第17話 ひとりぼっちじゃワルツは踊れない その1




 最初の記憶はなんだろう? 


 それには意思も感情もなく、ただ真っ暗闇だった。流れこんでくる怒りや嫉み、恨み、それを受けとめ膨らみ、またその力をもとめる魔王ものに与え、最終的にはその肉体も心も魂も吸い取る。さらに大きくなる。


 永劫ともいえる長い時の果て、もっともそれにとって無限の時間など停止してるも同じだったけれど。

 キラキラしたそれが投げ込まれたのだ。


 それはすぐに闇に染まるはずだった。どんな燃えるような怒りや、うすぐらい黒の光を放つ恨みとて、すぐに闇の無に呑み込まれてしまうのだから。

 だけど、その緑葉は輝き続けた。まっ暗闇の中で星のように。


 すぐに呑み込まれ消えると思われた小さなそれは異質であり続けた。

 なにもない真っ暗闇の無の中で、その輝きを受けてなにかが生まれた。

 その緑葉を落としたものがいらないと捨てたもの。だけどそれは闇が唯一知る感情となった。




 さびしい……。




   ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇




 テティが目を覚ますと、真っ暗闇だった。だけど、なにも見えないわけじゃない。ただ周りには暗黒以外、なにもないだけだ。

 すべてが真っ黒に塗り潰されて上下左右さえわからない。


 ただ、自分を取り巻くまわりだけほのかに光っているのは……ああ、髪か……と思う。それが月のように淡く輝いている。


 闇に呑み込まれて、少し意識を失っていたらしい。

 だけど、自分がここに落っこちたことで、地上の穴は消えたはずだ。

 あとかたもなく……。


 そのことに迷いはなかった。

 自分が何者か思い出すというより、穴を見て唐突に理解して、テティは飛びこんだ。


 なぜって……。


 穴があったらそれがいつか広がって、地上を呑み込んでしまうかもしれない。

 そうしたらヘンリックも彼の王国もなにもかもなくなってしまう。

 なにより、グラムファフナーもいなくなっちゃう。


 そんなのは嫌だ……と思った。


 だから、グラムファフナーに聞いたのだ。




 もう寂しくない? 

 寂しくないな。




 その答えが聞けたからいいのだ。


 今のグラムファフナーにはマクシという悪友? もいて守るべき小さな王様ヘンリックもいる。きっともっと大勢の人々も。

 彼は一人ぽっちの魔王でも、魔王のなり損ないでもない。


 だから、テティはこの穴の中でいい。


「…………」


 へたり込んでいたテティは立ち上がり、空中からなにかを取り出すと身にまとった。それはあの舞踏会での赤いドレスだ。

 それからひっぱりだしたのは、キラキラ輝くクリスタルのかかとの高い靴。これはグラムファフナーがあとで贈ってくれたのだ。


 それをはいて、それからもう一つ取り出して月色の髪につけたのは、虹色の真珠のような丸い宝石がびっしりと埋め込まれた、三日月の形の髪飾り。

 それはあの舞踏会のひと夜の朝、寝台に散らばっていたものだ。テティが髪につけていた星蛍花から生まれた。宝石。


 摘めばすぐに萎れてしまうという、宝石のような花は、強く美しい感情を受けると輝く虹色の玉の宝石をひと夜にしてつける。


「これはお前と私の互いを思う気持ちだな。これでお前の髪飾りを作ろう」


 そうグラムファフナーは言って、靴と一緒に贈ってくれた。


 闇の中、テティは立つ。自分で作ったドレスに、グラムファフナーが贈ってくれた靴と髪飾り。

 これがあれば十分。


 テティはふんふんと鼻歌を歌いながら踊り出す。相手はいない、あの日踊った円舞曲をくるりくるりと回って、楽しげに微笑もうとして、その笑顔はくしゃりとゆがんで、ほろほろ涙が頬にこぼれる。


「やだ……どうして?」


 踊りもやめて立ち止まってしまう。真っ暗闇のなにもない、自分しかいない。

 そんなの慣れているはずだった。


 ダンダルフが消えてから五十年近く、テティは銀の森でひとりだったのだ。鳥やリスや自分を見ると逃げるクマや狼たちはいたけど、それでも話し相手はいなかった。

 だけど、あの頃は本当に平気だったのだ。


 朝起きて、裏庭の穴にゴミを捨てつつ、おまじないをかけて、それから森の中を散歩してお花を摘んだり、木の実をひろったり。それを砂糖漬けやクッキーにして、それから家の中でちくちくと針仕事をして自分の着るものや、クッションを作ったり。


 そうして、テティの変わりない一日は過ぎていった。あのままなら自分はずっとそうしていたはずだ。


 変わらないたったひとりの森の一日を繰り返し繰り返し。

 グラムファフナーが来るまでは。


 彼について行って当たり前だと、今ならわかる。

 だって、彼こそが自分の一番最初の“気持ち”だ。

 キラキラ輝く緑葉の宝石。闇に呑み込まれなかった星。


「さびしいよ……さびしいよ、グラム」


 離れたばっかりなのに、なんでこんなにつらいのだろうと、テティはほろほろ涙を流す。

 グラムファフナーが闇の繭に落としたもの、彼があのとき捨てたものを、自分は今感じてる。


 さびしい……。


 それはけして闇の感情じゃない。さびしいのは、誰かと一緒にいたことを知っているからだ。包まれる温かさを知っているからこそ、ひとりは寒くてつらい。

 黒いもこもこのクマであったときは、寒さなんて感じたこと無かったのに、テティは赤いドレスに身を包みながら、自分で自分を抱きしめるように腕を回して、涙をこぼしながら小さな声で言う。


「さびしいよ、グラム……」










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