第5話 うさんくさい賢者が隠したもの その1
小さな王様ヘンリックが治めるこの国はグランドーラという。
約百年前に彼のひいひいひいお爺さまにあたる勇者アルハイトが魔王を倒した。それまで暗雲に覆われて日も差さない不毛の大地に陽光が差し、神々の祝福によってたちまち緑が芽吹いた。その地に勇者は新たに国を興したのだという。
ただ魔王の居城があったなごりの銀の森だけは、魔の気配が濃く、人間が滅多に足を踏み入れることが出来ない森になったと。
その話を聞いたテティは、あそこはそんなに危ない場所だったっけ? と思ったけれど。確かに人が入らないので、野生のくまに狼がたくさん棲んではいるが、テティの姿を見れば彼らのほうが逃げて行くから、少しも怖いことなんかなかった。
それをグラムファフナーとついでにいたマクシに話したら「そりゃ獣だって、それ以上に凶暴なクマには逆らえねぇよ」と言われた。“がさつ”で“無神経”な狼騎士団長の頭に星のロッドをお見舞いしてやろうかと思ったが「やっぱり凶暴じゃねぇか」と言われそうなので我慢した。テティは“しとやか”なのだ。凶暴なんて失礼な。
勇者王アルハイトは約百年グランドーラ王国を統治したという。人間にしては異様な長寿だが、これは魔王を倒した勇者に対して、神々の祝福があったためだという。
ただし、そのために少々困ったこともおこった。
後継者問題だ。
勇者王があまりに偉大な存在であり長寿を誇ったために、アルハイト本人が次代に位を譲りたいと思っても、彼を神聖視する周囲がそれを認めない雰囲気になっていたのだという。
そうするうちに、彼の二人の王子も年老いて、孫を残して死に、その孫もまだ若年であるとアルハイト王が位を譲ることが出来ないうちに、次代へと。
気がつけば、アルハイトは百歳を過ぎ、その髪も髭もまっ白になっていた。勇者として壮健を誇っていた身体も、年老いて病がちとなり、さらに気がついたときには、王位を受け継ぐべき直系の男子は、ひいひいひい孫のヘンリックただ一人。
これは王国の存亡の危機であると、アルハイトは勇者の能力をもちいて、かつての仲間を自分の元へと呼び寄せた。
ダークエルフのグラムファフナーと狼族の
他の人間の旅の仲間はすでに寿命で故人となっていた。そして賢者であるダンダルフは消息不明。
「まさか、目と鼻の先の銀の森にいたとはな」
とはグラムファフナーの執務室。彼のお膝に黒いクマの姿でチョコンと座りながらお話した。彼が漏らした言葉にテティは返した。
「でも、勇者王が亡くなったのは半年前でしょ? ダンダルフはとっくの昔に、虹の海の向こうに渡っちゃっていたよ」
「部屋ごとか?」
「うん部屋ごと」
銀の森の迷いの小径の奥にある家の様子も、いつかは見にいかないとな~と思う。迷いの小径というのは道が毎回違っていてダンダルフとテティ以外はたどり着けないようになっているからだ。
家自体も見た目は赤い屋根の小さな小屋が四つ、ちぐはぐに積み重なって高い塔みたいになっているのだが、見た目に反して中は結構広い。
ダンダルフの書斎はその最上階にあったのだけど、ある日テティが見たら、そこは部屋ごとなくなっていた。大きな机も天井までの本も丸ごとだ。
さて、かつての仲間二人を召喚した勇者王アルハイトは、彼ら二人にひいひいひい孫のヘンリックに忠誠を誓わせると安心したのだろう。その翌日に亡くなってしまったということだ。
グラムファフナーを宰相に、マクシの率いる赤狼騎士団を新国王の親衛隊とする遺言“だけ”を残して。
「だけ?」
テティはグラムファフナーのお膝のうえ、彼を振り返った。黒髪のエルフはその美しい眉間に気難しいしわを寄せて口を開く。
「アルハイトとしてはあと数日は生きて、もう少し細々とした遺言を残してから死にたかっただろう。
いくら昔の勇者の仲間とはいえ、私やマクシを国の中枢にいきなり迎え入れるのには、反発があったということだ。
まして、私は国の政を幼君に代わって司る宰相だ。偉大なる勇者王の遺言に渋々従ったとはいえ、不満な者も多かった。
その筆頭が、あの大公カウフマンだった」
とはいえカウフマンに任せては、国を私物化するのは目に見えている。まともな家臣達はグラムファフナーに従い、カウフマンの取り巻きの貴族達は彼の側について対立が深まった末に、このあいだの叛乱だったのだという。
「奴としてはマクシを遠方へ飛ばし、留守のすきに私を暗晶水で毒殺して、ヘンリック陛下の身柄を完全におさえるつもりだったんだろうな」
ところがグラムファフナーは半分エルフの混ざりものだったために即死とはならず逃亡し、テティという予想外の存在が現れた末に、幼い王様の反抗にあい、さらにはこの叛乱を予想していたマクシがすぐに戻ってきてしまった。
「あの金ぴか大公の叛乱の計画は穴だらけだね。元から失敗して当たり前だ」
「そうでもない。下手に小細工をするより、強引で乱暴でも私の暗殺が成功していた時点で、大公の計画は成っていたはずだ。
国政を司る宰相を廃して、陛下の身柄をおさえて勅命だと言えば、軍人であるマクシは従わざるをえない。他の家臣たちも同様だ」
とはいえあの大公は小心者で、本来ならばこのような大規模な叛乱など起こせる器ではないと、グラムファフナーは続ける。
「やはり奴をそそのかした、灰色のローブの魔道士というのが気になるな」
「僕も気になる。半分とはいえグラムはエルフだ。神族たるエルフを害そうなんて、魔道士ならばよけい禁忌のはずなのにずいぶんと掟破りだ」
人間に伝わる剣技や魔法はすべてエルフが伝えたものだとダンダルフにテティは聞いた。だから人間の魔道士はエルフを神々のごとくあがめているとも。
「私は半分だけエルフだからな。その魔道士からすれば混ざりものなど、エルフではないのだろう」と苦笑するグラムファフナーにテティは「ふぅん」と首をかしげた。半分といいながらグラムファフナーの魔力も体術も強いとテティは思ったけれど。
エルフは神々に祝福された種族だ。だからこそ、不老不死であり神話の時代の終わりとともに、常若の国がある虹の海の向こうに消えてしまった。
あとに残された種族は神々に見捨てられたとも言えなくもない……なんて、皮肉げにダンダルフが口許をゆがめていたのを思い出す。同時にあのなにを考えているかわからない賢者はぽつりと言ったけど。
「まあ神々でさえ運命を決められない命よ、好きに生きろってことだろうね」
そのあとに魔族から魔王が生まれ、世界を闇に包もうとし、一番脆弱と思われた人間から勇者が生まれて魔王を倒したのはなんとも皮肉だよね……とも。
「そういえば、魔王を倒して百年間、また勇者王に呼び出されるあいだ、グラムとマクシはどうしていたの?」
「それぞれの領地にいた。私は北の氷の城に。マクシは西の草原だ」
魔王が倒されたあとに残された暗黒の大地は広大で、勇者王アルハイトは中央を治め、旅の仲間それぞれに東西南北の地を治めたのだという。
「北と西はわかったけれど、東と南は?」
「東は聖神官サトリドが開祖となったラーマ大神殿が、南は大魔法使いヴァルアザが創った魔法学園都市マグリミワがあるな」
「それも勇者と旅した仲間?」
「ああ、二人は勇者と同じ人間で、それなりの寿命はほこりはしたが、しかし、アルハイトほど長生きではなかった」
勇者の仲間の拘束力というのは一代限りで、子孫には受け継がれない。だから、今回、召喚に応じたのは人間より長命をほこる、エルフと獣人の二人だった。
「勇者の旅の仲間はそれで全員? 勇者アルハイトにグラムファフナーにマクシ、聖神官サトリドに大魔法使いヴァルアザ」
テティが小さなもふもふの手で、短い指をぴょこんと出して指を折って数える。五本の指を全部折ったところで「一人足りないぞ」と言われて首をかしげる。
「大賢者ダンダルフだ」
「そうだった」
ぱふっとテティは両手を合わせる。
「でも、ダンダルフは勇者が魔王を倒してくれたことは教えてくれたけど、自分が旅の仲間だったって言わなかったんだよね」
だからいまいち彼が魔王討伐の一行だったと言われても、ピンと来ないのだとテティがつぶやく。己の膝の上の小さなクマを、グラムファフナーは静かに見つめる。
「お、またイチャイチャしてるのか?」
かちゃりと扉が開いて入ってきたのは、マクシだ。それに「イチャイチャなんかしてない!」とテティは答える。ぴょんとグラムファフナーの膝の上から降りる。
「じゃあ、僕、ヘンリックのお稽古見て来るね」
「ああ」
ヘンリックの剣の稽古にはテティが付き合っていた。「うちの陛下に大けがさせないでくれよ」とマクシが言う。稽古のかすり傷ぐらいなら容認するというのが、いかにも鬼の騎士団長らしい。「もちろん」とテティは答えて、とてとて歩いて部屋を出て行く。
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