなんて!」

「すまなかった。適当にあしらって、お前の待つ寝台に帰るつもりだったんだが」

「他の人と踊るなんてダメ! グラムはテティとだけ踊っていればいいの!」

「お前とだけか?」

「約束してくれる?」

「ああ、約束しよう」


 くるくる二人は踊りながら、テティは上目づかいにグラムを見て、グラムはそんなテティのひたいにこつんとひたいをくっつけて、クスクスと笑いあう。

 踊る二人を華やかに着飾った紳士淑女達は遠巻きに囲んで見るしかなかった。圧倒的な二人の世界に。


 誰も近づけないような美しさと存在感の二人は、二曲ばかり楽しそうに踊ってから、満足したとばかり広間をあとにした。

 グラムファフナーに手を取られた裸足の姫君の前に、誰も呼び止める者などいなかった。


 マクシさえも口をぽかんとあけて眺めて、我に返ったあとに「あいつ、この場を俺に丸投げしやがった」とぼやいた。主賓の宰相がとびきり美しい姫君と去ってしまったこの会場の収拾をどう付けろというのだ。


「……あの姫の名前はなんというのだろう?」


 横から聞こえた声にマクシは横を見てギョッ! と目を見開いた。


 そこには幼い王ヘンリックが椅子から立ち上がり、頬を染めて裸足の姫君が消えた扉の向こうを陶然と見つめていたのだ。

 そのうるんだ瞳はたった今、初恋に落ちましたという少年の気持ちの高揚そのままを映している。


「とても綺麗な月色の髪に緑葉の瞳。お名前だけでも知りたかったな。宰相に聞けば答えてくれるだろうか?」

「…………」


 なんてやっかいごとの種をばらまいてくれたんだと、マクシが頭を抱えたのはいうまでもない。






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