第11話 紫の女
梓たちがショッピングモールをりゅーちゃんと共に歩いていた時、それを監視する目があった。しかしその目は一つであり、更に距離もあったために三人のうち誰も気付かずに終わる。
「……ふむ」
その目を持つ者は通行人の装いだったが、心臓も血液も有していない。ただの人形が人に化けていた。
そして、その目を通して梓たちを見つめるもう一つの目がある。男は瞬きを一つすると、コーヒーの入ったカップを手に取った。
「こちらの邪魔をするのなら早めに潰そうかと思ったが、あの様子では本格的に動き出すまでには時がかかりそうだな」
それでもこちらも悠長にしていたら、いつか足をすくわれる。男はふっと一息つくと、椅子から立ち上がった。
ふらりと向かうのは、書斎の一角。壁に広げられた日本地図の前だ。その地図には幾つかの赤い押しピンが刺さっている。
「頭、翼、尾。……そして、心臓。重要箇所は全て見付けたが、ダミーを無視してたった一つの鍵を手に入れるのは骨が折れそうだ」
なにせ、鍵は創生の龍と共にいる。三つのダミーも鍵の近くにあることがわかっているが、先にどちらを狙うのが効率が良いだろうか。
「もう少し、情報を集めよう。どうやら向こうは、我々の動きに気付いていないようだ」
「そのようですね、マスター」
「戻っていたか」
突然涌いた声に、男は驚いた風もない。
丁度日の当たらない影に立つその人は、毛先だけを紫色に染めている。癖のある長髪を揺らし、こてんと首を傾げた。
「どうかなさったのですか?」
「何処から攻めるべきか、と思ってね」
「それは……鍵と守護者たちが目覚め切る前が宜しいかと」
「ならば、お前が様子を見てきてくれるか?」
男が笑いながら問い掛けると、影に立つ者は唇で弧を描いた。
「マスターがおっしゃるのならば」
「では、行け。鍵以外は殺しても構わん」
「はい、マスター」
紫の残り香が消えた頃、男は日本地図に手を伸ばす。その指先が触れたのは、龍の胸元。その下にある、止まって久しい心の臓。一握りの者を除けば、その存在を知る者はいない。
「龍よ。我が願い、悲願のために再び目を覚まさせてやろう」
ククと笑ったその声は、誰にも届かない。男は気が済むと、新たな
それから数日後。梓は一人、書店にいた。
放課後の西日が差し込む店内で、歴史や伝説について書かれた本のコーナーに佇む。その手が伸びるのは、古代史や創世神話について書かれた書籍だ。
(流石に国土生成神話に、りゅーちゃんのことは載ってないか)
創世の龍は一体だったのか、複数だったのか。他の大陸はどうなのか、梓はりゅーちゃんに尋ねたことはない。しかし、何となくだが教えてくれない気がした。
(昔のこと、生きてた時のことを話したがらないんだよな。知らなくても構わないけど……いつか、教えてくれたら良いな)
今回の件が済むまでは、生きていた自分の経験を語ることは恐らくない。それでもいつか、と梓は自分がりゅーちゃんとの「いつか」を想像している自分に苦笑した。
その時、人がやって来る足音が聞こえた。住宅地にあるこの書店は、言っては何だがあまり客がいない。もし通路を通るのに邪魔になったらいけないと思い、梓は何となく耳をそばだてた。
カンッというヒールの音がして、その人は何故か梓の真横に立つ。
(俺、邪魔か?)
もしかしたら、この辺りの本を探しているのかもしれない。梓は数歩横にずれたが、隣に立った女性は動く気配がない。おかしいと思った梓が顔を上げると、女性がじっと梓を見つめていた。
「何で……すか?」
「みぃつけた」
「――っ!?」
視界がぐらりと揺れた気がした。
梓は思わず片目を押さえるように手で顔を覆うと、地面を踏み締める。そうしなければ、その場に崩れ落ちてしまう気がした。
「何者だ、あんたは」
「マスターの忠実なる
「マスター? ……龍を狙う奴の手下か」
「あのお方を「奴」呼ばわりなんて、許せない」
突然、女が梓に掴みかかった。梓は間一髪で躱し、急いで書店の外を目指す。ここでは動き回るのに狭いし、何よりも店主や他の客に迷惑がかかる。
「お客さん、店内では走らないでよ」
「すみません!」
案の定、店の奥にいた壮年の店主に注意されてしまった。しかし、止まるわけにはいかない。梓は本棚を縫うように走るが、後ろからやって来る女は積極的に平積みしてある本を落として走っている。更に、何故か女が腕を振るうと、棚に収められている本が梓に向かって飛んで来るのだ。
「うわっ」
「何処まで逃げられるかな!?」
「――っ。早く!」
書店の中は、女が有利だ。梓は本に触れないよう気を付けながら、全速力で道へと飛び出す。そして真っ直ぐに自宅の方向へと駆け出した。
(どうする? 家に帰ればりゅーちゃんがいるけど……合わせちゃいけないよな)
女の目的は、十中八九りゅーちゃんだと梓は考えていた。まさか、自分が今回狙われているなど、思いも寄らない。
足がもつれそうになりながらも、止まるわけにはいかないと後ろの足音に耳を澄ませながら走り続ける。当然、梓の後ろには涼しい顔をして駆ける女の姿があった。
その時、梓の走る方向に人影が現れた。何処かで見たことがあると感じたが、記憶をたどるような余裕はない。
「――っ、危ないから逃げてくれ!」
「……思ったよりも早かったわね」
叫ぶ梓の注意喚起を無視し、彼より少し年上の少女は右腕を真っ直ぐに伸ばした。梓の後ろを狙うように目を細めると、突然彼女の手に大きな弓が現れる。
「そのまま走り抜けて」
落ち着いた声色で梓に指示すると、彼が自分の横を通り抜けた瞬間に弓を引いた。
――スパンッ
爽やかな音が響き、梓は思わず振り向いた。
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