第10話 世界を救う昔話の続き その2
「災厄の竜……」とテティはつぶやき顔をしかめた。テティは勇者が魔王を倒したとしかダンダルフに教えられていなかった。
だけど、グラムファフナーの端正な口から、その言葉がこぼれたとたんに、背中がなぜかぞわりとした。生理的な恐怖というべきだろうか? これは世界の敵だと感知したのだ。
思わずぶわりと逆立ってしまった背中のくるくる巻き毛を、大きな手がなだめるように撫でてくれる。グラムファフナーは語り続ける。
「“それ”に意思などなかった。魔王の制御を離れた闇は暴走し、破壊そのものになった。
竜が一番最初に牙をむいたのは、自らを生み出した魔界そのものだった。魔界の常に黄昏時の赤い空に舞い上がった災厄は、闇のブレスで地表を焼き付くし、魔族の命を奪い吸い込み、さらにその闇をふくれあがらせた」
このとき魔界のほとんどは失われたのだという。魔族の命もだ。
魔界を蹂躙した竜は、今度は闇の裂け目から地上へと出た。
崩壊する魔王城から逃れられたのはダンダルフがとっさに転移魔法を使ったからだ。『君達全員を転移させるのは、さすがの私でも疲れたよ』と本人はぼやいていたが。
「崩れた城から現れた闇の竜の巨大さ、まがまがしさに大半の者はなすすべもなく呆然と見ているしかなかった」
このまま魔界のごとく地上も災厄に呑み込まれてしまうのか? と思われたとき。
「父シグルズが前へと出た。いや、エルフの隠れ里の長シグルズと言うべきか。そして城の外で待っていたエルフ達も」
彼らは“このとき”のために虹の海の向こうの常世の国へと行かずに、地上に残ったエルフ達だった。
神々と同胞であるエルフ達が去ったあと“災厄”に見舞われるだろう世界をたった一度だけ、救うために。
「希望を失うなと父は言った。闇を見たそなただからこそ、強いともな」
そして、手を伸ばすグラムファフナーを振り返ることなく、彼は光の中へと消えた。
身体を捨てて魂だけとなったエルフ達が張った光の結界は、竜が地上に半分身体を出した形で押しとどめた。しかし、闇の力は強く、彼らエルフの魂をもってしても、賢者ダンダルフ曰く「いつまで保つか」というものだった。
そして、グラムファフナーは父が消えた光の結界を呆然と眺めていた。「やり直せる」と父は言ったがどうしたらいいのかわからなかった。自らが魔王となって犯した罪を、そして、あの災厄の竜とても己が招き寄せたものとしか思えなかった。
魔界は滅び、地上も今滅びようとしている。
だが、そんなグラムファフナーの前に手を差し出した者がいた。
「あのお人好しの勇者アルハイトだ。あいつは私に言ったのだ。『魔王、いやシグルズの息子、グラムファフナーよ。俺に力を貸してくれ』と」
“元”魔王に勇者の仲間になれというのだ。旅の仲間達は当然大反対した。とくに。
「マクシの奴は『なにを考えている!?』とアルハイトに食ってかかっていたな。奴はアルハイトの一番最初の旅の仲間で親友同士だったからな。勇者の身を案じて、私を警戒して当然だ」
神官サトリドと魔法使いヴァルアザも当然良い顔などしなかった。それを「まあまあ」取り持ったのはふざけた賢者ダンダルフだ。
「僕も君達の旅に同行しよう。そこの元魔王の監視役としてね。どうだい?」
“大賢者”の言葉に勇者の仲間達はしぶしぶうなずいた。のちにこれが大変な間違いだったと、みんなぼやくことになるのだが。
グラムファフナーを仲間にしたことではなく、大賢者が起こす騒動に……だ。
「そして、私達は闇の竜を倒した」とグラムファフナーが言えば、テティは「え? いきなり終わっちゃうの?」と不服そうに言った。
「途中の大冒険とかあるでしょ?」
「それを話すと長くなりそうだから、結論から話したんだがな」
主にお前の師匠であるダンダルフの起こした騒動でな……とグラムファフナーは内心で苦笑する。まあ、あの賢者の“きまぐれ”は単なる偶然ではなく必然で、思わぬところで冒険の助けになったのだが。
たまに、本当にはた迷惑なだけな時があって、それが特大級だからマクシが「なあ、あれ大賢者だよな? 俺達、道化と一緒に旅してるんじゃないだろうな?」と何度もぼやくことになったのだが。
「闇の竜を倒したときに、気になったことは一つあったが……」
「なに?」
「あれは闇そのもの。魔界だけでなく、地上から落ちてきたあらゆる生き物の負の感情を吸い込んだものだが、竜そのものにはなんの感情もなかったはずだ」
あるのはただすべてを無にすることだけ。
「だが勇者の聖剣の光に撃ち砕かれて、消える瞬間。あれの嘆きが聞こえた気がしたのだ」
「嘆き?」
「“寂しい”とな」
「…………」
誰に話したことのないことを、テティになぜ話す気になったのか、グラムファフナーにもわからず、あいまいに微笑んだ。小さなクマはぱちぱちとまばたきをして、無言で考えている。
あの闇の竜に感情などないはずだ。あれは咆哮一つあげずに消え去ったのだ。ただ、世界を無にするために生まれた善も悪も通りこした、滅びそのものだった。
そこに寂しい……などと。だから、あれの消滅の瞬間聞こえたのは、己の心の反映かと思って誰にも言わなかったのだ。
魔界に赴き、魔王となるための闘争、そして魔王となったあともグラムファフナーは確かに孤独だった。母はおらず、父には見捨てられたと思っていた。家族同然の魔族達はもういない。
力でねじ伏せた配下達を信用出来るはずもない。彼らはグラムファフナーの力を怖れていただけだ。己が弱さを見せればたちまち背を向けた瞬間に、叛逆の牙をむくだろう。
「……ただの私の感傷だ」
グラムファフナーはテティにもそう語り締めくくった。
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
闇を倒した勇者に神々は祝福として、闇に侵された大地を浄化し与えた。人並み外れた長寿は、一から国を興すのには時間が必要だろうと、これでは祝福なのか、たんに復興を押しつけられたのかわからないとグラムファフナーなど思ったが。
勇者アルハイトは一旦は滅んだドーラ王国の王女を娶り、あらたにグランドーラと国名を改めた国の初代国王となった。
勇者の仲間達は東西南北へと散った。マクシは生まれ育った草原へと戻り獣人達を率い、神官サトリドと魔法使いヴァルアザはそれぞれ、後進の指導にあたり大神殿と魔法学園を築きあげた。
グラムファフナーは北へと。氷の城を築き、そしてそこを人界と魔界の境界線とした。
「境界線?」
「ああ、魔界のほとんどは闇の竜に呑み込まれ、魔族さえ住めぬ荒廃した大地となったが、それでもごく一部侵食を逃れた黄昏の地が残っていた。
そこと人が住むには苛酷な雪と氷に閉ざされた北の地を私はつなげて、生き残りの魔族の地とした」
勇者に敗れて災厄を招いた“なりそこない”が領主面をするなどと、魔族達の反発がなかったわけではない。だが災厄を逃れて生き残った者達は疲れ果てて休息を必要としていた。人間との争いなど考えられないというものがほとんどだった。
そもそもが魔王となるほどの力を持つ者以外、魔族とて獣人や人間達は変わらない、日々を健やかに過ごしたいと思う者達が大半だったのだ。
まして、魔族は人間よりも遥かに長寿であるが、その代わりに繁殖力がない。百年前と数はさほど増えることなく、氷の城のふもとの街と北限の向こうに繋がる黄昏の地で細々と暮らしている。
「……そして百年、グランドーラは外の国との戦もなく、ほぼ平和だったわけだ」
「それで、闇の竜を倒すあいだの旅のお話をしてくれるの?」
「……長い話になるぞ」
テティにねだられて、仕方なく語れば結局人騒がせな賢者が起こした事件の数々ばかりとなった。テティはそれに笑い、目を丸くし、あきれたようにため息をついて言った。
「ダンダルフってやっぱりヘンな人だったんだね」
弟子にまで言われてしまえば、たいがいである。
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