第4話 噂の影 その2




 「まったく、酷い目にあったわ」とアンニ・ダゴファー・ラツバイト伯爵令嬢は、馬車の中でふてくされたようにつぶやいた。

 “カエルの呪い”はあのいまいましい“魔女”の言葉どおり、翌日にはケロリと治っていた。


 ただし、衆人の目の中、自分が無様にゲコゲコと鳴いたことは変わりない。そのためにアンニは恥ずかしさで外に出ることも出来ず、この半月あまり屋敷の中に閉じこもっていたのだ。


 とはいえ、そこは当世風の若い令嬢のこと。いつまでも鬱々と自宅の中に閉じこもっているのも我慢出来ずに、今夜は久々に“夜遊び”へと繰り出した。


 いくつかの夜会を渡り歩き、最後は同じように“謹慎”していた令嬢達とこんな宵っ張りの貴族の為だけに開いている、真夜中のサロンにて、名物の闇の悪徳なんて名前がついている、ラム酒のショコラアイスクリームを味わって解散となった。


 おしゃべりに花が咲きすぎて、もうじき夜が明けるだろう、もっとも暗い時間。明かりの落とされた王都の街路では、馬車に揺れるカンテラの明かりだけが周囲を映す。

 突然馬車がガタリと止まって「どうしたの?」と外にいる者達に声をかけるが、御者からも、従者達からの返事もない。


 恐る恐る馬車の扉を開いて外に出て、アンニは息を呑んだ。


 御者達も従者達もすべて意識を失い倒れていたのだ。悲鳴をあげかけた彼女が最後に見たのは、黒いローブをまとった不気味な姿と。


 銀色の鳥かごだった。




   ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇




「月の魔女?」


 宰相の執務室。テティはいつものようにグラムファフナーのお膝の上。大きな机をはさんで反対にはマクシが立っている。


「……とまあ呼ばれている。貴族の令嬢や若いご夫人の馬車が次々と襲われている」


 死者は出て居ないが、襲われた令嬢や若い夫人達のことごとくが、眠ったまま起きないのだという。


「今じゃその噂で社交界は持ちきりで、女達は夜遊びをすっかり控えてしまっているそうだ」


 「男ばかりの夜会じゃ華もないと、みんな嘆いているそうだぜ」とマクシが続ければ「風紀にはよいではないか」とグラムファフナーは返す。


 二人とも当世風のサロンや夜会を渡り歩いて、ひと夜の恋を楽しむなんて趣味も暇もない。


 勇者王アルハイトの百年あまりの治世は、魔物の脅威も他国との戦争もなく、まったく太平の時代であった。

 当然人々の生活は豊かとなり、貴族やブルジョア達は毎夜の夜会に観劇、サロンでの語らいとその風俗は爛熟の極みにあるといってよいだろう。


 これも平和の証だとグラムファフナーは、風紀の引き締めなどという無粋なことはしなかった。闇の竜に滅ぼされる前の魔界の貴族達の狂宴を知ってる身としては、人間の考える享楽など可愛いものだ。


 とはいえ、国庫にたかり甘い汁を吸っていたような輩は、かのカウフマンが失脚したときに一掃させてもらったが。


「それで、月の魔女というのは?」

「ああ、御者や従僕達の証言では馬車の前に黒いローブをまとった不気味な影が現れたと」

「それだけか?」

「それだけだ。それで魔女の正体は月色の姫君だなんて、噂話も出てる」


 いきなり自分の話が出てきて、テティはきょとんとする。自分を膝に抱くグラムファフナーを振り返る。


「テティ、昨日もおとといも、その前もずっと、グラムと一緒にお休みしていたよね?」

「ああ、お前は一晩中私の腕の中だ」

「……わかっていたけどよ。おまえらの夫婦? 生活なんぞ知りたくはなかったぜ」


 遠い目になるマクシにグラムファフナーはフッ……と笑って「お前も早く身を固めたらどうだ?」と言う。見せつけるように、膝にいる小さなクマのもこもこの頭に軽く口付けを落としながら。


「このあいだの舞踏会など良い機会ではなかったか?」

「へいへい、ダンスのお相手をしながら『あなたには羊の乳しぼりが出来ますか? 』と訊ねたら、ことごとくフラれましたけどね」


 実話である。このあいだの舞踏会にてマクシは、自分目当てにダンスを申し込んできたご婦人を拒むことはなかった。


 が、そのダンスのあいだ、西の草原での自分達一族の暮らしをとうとうと語ったのだ。夏は草原のテント暮らし、冬は雪に閉じこめられた岩の要塞で長い春を待ち、妻は夫のために毎朝羊の乳をしぼると。


 絹のドレスに身を包んだ、扇よりも重いものを持ったことがないような貴族のお姫様方が、それにひるんで逃げ出したのはいうまでもない。


「羊さん! 僕、羊さん見てみたい!」

「おう、俺の草原にくればいくらでも見せてやるぜ。俺のために乳しぼりもやるか?」

「やってみた……」


 い! と叫ぼうとしたら、グラムファフナーの手がぱふりとテティのお口をふさぐ。


「テティ、羊なら私の屋敷で飼ってやろう。雄と雌のつがいのな」

「それならすぐに可愛い子羊が生まれるね。名前つけていい?」

「もちろん、お前の羊だ。それから私のために毎朝、乳しぼりをしてくれ」

「うん!」


 テティは元気よくうなずく。「子羊さんかわいいだろうな。赤いリボンと金色のベルをつけた首輪をつけてあげるんだ~」と喜んでいる。

 そんな夢見る? もこもこクマさんの頭上で、ダークエルフの宰相殿は、ぎろりと赤毛の獣人の騎士団長をにらみつける。


「本気にするなよ。冗談に決まってるだろう」

「当たり前だ」


 『俺のために毎日羊の乳をしぼってくれ』とは西の草原での求婚の言葉だ。「まったく、愛しのクマちゃんの事になると大人げねぇな」とマクシはつぶやき。


「王都の警らの役人からも、協力要請が出ているんでな。今日から赤狼騎士団も夜警に参加する」

「死者は出て居ないとはいえ。王都の安全のため放置できる案件ではないな、よろしく頼む。

 しかし、気になるな」


 「なんだ?」とグラムファフナーにマクシが訊く。


「犯人だと噂されている“月の魔女”のことだ。

 姿形も見ていないのに、どうして、それを私の婚約者と結び付けるのか」


 「そういえばそうだな」とマクシがつぶやき、きょとんとするテティの頭をグラムはなでながら。


「その噂、あきらかなこちらへの悪意を感じる」


 とつぶやいた。

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