第13話 見えないお化け その2
その夜。
グラムファフナーに抱きしめられて寝ていたテティは、ぱちりと目を開いた。グラムファフナーも同時に目を覚まして、寝台から身を起こす。その腕に抱かれていたテティも当然、同じく。
彼の腕から抜け出して、ぺたりと裸足の足を床につけた。そのまま、ひたひたと歩いて寝室の外へと。月色の髪と白いレースのガウンをなびかせて、次々と部屋を抜ける。
グラムファフナーもまた後ろから付いてくる。こらちもガウン姿で、その手にはいつのまにか長剣があった。
テティがバンと扉を開けてたどりついたのは、王の寝室。
大きな天蓋付きの寝台には、小さな王様がすやすや眠っている。
が、その開いた天蓋のカーテンからは、そのヘンリックの白く細い首に、いまにも噛みつこうと大口を開いた、赤く目を光らせた異形の姿があった。
テティはその寝台めがけて跳んだ。夜の闇にも発光するように浮かびあがる、すんなりとしなやかな白い足の蹴りが、異形の身体を吹っ飛ばした。
床に叩きつけられたそれが、ぼよんと妙な感じで弾んだ。よく見れば異様に太った人間の男の身体だ。監獄塔の貴賓室に閉じこめられて、誰も見ないのに毎日金ぴかの宮廷服に着替えていたという。死んで青白い肌はいっそぶよぶよとしてさらに不気味に、そして、人ではなく既に異形となったことを表すように、赤く目を光らせた。
カウフマンだ。いや、カウフマンであったものと言うべきだろう。彼は魂を食われたのだから。
「月色の髪の姫!」
そのとき、この異変に目覚めたヘンリックが声をあげて、振り返ったテティは青ざめた。
あんまり慌てていたから“裸”のまま、ヘンリックの前に出ちゃった!
そんなテティのすきを見逃さず、カウフマンであった魔物が背後から飛びかかろうとするが、それはグラムファフナーの長剣の鞘から抜かぬ一振りによって阻まれた。胴にしたたかにくらい、床に毬のごとく弾む身体。
生前は鈍重だった身体は妙に俊敏で、大きく跳んでぴたりと天井に張り付いた。
そこに「なにごとか!」とマクシが親衛隊の騎士を引き連れてやってくる。天井にはりついていた異形は、そのままその騎士達を襲おうと落下した。
「危ねぇ!」とその騎士の首根っこをひっ掴んで引いた。異形の襲撃は空振りに終わって、ぴたんとその身体は床でまた弾んだ。ぶんとマクシがその大剣を振ったが、異形はころころと床を転がって避けて、侵入路だろう開いた窓までいく。
「待て!」
そこに天蓋のカーテンにとっさにくるまった瞬間に着替えたテティが、黒いもこもこのクマの姿。星のロッドで跳躍してぺこんと、その異形をぶったたいた。ぼよよんと妙な感触にテティは顔をしかめる。
そして、テティの一撃をものともせずに、窓枠に跳び移った異形は、振り返り赤く光る目で部屋を見渡した。
「百年たっても……いまいましい。勇者の子孫に、魔王のなり損ないめ!」
そう言い捨てると窓の向こうに姿を消した。王の寝室は二階にあり、王宮の天井は高いがその高さなどものともせず、下の地面にぼよんと弾んで、そのまま異形は高速で転がっていく。
「追うぞ!」とマクシが叫んで、窓から飛び降りる。騎士達もそのあとに続いた。
テティは自分のお星さまのロッドを見て「うぇっ!」と声をあげた。ボコったときになんかヘンな感触がしたなと思ったら、得体の知れない緑色の粘液でぬらぬら光っている。あわてて、浄化の魔法をかけて綺麗にした。
「月色の姫はどこへ行ったの?」と呆然とするヘンリックに「ゆ、夢でも見たんじゃないかな?」とテティはごまかした。「そう」とうなだれるヘンリックの姿に、ちくちくと心が痛む。
グラムファフナーが小声で「その姿は私の寝室のテーブルの上じゃないのか?」と訊ねてきた。たしかに眠る前に脱いだ“皮”はグラムファフナーの部屋のいつもの小卓に畳んで置いてある。
「“予備”が百枚ぐらい
と答えれば「なるほど、よい備えだな」と褒められた。
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
朝、カウフマンだったものを追跡していたマクシは戻って来た。銀の森付近で見失い、騎士団の者達は引き続き周辺を捜索しているという。
「どうりでカウフマンが言っていた“魔道士”の姿が誰にも見えなかったはずだな。やつに“憑依”してその身のうちから操っていたのだから、他者に見えるはずがない」
グラムファフナーの執務室。大きな執務机の前の小卓に、男二人は向かいあって座っていた。
マクシと……グラムファフナーの膝には、クマの姿のテティがちょこんと座っているから、正確には三人だ。
小卓にはテティがだしたお茶に、スコーンにクリームとイチゴのジャムがある。テティのマギバッグには常にティーセット一式が入っているのだ。いつでもどこでも、たとえ戦地で敵に囲まれていても、優雅にお茶をするのが“たしなみ”で“紳士の余裕”ってやつだと、ダンダルフに教えられたからだ。
「魂だけだったから姿が見えなかったんだね。それで、あの金ぴか大臣の魂を食べて、身体を乗っ取ったってことは、初めから身体目当てだったのかな?」
スコーンを半分に割って、クリームと大粒のイチゴの形が残るように煮たジャムをのせて、テティはぱくりと食べる。
「身体目当てって……」とマクシは顔をしかめてスコーンになにも塗らずに、しかも割らずに一口で食べてしまう。「マナー違反だよ」とテティはにらみつけるが。
「俺だったらもっとイイ男の身体を選ぶけどな。よりにもよって、なんであんなでっぷり太って脂ぎった男」
それに「そういう身体にしか取り憑けなかったということだ」とグラムファフナーが返す。こちらは優雅な仕草でテティが割った残り半分のスコーンを口に運びながら。
「身体というより、薄汚れた魂というべきか。そもそも、邪道の血の契約書にサインまでして望むことなど、ろくなものではない」
そして、次にうれいを深めた顔で続けてつぶやく。
「あのとき消滅したと思っていたが、まさか魂のみでさまよっていたとはな。しぶとい奴だ」
「姿のない魔道士のことを知っているの?」とテティが訊けば、グラムファフナーはうなずく。
「奴が一番最初に私に“魔王の出来損ない”と言ったんだ」
その言葉でテティもそしてマクシも思い当たったのだろう。
「それにテティのロッドについた緑色の粘液、跳ねる身体。あれは毒蛙の魔族の特徴だ。奴はその一族の出身の魔道士だった」
「ゲバブだ」とグラムファフナーが口にしたそのとき「大変です!」と秘書官が執務室に駆け込んできた。
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