第5話 夜のおさんぽ その1




 グラムファフナーの寝室は、王宮は右翼の三階にある。

 王宮の天井は高く、当然その高さも普通の建物ならば四階か五階ぐらいの高さだ。


 テティはためらうことなく、その窓から飛び降りた。ひらりと赤いスカートと白いエプロンがなびく。

 そして、音もなくシュタッと地面に着地した。両手をあげて「じゃーん」と格好つけてしまうのは、なんとなくのクセだ。


 今日のテティの格好はクロクマの姿ではない。腰までの丈の赤いケープのフードを被り、白いブラウスに赤いロングスカートに、白いエプロン姿。お花のはいったお籠を持った花売り娘の姿だ。


 長いスカートの裾をちょこんと摘まんで、走る姿はおしとやかであるが、その速度は駆ける馬並で、夜の庭を横切る影を見る者がいたら、目をむいただろう。

 しかし、その姿は誰にも見とがめられることなく、王宮の高い壁をひらりと難なく越えてその向こうに消えた。




   ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇




 一日前のことだ。


 グラムファフナーの屋敷には、二人で十日に一度ほど戻る日々が続いていた。屋敷には月色の姫君が暮らしていることになっていて、グラムファフナーが王宮に詰めたままでは二人の不仲が噂される。それで、懲りもしない貴族達が自分の縁故の娘を薦めてきたらやっかいだということだった。


 テティにとっては、社交界の儀礼とか作法とか、貴族の人達の思惑なんて「わかんない」のひと言だし、グラムファフナーも「お前はそれでいい」といつも頭を優しく撫でてくれる。

 もこもこクマの頭を撫でてくれるのも、月色の髪をすく長い指もどちらも大好きだ。


 大好きなグラムファフナーに初めての友達のヘンリック、それにマクシも仲間に入れてやってもいいかな? 本人がきいたら「俺はオマケかよ!」と怒るかもしれない。

 銀の森でひとり暮らしていたテティの世界は、少しだけ広がって、自分の周囲の大切な人が笑っていてくれればいい……そう思っていたけど。


 “帰った”お屋敷で見てしまったのだ。

 正確には屋敷の壁に貼られた張り紙。


「月の魔女を出せ!」

「魔女をかくまうな!」

「魔王の出来損ないの宰相など民は認めない!」

「魔族はこの王都から出ていけ!」


 屋敷の者達が慌てて出てきて「旦那様のご到着時間だからすべて剥がしたのに、いつの間に」「それより早く!」という声も聞こえた。


 「お前はなにも気にすることはない」とグラムファフナーは頭を撫でてくれたけど、テティが「あれはなに?」と訊いても「可愛いお前の耳に入れたくもない、戯れ言だ」と答えてくれなかった。それでもしつこく訊いたのだけど、話がいつのまにか逸らされていて、テティは今晩のデザートの魔王様のババロアなんて、ちょっと怖い名前のそれに興味津々となっていた。


 魔法のオーブンで焼き菓子は得意だけど、アイスクリームやシルベットやババロアにムース、プディングなどは、王宮や御屋敷のコックさんのほうがテティよりうまい。というか、銀の森の外にきて初めて食べた氷菓子にテティは夢中となった。


 魔王様のババロアは、真っ黒ショコラのババロアで大変においしかった。添えられていたキャラメルのアイスクリームも。

 それをご機嫌で食べて、テティはしっかりごまかされたことに気づいて「しまった!」と思ったのだけど。


 テティの疑問は美味しかった夕ご飯の腹ごなしにと、クロクマの小さな姿でとことこ、お屋敷を探険しているうちに解かれた。


「テティ様が月の魔女なんて根も葉もない噂なのに」

「このあいだまでは旦那様のことを幼い陛下を支える名宰相なんて、持ち上げていたクセに」


 メイド達が口々に言い合っている。テティはこのあいだグラムファフナーの執務室で、聞かされた月の魔女の事件を思い出す。あのときも、テティが犯人だと噂されていると、マクシに聞いた。


「魔族は出て行け! ですって、本当に腹が立つわ! 旦那様が北の領主として魔族を統治しているおかげで、ここ百年、魔族や知性ある魔物達は人間を襲ったことなんて一度もないのに」

「その百年も生きられないクセに、人間達の魔族を見る目は、昔とちっとも変わらない。

 獣人達に対してもね。月の魔女とやらが捕まらないのは、赤狼騎士団がうちの旦那様と通じて、犯人を見逃しているからだ……なんて噂まで出ているのよ」

「なにそれ! まったく根拠もない訳でしょ? 

 赤狼騎士団や獣人の戦士達が西の草原でにらみを利かせているからこそ、その向こうの大国の脅威もないっていうのに、本当に人間どもって何にも考えてないのね!」


 口々に言い合うメイド達のそばを、テティはそっと離れたのだった。

 なんでそんな噂を流すのかわかんないし、グラムファフナーやマクシ、獣人に魔族達が悪く言われるのにも腹が立つ。


 人間全体がなんて思わない。友達のヘンリックやいつも怒る女官長だって、ヘンリックを大事に思ってのことだ。テティのお世話をしてくれるメイドのイルゼだって大好きだ。


────その月の魔女を捕まえて、テティが犯人じゃないってわかればいいんだよね?

 

 テティの考えはいつだって単純明快だ。




   ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇




 事件のせいもあって、グラムファフナーは夜遅くまで、毎日お仕事している。帰ってくるのはテティが寝た真夜中で、早起きのテティが目を覚ますと横で綺麗な寝顔の彼がいた。

 眠る前にお話出来ないのはちょっぴり寂しいな……なんて思っていたけれど、こんなことになっていたなんて。


 王都を歩くのは初めてだ。だがテティのよい耳は人々の喧騒を拾って歓楽街と向かった。


 並ぶ酒場や小劇場にちょっと足取りの怪しい酔っ払い、男達にしなだれかかる女達と、昼間の馬車の窓から見える風景とまったく違う景色に、テティは緑葉の目を丸くしてまじまじと見てしまう。


 「その花は幾らだい? 全部買ってあげるから、私の屋敷においで」と黒塗りの馬車の窓から声をかけられた。見上げれば、ちょびひげのニヤニヤと笑みを浮かべた男がこちらを見ていた。


 テティは「お花は売り物じゃありません」と首を振ってその場から逃げた。「あの娘を捕まえろ!」なんて声が聞こえて、男達が二人追いかけてきたけど、もちろんテティの足に追いつくはずもない。


 人混みに紛れて、ふう……と息をついた。お花を全部買ってくれるのは花売りとしてありがたいかもしれないけど、屋敷においでってどういうことだろう? アイスクリームでももらえるのかな? と考えたけど、今夜は月の魔女を捕まえなきゃいけない。




 それから……。




「誰の許しをうけて俺達のシマで花なんか売ってるんだよ」

「場所代も払わねぇで商売なんていい度胸じゃないか」


 薄暗い街路、男二人に囲まれて絡まれていた。


 シマ? ってとテティは首をかしげた。「ここは海じゃないけど」と答えたら「ふざけてんのか!」とやたら大きな声で怒鳴られた。『イヤだ。野蛮』とテティは顔をしかめる。


「よく見りゃ、とびきりの上玉じゃねぇか!」

「ああ、こんな道で花売りなんてやってるのはもったいねぇ。高級娼館に売り払えばたちまち花形だ。さぞ金になるぜ!」


 「来い!」と腕をつかまれそうになって、テティは振り払った「逆らうのか!」と手を振り上げた男にもう一人の男が「顔は傷つけるなよ!」と言う。

 殴りかかる男の足を素早くはらってすっ転ばせる。「なにやってんだよ!」と立ちふさがるもう一人の股間を。


 木靴で思いっきり蹴り上げてやった。


 駆け出す後ろから「つぶれた!」なんて断末魔の悲鳴が聞こえたけど、どこがつぶれたかなんて、テティは知らない。





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