第16話 引きこもり賢者の言い分 その2




「出してどうするの? テティがあそこにいれば封印は完璧だ。地上も魔界も安泰だよ。百年前の“災厄”は二度とおとずれない」

「テティの犠牲で成り立つ世界など、私はいらない。あの子をあそこから必ず助け出す!」

「ずいぶんと惹かれたものだね。あの子もそうだよ。君が二度と闇に脅かされないようにと、あの穴に飛びこんだんだ」

「だったらなおさらだ。私はテティを取りもどす!」


「まったく、魔王が恋に狂ったものだ。いや、それは恋と言えるのかな? 君は君が遥か昔に落とした欠片に執着しているだけかもしれない。

 一目で惹かれあうなんておかしいと思わないかい? それは君の本当の気持ちかい? これは大いなる呪いみたいなもんだよ?」

「それがどうした!!」


 グラムファフナーが声を荒げる。普段は冷静沈着な彼の怒鳴り声に、ヘンリックがびくりとその小さな身体をはねさせて、マクシは小さな王の肩を抱き寄せてやった。が、グラムファフナーに声を抑えろなんて、無粋なことは口にしなかった。


「人の恋路に口出しするもんじゃねぇぜ、じいさん」


 逆にダンダルフに呼びかけた。それに大賢者は肩をすくませる。


「恋か。恋かねぇ」

「それが呪いだろうが、運命だろうが、宿命だろうが私はテティを離さないと言っているんだ。

 そもそも、恋など初めから狂っているものだろう」


 そうだ、たしかに一目で惹かれた。それは不思議に思っていたが、それでも真実を知ってもなお、あれを手放せないと心が叫んでいるのだ。

 これほどに己を抑えられない感情の暴走は、たしかに狂っていると我ながら自覚はあるが。


「おお、元魔王の執着はこわいこわい」

「なあ、テティってなんなんだよ? あの真っ暗闇の穴ってなんだ?」


 マクシの疑問はもっともだった。肩を抱かれたヘンリックも大人達の話についていけずに、きょとんとしている。


「テティは闇の竜だよ」

「違う。テティは闇の竜そのものではない。むしろ、あれとは全く逆のものだ」


 ダンダルフの言葉にマクシもヘンリックもギョッとし、すかさずグラムファフナーがそれを否定し首を振る。


「そう闇ではない。君の“心残り”を核にして生まれた真珠みたいなものか? 

 でもあれが闇の竜の一部だったことは確かだよ」


 「わっけがわかんねぇぞ」とマクシがぐしゃぐしゃとその赤毛をかき回すのに、ダンダルフが「わかりやすくだよね」とニコニコとし。


「魔王となったものが、闇の繭と繋がるときに、自分の一番大切なものを捧げるんだ。

 グラムファフナー、君はなにを捧げた?」

「……父が母に贈ったペンダントだ」


 グラムファフナーに残った唯一の絆。それを彼はあのとき切り捨てたのだ。

 あのペンダントの石の色は緑葉の……テティの瞳の色だ。


「ペンダントを投げ捨てるとともに、君はなにを思った?」

「…………」


 グラムファフナーは答えなかった。これは自分とテティが知っていればいいことだ。


「まあ、聞くのも無粋だね。ただ、その君の“心残り”は闇の感情じゃなかった。キラキラ輝く宝石のようだったんだろうね。

 だから僕も壊せなかったんだよ。闇の竜の嘆きの咆哮とともに落っこちてきた欠片をね」


 そこまでしみじみ言った賢者だが。


「それでさ、“つい”あの輝く欠片を錬金釜にいれて、なぜかあのときあったクマのぬいぐるみをだね……」


 「お前のせいか!」とマクシが叫ぶ。グラムファフナーも普段ならまたやらかしたか……と痛む眉間を指でもみほぐすところだが、今回だけは「よくやった」と褒めてやりたい。

 あの輝ける緑葉がこの賢者の気紛れで生まれたというならば。


「それでテティをあの穴から救い出す方法は?」

「ないって言ったら?」

「ならば“大賢者”が“無理をして”まで、私達をこの場に招くとは思えない」


 気紛れで移り気で突拍子もないことをするお騒がせ賢者だが、彼の行動にはなに一つ無駄なことはないのだ。そこにふざけすぎた遊びがあれど。

 それを指摘すれば若い青年というより少女のようにさえ見える容姿の賢者は「まいったね、宰相殿はすべてお見通しだ」とちっともまいってもいない様子で、からからと笑う。


「グラムファフナー、一度闇に身を落とした君ならば、闇の根元へと到達することはたやすい。僕が座標を定めればちょちょいとね」

「ならば、さっさと送ってくれ」

「ただし、この道は一方通行だ。二人を戻す力は僕にはないと言ったら?」

「愚問だな。私はテティの元へいく」

「一生二人で暗闇の底にいるの?」

「いや、この世界に戻る。テティには闇は似合わない。それに……」

「それに?」

「二人で考えれば戻る方法ぐらい見つかるだろう。あそこでは時間も停止しているからな。いくらすごそうとも、こちらに戻ってくるのは瞬きのあいだだ」


 それを聞いてダンダルフは一瞬きょとんとした顔になって、次の瞬間に本気で笑い出した。腹を抱えて。


「すごい、悲観主義だった君がいつから、そんな楽観主義に変わったんだい? その自信はどこからくるの?」

「テティと一緒にいれば馬鹿なことも考えなくなる」

「なら、君は僕に感謝すべきだよ。“お父さん”と呼ぶことを特別に許してあげよう」

「誰が呼ぶか。さっさと送ってくれ」

「はいはい、“いってらっしゃい”」


 それだけだった。賢者の言葉一つでグラムファフナーの姿は消えていた。「宰相!」とヘンリックは声をあげる。そして「大賢者ダンダルフ!」と呼びかける。


「なんだい?」

「二人は必ず戻ってきますよね? 僕達のところへ」「それはどうかな? まあ、あの空間の時間は止まっているからね。無限の時間で考えていつかは二人とも戻ってくるかもしれない。

 だけど、それはこちらの時間で百年か千年か、それとも百億万年かはわからない。人間の君ならとっくに死んでいるだろうね」

「…………」


 唇を噛みしめて泣きそうに顔をゆがめたヘンリックに、マクシが「おい!」とダンダルフをにらみつけるが、ヘンリックは首をふって「それでもかまいません」と言う。


「二人が戻ってきてくれるなら、百年後だってかまわない……ううん! 僕は今すぐ二人に会いたい。マクシとも一緒に笑いあいたい」


 「陛下……」とマクシが言葉に詰まる。ヘンリックは続ける。


「二人だけだって幸せになれるかもしれないけど、みんなと一緒にいればもっと幸せになれるでしょう? 

 僕はみんなと笑いあいたい!」

「よくばりだねぇ。さすがあのアルハイトのひいひいひい孫だけあるよ。

 その“強欲”だけで君には勇者たる資質があるよ。

 みんな幸せに仲良くなんて、絵に描いたケーキみたいなもんだからね。だけどそれを夢見て実現しようとするバカが勇者だ」


 歌う様な調子で賢者は言って「時間切れだ」と続ける。


「さて、無理をしすぎた。この部屋をこじ開けていられるのもここまでだ。では、さらば諸君。次に会うのは千年後かな?」


 「こら、このクソジジイ! やり逃げかよ!」とマクシが叫ぶ。


 部屋の形がぐにゃりと歪み、目の前の賢者の姿が消える、その瞬間に「オマケだよ!」とダンダルフがピンと親指とひとさし指をはじいて、飛ばしたのは光の蝶。

 それはすうっとヘンリックのひたいへと吸い込まれた。


 そして、二人は気がつけば、テティの家の二階の居間にいた。マクシが目の前の階段を確認するが、やはりその途中で途切れていて、扉は見えなかった。


 マクシは首を振り「陛下、外で二人の帰りを待ちましょう」というと、ヘンリックはうなずいた。






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