第5話 りゅーちゃん

 梓は大輝の勧めでドーナツをお土産に買い、家に帰って来た。彼の隣には大輝がいて、一緒に家に入ることになっている。


「何か、緊張してきた」

「何でだよ。俺の方がドキドキするわ。こんな話信じて、しかもあの子に会いたいとか言うんだから」

「昨日は遠目に見ただけだったんだ。話してみたいんだよ、創生の龍と」

「わかるけどな」


 俺は戸惑いの方が大きいよ。梓は笑って、家の鍵を開ける。鍵は抵抗なく開いた。


「そういや、おばさんは?」

「明日帰って来る予定。……明日、お前も一緒に居てくれね? 一人で説明するのはちょっと……」

「いいよ。手伝えることがあるなら言ってくれ」

「助かる」


 そんなことを言い合いながら、二人は梓の家の居間へと入る。そこには誰もいなかった。


「あれ、いないのか?」

「お前の部屋じゃないか? この家の中にはいるんだろ」

「ああ。……おーい、龍、何処にいるんだ?」


 こんな時に思うことではないが、と梓は思う。何か呼び方を決めておくべきだなと。大輝に指摘されるまでもない。

 梓と大輝は広い平屋の家の中を歩きながら、幾つかの部屋を覗く。しかしそれらには龍の少年はおらず、目的の梓の部屋の前へ到着した。


「家の中なら何処に行っても良いとは行ったけど……あ、いた」

「帰ったか、梓」


 龍の少年は、梓の部屋でマンガを読んでいた。週刊連載中の少年マンガの単行本を一巻から重ねているところを見ると、それを読んで過ごしていたのだろう。


「ただいま。友だち連れて来た」

「友だち?」


 首を傾げた龍の少年に頷きかけ、梓は後ろを振り返る。するとひょっこりと顔を出し、大輝が手をひらひらとさせた。


「はじめまして、創生の龍さん。オレは春日大輝。梓の友だちです」

「よろしく、大輝。何だ、昨日こちらを見ていたのは梓の友人だったのか」

「……気付いていたのなら言えよ。俺は今朝まで知らなかったんだぞ」

「ふっふ、それは悪かったな。危険な気配はなかったから、放置していた」


 けらけらと笑った龍の少年は、梓たちを手招く。


「そんなところに立っていないで、こっちに来て座れ」

「ここは俺の部屋だ。……飲み物持って来るから待っててくれ、大輝。茶で良いか?」

「良いよ」


 大輝と龍の少年を待たせ、梓は台所に立つ。祖父母の代から使っている台所だが、最近コンロやシンクを新しいものに交換した。レトロな床板や壁と相まって、少し不思議だがいい雰囲気だと思う。


(えーっと、グラスと……お菓子はドーナツがあるから良いよな)


 この家にはジュースがない。スポーツドリンクはよく買うのだが、幼い頃から家になかった。祖父母の習慣がそのままのためか、それが当たり前の梓にとっては苦でもない。

 梓はお盆に人数分の取り皿、グラスとお茶のペットボトルを載せ、自分の部屋の戸を肘で開ける。内側から何やら楽しそうな声が聞こえてきて、ほっと安堵した。仲良くやっているようで何よりだ。


「入るぞー」

「お帰り、梓。お茶、ありがとな。貰うよ」

「さんきゅ。……そいつは何やってるんだ?」


 じーっと紙の箱に入ったドーナツを見つめる龍の少年を見付け、梓は首を傾げる。心なしか、目が輝いているように見えた。

 梓の不思議そうな顔に気付き、大輝が応じようと口を開く。


「ああ、それは……」

「梓、何だこれは! さっき大輝に聞いたが、どーなつとは何とも魅惑的だな!」

「……お気に召したみたいだな」

「そういうことだ。土産にして大正解だな」


 くっくっと笑う大輝に同意し、梓は目をキラキラと輝かせる龍の少年の前に胡座をかいた。ドーナツを一つずつ指差し、教えてやる。


「これはチョコレート、次がシナモン、んでこっちがいちごクリームで、こっちがシンプルなプレーンだな。どれが食いたい?」

「選んでいいのか!?」

「二個までな」


 残った二つを自分と大輝が食べる。そう伝えると、龍の少年は四つのドーナツをキョロキョロと見比べた。また買って来てやるからと言うと、真剣な顔で二つ選び取る。


「じゃあ……このプレーンといちごクリームを」

「わかった。大輝は?」

「シナモンで」

「了解」


 即決の大輝に「さっきチョコ食べてたもんな」と梓は笑いかけ、それぞれに好きなドーナツを取らせる。それから自分もチョコレートのドーナツを皿に取り、一息つく。

 最初にドーナツをかじった龍の少年は、大きく目を見開く。それから無言で一気にドーナツを一つ平らげた。

 梓はチョコレートのドーナツを半分ほど食べてから、嬉しそうに二つ目をかじる龍の少年に話しかける。このままでは、ドーナツを食べるだけの会になってしまいそうだった。


「なあ、お前のことは何て呼んだら良い? 呼び名がないなって気付いてさ」

「呼び名、か……。そういえば、長らく名を呼ばれることなどなかったな」

「じゃあ、俺が呼んでやるよ。俺と、大輝が。だから教えて欲しい」

「ああ、オレも呼びたい。折角知り合ったんだから」

「梓と大輝が……私の名を?」


 瞬きを繰り返し、龍の少年はぽかんと小さく口を開けた。そんなに驚くようなことを言ったかと梓は首を傾げたが、少年は「ふふっ」と嬉しそうに笑う。


「嬉しいことを言ってくれる。生まれてこの方、名を呼びたいなどと言う人間はいなかった。だからだろうな。……私には、名などない。創生の龍として生を受け、そのまま死んだのだから」

「――じゃあ、暫定『りゅーちゃん』な」

「安直だな、梓」

「暫定だって言ってんだろ。もしもりゅーちゃんがこの先、呼んで欲しい名前を見付けたら、そっちに変える。今は便宜上、お前を呼んでいるんだって伝えたいから」

「怒るなよ。良いじゃん、りゅーちゃん。呼びやすいし、違和感ないよ」

「そりゃどうも」


 一言多い親友に適当な返事をして、梓は少年の顔を覗き込む。どうだと尋ねれば、暫定りゅーちゃんは口元をにまにまさせている。


「……りゅーちゃん。りゅーちゃん、か」


 初めて与えられた呼び名に、龍の少年は喜びを隠し切れない。ただ「龍」や「創生の龍」「龍神様」と呼ばれてきた彼にとって、彼自身を示す言葉は嬉しい。

 しかしハッと顔を上げると、梓と大輝がにこにこと自分を見つめている。恥ずかしくなった龍の少年は、咳払いをした。


「――こほん。良いだろう、好きに呼べ。……梓、大輝」

「ありがとう、りゅーちゃん」

「宜しくな、りゅーちゃん」

「ああ」


 大きく頷いたりゅーちゃんは、二つ目のいちごクリームドーナツを一口かじる。そして「うまいぞ、梓、大輝」と微笑んだ。

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