第3話 舞踏会とカエルの合唱 その2




 取り巻きの夫人達はテティと、そしてお付きとして従っていたランダをドレスの壁で取り囲んだ。グラムファフナーとマクシは、蔑ろには出来ない貴族の重鎮の男達に捕まって話をしており、すぐにはこちらには来られない。これもタンサン夫人達の差し金であるのは明白だった。


 タンサン夫人は無言でテティを見据えた。ただ見るだけでその威圧感はすさまじいものがあった。傍目からは儚い可憐な白鳥に、金色の歳を経たふくろうが襲い掛かる幻影が見えたほどだ。

 しかし、とうのテティはきょとんとした顔でタンサン夫人を見る。そして、ぽつりと言った。


「お婆さんって聞いていたのに違う」


 とたんタンサン夫人の白粉おしろいで固められた顔がひくつき、取り巻きの女性達は青ざめた。年齢のことを口に出すのはこの夫人の前では厳禁だというのに。


 タンサン夫人の年齢不詳の容貌は社交界では有名な話だった。いかなる美容術を使っているのか? 二十年前からその容貌は少しも変わっているように見えなかった。もう六十は過ぎているというのに、三十代半ばの容貌のまま時が止まっている。


 テティはすぐに関心を無くしたようにタンサン夫人から目を離し、手にもった銀の小さな器の氷菓子をスプーンですくって一口。「このスグリのシルベット美味しいね~」と横にいるランダに話しかけた。


 まるきり無視された形にタンサン夫人が手にもった扇をぎりりと音が鳴るほど握りしめて、横にいた婦人を震え上がらせた。婦人はおずおずと口を開いた。


「こ、こちらタンサン公爵夫人にございます」


 上ずった声になったうえに、つっかえた無様な名乗りに、タンサン夫人は横の婦人をギロリとらみつけて、彼女は可哀想なほどに蒼白の顔色となった。


「ディアナ・デデ・ティティティア様にございます」


 ランダが名乗りをあげる。そう、テティは愛称で、ダンダルフが付けた正式名はディアナという。それがどうしてテティになったかは、ダンダルフが呼びやすいからと、自分で名付けたクセにずっとテティと呼んでいたからだ。


 タンサン夫人自らではなくお付きの者にさせたのだから、テティのそばにいるランダが名乗るのが当然だろう。が、タンサン夫人のすでに血管の浮かんだこめかみは、ひくりとひくついた。


 自分がいと高き身分だと思っている夫人としては、テティが自ら名乗るのが礼儀だと思いこんでいる。

 そして、ドレスの壁の婦人達が一斉にざわめきだす。


「ティティティアなんてずいぶんごろの良い家名ですけど、あなたご存じ?」

「いえいえ、まったく。かけらほども聞いたことがございませんわ」

「王都のあやしげな歓楽街では有名な名前かもしれませんわよ?」

「あらあら、場末の肌も露わな踊り子の張り紙に書かれている名前かしら?」


 扇の内側で声をひそめてささやきあう風を装っているが、これ見よがしの大声だ。

 タンサン夫人は横に立つ婦人に扇の内側でぼそぼそと耳打ちした。ようやく震えをおさめた婦人は、先ほどつっかえて裏返った声を出した名誉挽回とばかり声を張り上げた。


「公爵夫人におかれましては、先ほどの名乗りがよくお聞こえになられなかったと。そちらの方がどこのどちらのお方なのか、今一度“家名”をお聞きしたいとのことです」


 暗に身分も爵位もない平民以下の娘がという意味の裏返しだ。回りの婦人達からは「あと百回名乗られてもねぇ」「知らないものは知らないわ」という声の中、ランダが臆することなく、堂々ともう一度テティの名を繰り返した。


「ティティティア家とはどちらのお家なのですか? そちらでは娼婦のような真っ赤なドレスに裸足なのが、礼装なのですか?」


 そう声をあげたのは怖い物知らずの若い令嬢だ。彼女は先日の舞踏会でグラムファフナーの花嫁候補の一人であったのだ。それをテティに奪われたと勝手に逆恨みしていた。


 彼女の声に回りの婦人達も一斉に「ほほほ……」と嫌な笑い声をあげた。「裸足なんて未開の地の蛮族じゃあるまいし」などと、さらにあけすけな言葉をはいたのは、同じく花嫁候補だった一人だ。


「テティ様は、大賢者ダンダルフ様がそのすべてをお伝えになられた唯一の弟子でらっしゃいます」


 ランダの言葉に、その場が瞬時にして凍り付いた。

 大賢者ダンダルフの名は誰もが知っている。旅の仲間の導き手。光の勇者と闇の魔王の橋渡し役となった偉大なる賢者。彼がいなければ勇者は聖剣を得られず、仲間達も伝説の武器を手にすることなく、闇の竜を倒すことも難しかっただろう。


 創世の時代から生きる賢者。

 その偉大なる大賢者の弟子!? 


「テティ様は大賢者様に大切に大切に育てられ、生まれてから百年の間、世俗に出ることはございませんでした。このたび北は氷の城主様とご婚約なされ“ご光臨”なされたのです」


 つらつらと涼しい顔でランダは続ける。


 これではテティが賢者の弟子どころか天上で育てられた女神かなにかのようだが、まあ嘘は言っていない。

 そして、育ての親の賢者もとんでもなくいい加減ではた迷惑なお騒がせの存在だったことを、世の人々は知らない。


 ただ、偉大なる大賢者としか。


「それで人間のたかだか百年や二百年続いた家名がどうしたのですか?」


 これは魔族であり魔女であるランダの嫌みだ。魔界のならば、それこそ千年続いてようやく“並の家”の端というところなのに、たかだか数百年の人間の家がなにを偉ぶっているのか? と。


 しかし、この挑発は旧王族であること、三百年続く名門公爵家の名をなにより誇りに思うタンサン夫人の怒りのど真ん中をぶち抜いた。

 もっとも、計算尽くだったのだが。


 「お黙りなさい!」とタンサン夫人が声を張り上げた。


「穢らわしい魔族の女がなにをでたらめを! 

 大賢者ダンダルフ様の名前まで持ちだして、そのどこの生まれともしれない裸足の娘の素性をいつわるようなことは、このわたくしが許しません!」


 大賢者ダンダルフの名前に気圧されていた回りの女達もまた「たしかにね」「なんの証拠もありませんわね」と言いだす。


 「賢者の弟子というなら、魔法の一つでも使ってみればいいのよ」と誰かが口にした。

 それにテティはおっとりとした様子で口を開く。


「テティは今、裸足じゃなくて靴をはいているんだけど、グラムが贈った靴、素敵でしょ?」


 その緑葉の瞳で真っ直ぐタンサン夫人を見てテティは言った。夫人は一瞬面くらい、その毒々しい紅で彩られた唇を開きかけて。


「げこっ!」


 最初、どこからその音が聞こえたのか、人々にはわからなかった。だが、「げこっ、げげげこっ!」とそれがタンサン夫人の口から響いたことに驚く。

 だがざわめいた取り巻きの婦人達の口からも「げこげこ」「けろっ」と同じような声が響き、みな青ざめて口許を押さえる。


「ダンダルフがね、昔、話してくれたおとぎ話にあったの。心が優しく、正しい言葉を話すお姫様の口からはお花が飛び出して」


 そして、ゲコゲコとせき込む女達を緑葉の瞳で見渡して。


「意地悪で嘘つきなお姫様の口からは、蛙やもっとおぞましい生き物が飛び出すようになったんだって」


 テティは続けて「鳴き声だけでよかったね」とつぶやいて、それを聞いていた者達の背筋をゾッ……と凍らせた。

 そして、広間にいた者達は全員理解する。この月色の君はただ人ではなく、たしかに賢者ダンダルフの弟子の“魔女”なのだと。


 そこでようやく「失礼」と人垣を抜けて、グラムファフナーがテティのところへやってきた。「グラム」と笑顔になるテティの手を取り、始まった音楽に踊り出しながら。


「ダメじゃないか。イタズラしては」

「一晩たてば治るから大丈夫」


 テティが無邪気に答える。


 その言葉通り“突然の病にて”早々に退出したご婦人がたは、嘆く泣き声さえゲコゲコと蛙のそれで、使用人達は普段は横暴な主人の悲惨な姿に笑いをこらえるのに必死だったが、朝になればすっかり元に戻っていた。


 かくして、宰相の婚約者である月色の君は、偉大なる賢者の弟子にして、稀代の大魔女である……とまことしやかに噂されるようになった。




 そして、グラムファフナーへの見合い話もぱたりと止むことになるのだが……。




   ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇




 明かりが落とされた部屋。壁には大きな姿見があった。そこに常のドレスの上に黒いローブにフードを目深に被ったタンサン夫人の姿があった。手には唯一の室内の明かりである、赤い蝋燭に炎が揺れる燭台が。

 鏡には彼女は映っておらず、赤いローブをまとった人物の姿がある。


「……その娘は賢者ダンダルフの弟子であると名乗ったと?」

「はい」


 タンサン夫人がうなずけば鏡の向こうの人物は「馬鹿馬鹿しい」とひと言。


「かの賢者は百年も前に隠れたまま、一度も姿を現していないのに、今さら弟子なんて」

「ですが、その娘はたしかに魔法を使いました。わたくし達の言葉をことごとく、おぞましいカエルの鳴き声に」


 屈辱に震えるタンサン夫人とは逆に、鏡の向こうの人物は「ほほほ……」と笑った。「皆のそんな姿見て見たかったわね」と。

 だが、その笑い声はぴたりと止み「許さない……」という低い声に変わる。


「……賢者の弟子にして神々の末裔ですって!? そのようなものが、あの魔王のなり損ないのそばにいることなど、許さない。許さない。

 まして、その者が大魔女などと名乗ることなど」


 鏡越しにも伝わる暗い呪詛のような言葉に、うつむいたタンサン夫人のフードの陰に隠れた顔は青ざめ、燭台を持つ手もかすかに震えていた。





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