第1章 はじまりの出会い

転がり込んで来た幼子

第1話 夢の中の声

 朝から陽射しが心地良く、教室の窓から入る光は眠気を誘う。カーテンを閉めていても、爽やかな風が吹けば同じことだ。


(眠い……)


 現在、午後の授業の真っ最中。数学の教師が板書しつつ、公式の説明をしている。

 しかし、話を真剣に聞いているのは約半分の生徒だろう。残り半分は彼のように寝ていたり、テキストに隠してゲームやSNSをしていたりする。

 今まさに眠りに落ちた少年は、夢の中で何かの声を聞いた気がしてぼんやりと意識を浮上させた。まさにその時のこと。


「さてここを……美津野木みずのき

「……誰だ、その声? ……え、うぇっ!?」

「飯を食った後の数学が眠いのはわかるが、堂々とし過ぎだ」


 教師が腰に手をあて、息をつく。同時に生徒たちも笑い出し、当てられた美津野木梓みずのきあずさは頭を掻いて苦笑いを浮かべた。

 しかし、教師は梓の逃げを見逃さない。チョークで梓を指し、それからトントンと黒板を叩いた。


「笑い事じゃないぞ。眠気覚ましに、これを解いてみろ」

「マジか……えっと……」


 自分のノートを見るが、授業の半分程寝ていたためにほとんど真っ白だ。テキストも、今何処をやっているのかわからない。


(やっちゃったな……)


 正直にわからないと言えば、補修確実だ。どうしたものかと考えていた梓は、隣の席から「梓、梓」と呼ばれているのに気付いた。

 先生の目を盗んで顔を向ければ、隣の席の親友が自分のノートを指差している。


「……大輝たいき

「お前、寝過ぎ。ほら、ここだ」

「さんきゅ」


 大輝に礼を言い、梓は彼のノートからヒントを得て問題を解いてみせる。

 答えを聞き、教師は半分呆れ顔で「正解」と言った。


「だけど、これは春日かすがのお蔭だな。ちゃんと礼は言えよ?」

「わかってます。……助かったよ、大輝。ありがと」

「どういたしまして」


 呆れ顔の少年は、春日大輝かすがたいき。細身の眼鏡の弦を指で押し上げる。そしてくすくす小さく笑った大輝のお蔭で、梓は補習を免れた。


「大輝、さっきは助かった」

「別に良いよ。梓が授業中に寝るのは、今に始まったことじゃないだろう?」

「耳が痛いな……」


 授業の合間の五分休憩時間、梓は大輝の言葉に肩を竦める。どうも歴史の授業と体を動かす授業以外は眠く、机に突っ伏してしまうのだ。


「そんな俺でも赤点じゃないのは、大輝のお蔭だな。お供え物、また用意するから」

「くくっ……。オレは仏様か」


 肩を震わせていた大輝は、ふと梓の様子がおかしいことに気付いて目を細めた。いつもなら大笑いする梓が、何かを考え込んでいる。


「……変なものでも食べたのか?」

「何でそうなるんだよ。弁当しか食ってない」

「じゃあ、何でそう物憂げなんだ? 気になることでも?」

「……最近、変な夢見るんだよ。最近って言っても、ここ何日かだけどさ」

「夢? それはどんな……」


 大輝が話を続けようとした矢先、授業開始を告げるチャイムが鳴る。バタバタと生徒たちが席につき、梓は「後で話す」とその場を切り上げた。


 それから六限の授業も終了し、放課後になる。部活に入っていない梓と大輝は、揃って高校の外へ出た。徒歩通学で家も比較的近いため、よく一緒に帰っている。

 校門を出てから五分ほどして、大輝が隣を歩く梓に「なあ」と話し掛けた。


「そういえば、昼間のあれ。変な夢ってどんな夢なんだ?」

「ん? ああ、それな。いや、本当に変なんだよ」


 腕を組み、梓は呻く。うまくは話せないぞと前置きをして、話し始めた。


「俺は夢の中で、洞窟の中にいるんだ。真っ暗で何も見えないけど、洞窟だってことはわかる。それで、俺は突っ立ってるんだけど、何処からか声がするんだ」

「声?」

「うん。何か『助けて……助けて……』って」

「……ほぼホラーじゃないのか。何というか、四谷怪談的な」

「それは皿数えるやつな。怖い感じは一切しないんだよ。むしろ、子どもが泣いてる感じで、助けたいっていう気持ちになる」


 幼子が、親とはぐれて泣くような声。そこに悪意は一切感じられず、梓は思わず口を開くのだ。


「俺は言おうとするんだ。『何処にいるんだ?』って。でも、いつも声が出る前に目が覚める」

「それって夜だけ……じゃないんだな?」


 昼間の梓の様子を思い出し、大輝が念押しする。それに頷き、梓は「そうなんだよな」と天を仰ぐ。


「授業中でも、寝ていたら夢に出て来る。そろそろ別の夢も見たいけど、寝ると全部それなんだよな」

「全部!? 流石にそれは……怖すぎるだろ」

「な。でも、嫌な感じはない。どうしたら良いかわかんないんだよ」

「夢占いとか調べてやろうか? 現実的な問題解決にはならないだろうけど」

「そうだな、俺も調べてみるよ」


 何日も何日も同じ夢を見続ける。しかし全く変化がないわけではなく、少しずつ少しずつ、声の主に近付いているような気がするのだ。


(近々、声の主が誰かわかると思うんだけど)


 ホラーでないことだけを祈る。梓は微苦笑を浮かべ、大輝に向かって軽く手を振った。この十字路で、いつも右と真っ直ぐに別れる。


「何か変化があったら、また話すよ」

「体調に何かあってもいけないから、気を付けろよ……としか言えないけど」

「充分だよ、また明日な」

「宿題はしろよ。また明日」


 右に曲がった梓は、しばらく真っ直ぐに歩いて行く。この辺りは人通りが少なく、すれ違うことは少ない。


「……何だ?」


 だからこそ、進行方向にあるバス停のベンチに幼子が座っていて驚いた。周りを見ても、親らしき人物はいない。


(迷子か?)


 必要ならば、警察に連れて行かなければならない。梓はスマートフォンを手に、子どもの前に腰を下ろした。


「お前、お父さんかお母さんは? 一緒じゃないのか?」

「……」

「……えーっと?」


 子どもは大きな目を更に丸くして、じっと梓を見つめてくる。その瞳は青空のような水色で、髪は銀色で腰まであるようだ。

 外国人の子かもしれない。梓は頭をフル回転させ、苦手な英語を絞り出す。


「あーっと、俺の言ってることわかる? キャンユースピークジャパニーズ?」

「……見つけたぞ、梓」

「俺を知ってる……? 誰だ、お前」


 思わず腰を浮かせた梓の肩をガシッと掴み、子どもはまっすぐ彼を見つめて口を開いた。


「助けてくれ、梓。この国を、世界を救って欲しい!」

「……………………………………は?」


 たっぷり十呼吸分放心して、梓はようやくそれだけ口にした。

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