第16話 引きこもり賢者の言い分 その1




 グラムファフナーとマクシが飛ばされたのは、銀の森の外。ちょうどヘンリックが騎士達と待機していた宿営地の野営テントが張られた広場の真ん中。


 地面に叩きつけられることなく、柔らかな風に包み込まれるように二人はふわりと着地した。一緒に飛ばされた毒蛙の魔道士達は、ぼよんぼよんとその身体を弾ませて地面に落っことされている。

 いかにもテティの魔法らしいと笑う余裕などグラムファフナーにはなかった。彼は地面に着地する

なり、森のほうへと再び駆け出していた。


 だが、木々が生え始める境界線まで来た時、柔らかな風に押し戻された。それは強い力ではなく、やんわりとしたものだが、頑としてグラムファフナーが一歩も入ることを許さない。


「乱暴になるが、すまない」


 グラムファフナーはつぶやき、その掌底から発生させた闇の雷光を結界に叩きつけた。岩をも砕く一撃は結界を少しも揺るがすことなく、形の良い唇に皮肉な笑みが浮かぶ。

 だが、その表情には明らかな焦燥が浮かんでいた。無駄と知りつつ拳をふりあげて結界表面に振り下ろせば、見えないそよ風は柔らかくグラムファフナーの手を受けとめて押し戻す。


「テティ、ここを開けてくれ!」


 これも無駄と知りつつ叫ばずにいられなかった。そこに一緒に落下した毒蛙達を縛り上げろと、騎士達に命じたマクシが駆け寄ってくる。


「グラム、こいつはどういうことだ!? テティの奴は一体どうしちまったんだ!?」

「テティは一緒じゃないの? この森の中にまだいるの? どうして?」


 そこにマクシのあとからついてきたヘンリックが、二人に問う。状況がわからないマクシは首を振り、グラムファフナーが拳を握りしめて口を開く。


「テティはこの森の中……ではありません。穴の中に身を落としました」

「穴って、テティが言っていた底なし穴だよね!? どうして!?」


 その問いにグラムファフナーが絞り出すような声で言う。白くなるほど固く握りしめた拳が震えている。


「封印となるために……」


 「封印!? どうして!?」とヘンリックが声をあげ、「わけがわかんねぇぞ、グラムファフナー」とマクシも声をあげる。


 そこにいきなり頭上の空が陰ったと思ったらドスンと地面に降り立ったものに、マクシが振り返りあんぐり口を開けた。

 そこにはテティの赤い屋根の家があった。銀の森から一度王宮へと飛び、今度はこの銀の森へと戻ってきたのだ。


「また、空を飛んでかよ!」


 「こんなときに!?」とマクシはすっかり困惑した声をあげた。魔法に詳しくない剣士からすれば、混乱することの連続だ。

 旅のときはお騒がせ賢者のやらかすことで、だいぶ動じなくなっていたが、しかし、それは百年近く前の記憶だ。


「…………」


 グラムファフナーは無言でテティの家に歩みよるとその中に入って行く。マクシが「おい、待てよ」と追いかけて、ヘンリックもそのあとに続く。


 一階の食堂を通り抜けて二階の居間へと。そこにはテティの屋根裏部屋の寝室へとあがるハシゴの反対側に途中で途切れた階段がある。

 文字通り上の階に行く階段が途中でなくなっているのだ。そこから先にはあがれない。


 そこにはダンダルフの書斎と寝室があったのだと、テティは以前話した。

 そして、ある日目覚めたら、階段が途中で途切れて部屋ごとダンダルフは居なくなっていたのだと。


 その階段から光が漏れていた、グラムファフナーは迷わず昇る。

 途中でなくなっているはずの階段の先には扉があり、コンコンとノックすると「どうぞ」と軽やかな声がした。聞き覚えのありすぎる声にマクシが「まさか」と声をあげる。


 扉を開けて中にはいれば、そこは四方の壁がすべて本棚の書斎だった。グラムファフナーの執務室に似ているが、違うのは本棚からあふれた本が無造作に床に積み上げられて、さらにはそこに訳のわからないガラクタが転がっている乱雑さだ。


「やあ、久しぶりだね」


 大きな書斎机を前にした人物が、椅子に腰掛けたまま片手をあげる。

 純白のローブに身を包んだ痩身の青年だ。髪の色は白というか水色というか混ざり合った不思議な色をしている。瞳の色は黄昏の夕日が沈む金。


「百年ぶりだな、ダンダルフ」


 グラムファフナーがそう呼びかけたのにヘンリックは「え? この方が大賢者ダンダルフ!」と驚く。

 賢者と聞けば白い髭の長老みたいな姿をだいたいの人は思い浮かべるだろう。しかし、目の前にいる大賢者は、どう見てもグラムファフナーやマクシと変わらない青年に見える。


 もっとも、二人の歳も百歳以上なのだが、ヘンリックがマクシを見上げれば、彼もまたうなずく。その表情はなぜか苦虫をかみつぶしたような微妙なものだ。


「百年も消息不明で、こんなときに現れるか? じいさん」


 マクシが不機嫌を隠さずに言う。


「この世界にいるなら、どうしてアルハイトの最期のときに来なかった?」

「勇者の呼ぶ声は僕の耳にも届いたよ。だけど、行きたくても行けない状態だったんだ。今だってかなり無理しているんだからね」

「どういうことだよ?」

「それがねぇ、うっかりこの部屋に自分を閉じこめちゃったんだよね。一年ぐらい頭を冷やすつもりが、詠唱を噛んじゃって千年ぐらい」


 「はぁ!? なんでそんなことしたんだ!?」とマクシが訊ねれば「それが苦しい事情があってねぇ」とダンダルフは切なげにため息を一つ。


「五十年ぐらい前かな? テティがいきなり“羽化”しちゃったんだよ。クマのぬいぐ……じゃない、これ言うとあの子は僕でも、頭をボコろうとするからなあ……ともかく、あの姿なら可愛い可愛いだけですまされるけど、まさか羽化したらエルフと見まごうばかりに僕好みの美人なんてさ。

 ちょっと、グラムファフナー、殺気出さないでよ! 剣の柄に手をかけない! あの子には指一本触れてないから、安心して!」


 慌てて早口で言った賢者は「だから頭を冷やすつもりで一年部屋に引きこもろうとしたんだから」と続ける。


「千年どころか、永遠にこの部屋に引きこもっていろ」

「酷いなぁ。だいたいグラムファフナーこそ、その様子だとあの子に手を出したでしょ?」


 「三歳なのに」とダンダルフが言えば、マクシがギョッとするのに「このふざけた賢者の冗談に決まっているだろう」とグラムファフナーがすかさず返す。


「だいたい“これ”が部屋に引きこもったのは五十年前だぞ」

「“これ”って酷いなあ。まあ、君とテティが出会ったら、惹かれあうのはわかっていたけどね。なにしろ、あれは君の一部だ」

「……テティに穴の塞ぎ方を教えたのはお前か?」

「あの子が生まれた日にね。だってあの子も穴も一緒に生まれたんだもの。彼らは双子みたいなもんだよ」

「テティをあそこから解放する手段を教えろ」


 グラムファフナーが今度こそ長剣を抜いて、賢者の女性のように整った容姿の鼻先に、その切っ先を突きつける。それを動じもしないで賢者は見つめる。





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