第3話 舞踏会とカエルの合唱 その1




「ドレスもテティ様が恐ろしい速さで作られましたし、礼儀作法もしっかり身についてらっしゃいます」


 グラムファフナーの屋敷。その彼の書斎にてランダよりグラムファフナーは報告を受けていた。王宮から持ち帰った書類に目を通しながら、グラムファフナーはうなずく。


「その点の心配はいらないとは思っていた。テティはダンダルフの弟子だからな」


 あのお騒がせ賢者は性格に大いに難はあったが、知らないことも出来ないこともなかった。とんでもなく気紛れでいたずら好きというだけで。


 テティはその点からすると真面目な職人気質だ。料理は美味しく工夫はすれど、知らない調味料をなんでも入れたがったりしない。針仕事で作り上げる品々もどれも細やかで素晴らしいものばかりだ。氷の城のドワーフたちが見ても感心するだろう。

 ニコニコ顔がついたお花が飛び出て揺れる帽子なんて作ったりしない。


「ダンダルフに教育の才があるとは思わなかった。もっとも、テティがもともと良い子だったのだろうな」


 グラムファフナーが我が事のように微笑むのに、ランダは逆にふう……と憂い顔で。


「たしかに良い子でらっしゃいますが、純粋で真っ直ぐ過ぎるのもどうかと思いますわ」

「ああ、その問題が残っていたな」


 ドレスは完成した。礼儀作法は完璧として。

 あの正義感の強い凶暴な可愛いクマをどうやって、舞踏会のあいだ暴れさせないかだった。




   ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇




「どうしてもダメなの?」


 明日は舞踏会という夜。屋敷の寝室にて、ベッドに腰掛けたグラムファフナーのお膝のうえ、クロクマの姿ではなく月色の髪を垂らしたテティが、レースのガウンをまとってむくれている。


「ダメだ。お前の悪口だけではない。私や陛下、マクシのことをあれこれ言われても、拳を振り上げてはならない」

「僕のことだけじゃなくて、グラムやヘンリックやマクシのことなら、余計怒るよ!」

「マクシも聞いたら喜びそうだが、あいつもダメだと言ってただろう?」

「……我慢しなきゃならないの?」


 緑葉の瞳が上目づかいにグラムファフナーを見る。「相手が悪いことを言ったのにどうして黙ってなきゃいけないの?」と。

 それが社交界の礼儀だとか常識だとか言っても、テティは納得しないだろうことはグラムファフナーにはわかっている。


 それでも自分が「ダメだ」「我慢出来るな?」と告げればテティはうなずいてくれるだろうが、頭から押さえ付けて、そのしなやかな若木の手足を縛るようなこともしたくない。


「なにも黙っていろとは言ってない。手足を出してはダメだが、言葉で攻撃されたら言葉で返せばいい」

「『汚い言葉を口にすると、心まで穢れてしまうよ』って、ダンダルフが言っていたよ」

「卑劣な相手と同じところまで降りる必要はないさ。

 だから、これはどうだ?」


 こそこそとテティの耳にグラムファフナーがささやけば、テティはクスッと笑って「それいいね!」とグラムファフナーの首に腕を回し、頬にちゅっと口づけた。




   ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇




 王立記念日がやってきた。朝からの祝砲に、王都の大通りはこの祝祭に華やかに飾られ、広場では振る舞い酒に菓子が配られた。街のあちこちでは、この日のために集まった大道芸人達が曲芸に踊りに歌、手品などを披露して、喝采を浴びていた。


 そして、夜は王宮にて舞踏会。星空に花火があがるなか、車寄せには豪奢な馬車が次々に横付けにされて、着飾った貴族達が王宮の大階段をあがり、二階の水晶の間へと入る。


 黄金に輝く水晶のシャンデリアの光の下。最後に入場する幼い王に従う宰相ともう一人の本日の主役の話題に花を咲かせる。


「タンサン公爵夫人の催促に、ついに宰相殿も観念して月色の君を伴われるとか?」

「また、あの娼婦のような真っ赤なドレスに裸足なのかしら?」

「さすがにそれはねぇ。あ、扉が開いたわよ!」


 奥の王族専用の扉が開き入ってきた姿に、それまで嫌なクスクス笑いを浮かべていた着飾った女達は、ぽかんとした顔となった。

 相変わらず麗しい黒衣の宰相の隣には、それに勝るとも劣らない白いドレス姿があったのだ。


 ただの白ではない。黄金のシャンデリアを受けて虹色の輝きを放つ布地は、今まで誰も見た事ないものだった。遥か東の国から渡ってきた金糸銀糸を織り込んだ錦の布さえ敵わない。


 その布だけではない。ドレスを飾る共布の花に使われているレースも、とんでもなく細い糸で編まれた空にたなびく雲のように美しいものだった。胸元の襟ぐりから肩口を飾る白い羽もまた、それ自体が淡い光を放っている。金色のリボンもまた光を受けると、蝶の羽のような蒼や碧の色に輝く。


 そのどれもが魔界でさえ手に入れるのが難しい、月光虹の布に、天上雲の糸でテティが編んだレース。白鳥王の羽に金蒼玉蝶のリボンだった。

 女達が御用商人達にいくらかかってもいいから! と探させても、手に入らなかったというのは、あとのこぼれ話だ。


 どこの店の仕立て師にやらせたのか? という見事なドレスをまとった姫君の足下に輝くのはクリスタルの半透明の靴。月色の髪は両わきの一房は垂らして、後ろをゆったりと膨らませて結い上げられている。その髪にもドレスと共布の虹色とレースの白金に輝く薔薇の花がいくつも飾られていた。

 さらには真珠のような虹色の宝石がびっしりと埋め込まれた、三日月の形の髪飾り。


 そして、その美貌は赤いドレスに裸足で現れたときから、人々の目を釘付けにした。柔らかな月光そのものの金とも銀ともいえる色に輝く髪に、緑葉の夢見るような大きな瞳。今日は唇にうっすらと紅を引いている。化粧といえばそれだけだ。

 肌に白粉をはたく必要もない。しみなど一つも無いミルク色の肌に薔薇色の血色は、それだけで女達の妬心を煽った。


 「格好だけよ」と誰かが悔しげに口にすれば「ええ、ええ、外側の包み紙だけ飾ってもね」「その中身はボンボンではなくて、雪玉の揚げ菓子とか?」「まあ、あんな庶民の食べ物」と扇で口許を隠した内側で口々にささやきあう。


 手ぐすね引いて、すぐに化けの皮を剥がしてやると待ち構えていた女達は、しかし、出鼻をくじかれることになった。


 楽の音が響いて、最初のダンスで月色の姫君の手をとったのは、黒衣の宰相ではなく、ヘンリック……我らが小さな王様だったからだ。

 それを温かく見守る宰相閣下と赤狼騎士団長に「では、わたくしがお相手を」なんて誘う勇気があるご婦人はいない。


 月色の君と小さな王様は、本当に楽しげにまるで実の姉弟のような親しさで、二曲ほど踊った。

 踊り終わってもヘンリックは月色の君のそばに、ぴたりと張り付いて離れず、その姿はまるで君を守る騎士ナイトのようだ。


 これでは彼女に意地悪な言葉を一つどころか、百まで投げかけようとしていた女達は、近寄ることも出来ない。月色の君が小さな王様のお気に入りであることは明らかだった。

 遠くで「宰相閣下のみならず、国王陛下までたぶらかすなんて」と、歯がみしながら眺めることしか出来ない。


 小さな陛下がいつものように、夜が遅くなる前にと水晶の間から退出されても、どこか気後れしたように皆、月色の君に近づくものはいなかった。

 だが、それもしばらくして均衡が破られる。重厚な黄金色のドレスをまとった人物が、大勢の婦人達を引き連れて動いたのだ。それはドレスの山が動くようだった。


 タンサン公爵夫人である。





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