第6話 大げさな恋人達とかわいい間男 その1




「テティ、どうしたの?」

「あ、うん。ヘンリック。なんでもない」


 ヘンリックの私室にて、午後のお茶の時間。テティの前にはケーキもスコーンもあるのに、まったく手つかずだ。


 「アイスクリームとけちゃうよ」と言われて、テティはあわてて目の前の銀の器から、ひとさじすくって口に含んだ。いつもならばとびきりおいしいアイスクリームなのに、半分ぐらいのおいしさしか感じないのはなぜだろう? 


 今日は朝食も大半残してしまって、世話係のメイドのイルゼに心配されてしまった。「朝から蜂蜜をたっぷりかけたパンケーキを十枚もお食べになるテティ様が、一枚も食べきれないなんて」とこの世の終わりみたいな顔をされた。


「宰相も騎士団長もすごく忙しいみたいだ。このところの王都で若い女達が襲われる事件が続いていて、二日前にはその犯人を赤狼騎士団が見つけたみたいだけど、見失ったって」


 「この国一番の騎士団から逃げるなんて、そうとうやっかいな相手なんだろうね」というヘンリックの言葉をテティはどこか上の空できく。


 そして、二日前からグラムファフナーに会えていない。


 花売り娘の姿のテティをグラムファフナーはものすごく不機嫌な顔で見ていた。用意された馬車に乗り込んで王宮に戻るその間も。

 テティが見た魂狩りの犯人の話にも「そうか、調査する」のひと言だけだった。

 それから「私は今夜戻らないから、風呂に入ってゆっくり温まって寝なさい」とだけ。


 そして、その翌日もグラムファフナーは部屋に戻らなかった。

 テティは広いベッドで一人夜明けまで眠れない夜をすごした。


────グラム怒っているのかな? 


 勝手に夜、外に出たことはテティだって悪いと思っている。それに、意識を取りもどした娘に姿を見られたことも。


 それよりなにより、グラムファフナーが自分の姿を見たときの顔が忘れられない。いつもならテティの新しい服を見ると、その口許に微笑が浮かぶのに、すっごく不機嫌なのはわかった。

 そして、テティの待つ部屋に戻ってこない。


────僕のこと嫌いになっちゃったのかな? 


 そう思うだけでテティの胸はズキリと痛んだ。グラムファフナーが自分の顔を見たくないほど、大嫌いになるなんて……。


 そんな、そんな……。


「て、テティ!?」


 緑葉の瞳から涙があふれて、ぽろぽろともこもこの頬にころころこぼれるのを見て、慌てたのはヘンリックだ。


「テティ、ど、どうしたの!? どこか痛いの!?」

「む、胸のところがズキズキして……」

「え? 心臓が!? 大変だ!? さ、宰相に!!」

「ダメ、グラムには言わないで、これ以上グラムに嫌われたくないよ……」


 その言葉を聞いたヘンリックは猛然と椅子から立ち上がり、テティの手をつかんで「行こう!」と駆け出した。

 ぐすぐす泣くテティは引っぱられるままについていく。




   ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇




「宰相!」


 ヘンリックが向かったのはグラムファフナーの執務室。バン! と扉をあけて泣くテティのもこもこお手々をひっぱってきたヘンリックが、机の向こうに座るグラムファフナーを挑むようににらみつけて口を開いた。


「テティを泣かせるというなら、僕がテティをもらうからね!」


 「僕なら絶対テティをいじめたりしない!」と言うヘンリックに慌てたのはテティだ。


「ヘンリック! グラムは悪くないの! 悪いのはテティなんだから!」

「違う! テティが悪いことなんてするはずない! ……ちょっとイタズラして女官長を毎日驚かせているけど……でも、本当に悪いことなんてしていない」

「ううん! 僕が本当に悪いことしたから、グラムが怒ってるんだよ!」

「テティは騙されているんだよ!」


 「どこの旦那と間男の愁嘆場しゅうたんばだよ」とちょうど執務室にいたマクシがぼそりという。「いや、これだと陛下が間男みたいじゃないか? とんだ不敬だ……」と続いた彼の声は誰も聞いていない。


「グラムはテティを騙していないよ。ヘンリックでもグラムにひどいこと言わないで」

「テティ……」


 グラムファフナーを怒ったはずなのに、テティがまた緑葉の瞳からぽろぽろ涙を流して、もこもこのお手々で顔をおおうのに、ヘンリックが困惑に眉をへにょりとさせる。

 「あ~あ~今度は暴力夫をかばう妻みたいな図になってやがる」とマクシがぼそぼそ言っているが、やはり誰も(以下略)。


「テティ」


 グラムがそんなテティをふわりと抱きあげる。テティは泣き濡れた瞳を見開いて「グラム」とぎゅっとその首に抱きついた。たった二日触れあってなかったのに、それが百億年もの長い間に感じて。


「グラム、グラム、テティのこと嫌いにならないで」

「私がお前を嫌いになることなど、世界が終わろうともあり得ない。お前が私以外の誰かを選んだとしても、縛り付けて氷の城の塔のてっぺんに閉じこめてしまいたいほど、愛おしい」

「僕がグラム以外の人となんてあり得ないよ。閉じこめたいなら、閉じこめていいけど、時々お散歩させてね」

「そうなったらお前の為に、冬でも花が咲き乱れる花園を作ろう。二人で手を繋いで歩こうか?」

「すてき」

「なんで、この世の終わりみたいな話になっているんだよ! お前達の考え危ないからな!」


 「そんな話してるのに、絵面は超絶美形エルフがクマのぬ……じゃねぇ、抱っこしてるんだぞ!」とマクシがツッコむがやはり誰も聞いてなかった。

 「陛下」とグラムファフナーがいまだ自分をにらみつけているヘンリックを見て。


「テティとゆっくり話したいと思います。ここ二日ほど政務が忙しくて、誤解させてしまったようです」


 これは事実だった。グラムファフナーはマクシとともに、二日前の騒動の後処理に追われていたのだ。


 「二人で話したいので」とテティを抱いて執務室を出て行くグラムファフナーの背に、ヘンリックが「テティをこれ以上泣かせたらダメだからね!」と声をかける。グラムファフナーは振り返り「もちろん」とうなずき、扉が閉まった。


 それを見送りヘンリックが「馬鹿みたいだ」とつぶやくと、後ろからマクシがぽんとその肩に両手を置く。


「陛下はよくやられました。たとえ報われない片恋の相手でも守ろうとされるそのお姿は、立派な騎士の鑑です」

「騎士団長、ちょっと身を屈めてくれる?」

「はい?」


 マクシがその長身を折ってヘンリックの前に頭を差し出す形となる。ヘンリックは手を伸ばして、マクシの頭の上の狼の耳に触れて。


「うーん、テティより固いなあ。テティのはもっともこもこでもふもふしていて、触り心地がいいし」

「ひどいですな。王都の美女達に騒がれる、自慢の耳と尻尾だというのに」

「黒いもこもこのクマの毛皮も素敵だけどね。月色の髪はさらさらしてキラキラ輝いているんだ。踊るたびにふわりと揺れて、僕を見つめる緑葉の瞳もクマの姿のテティと同じ色なのは当然なんだけどさ、もっと宝石みたいに輝いて見える」


 それはこのあいだの舞踏会でヘンリックとテティが踊ったときのことだ。


「あのときも陛下は、月色の姫を守る立派な役目を果たされました」

「また、月色の姫と踊れるかな?」

「それは陛下がダンスを申し込めば、いくら旦那だってゆずらねばならないでしょう?」


 「あのときの宰相の微妙な顔といったら」とクククと笑うマクシに、ヘンリックもくすりと笑う。


「ですが、陛下だっていつかは王妃様の御手をとって最初のダンスをなさることでしょう」


 「そんな人見つかるかなあ」とつぶやくヘンリックにマクシが「まあ中身は凶暴なクマでも、外見はあれですからね」とつぶやけば「違うよ」とヘンリックは首をふる。

「そりゃ最初は本当に天空の月が降りてきたみたいな姫君を好きになっちゃったけどさ。今はそれがテティだっていうのがわかって、もっと好きになっちゃったんだよ。

 だから僕の王妃となる人は、テティみたいに元気で明るくて優しくて、なんでもお話が出来る人がいいな……って」

「それもなかなか難しい注文ですね」


 この小さな王様の結婚は前途多難だぞと、マクシが腕を組んでうなった。





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