第53話 消滅
ピクリ、と咲季が動きを止めた。それは大輝が絶体絶命を覚悟した瞬間であり、彼女の勝利が確定する一瞬でもあった。
咲季は自身が従える獣たちをけしかけ、他の七海たちを襲わせていた。それももう終わりか、一度の数がCに代わるまで。
「咲季……?」
「……あーあ、動けないや。それに、主様も」
「は?」
咲季が何を言わんとしているのかわからない。大輝はピタリと止まって動かない咲季を見つめ立ち上がると、一体何が起きたのかと振り返る。そして、ようやく「あぁ……」と声を吐き出した。
「……勝ったのか、梓」
「そう、お兄ちゃんたちの勝ち。あたしは……あたしたちは、主様が敗れれば消える。主様も――だから」
「咲季?」
主様、つまり近衛倭も何なのか。大輝がそれを聞き返す前に、次の変化が起きた。変化を目の当たりにして、大輝は
「……何で。咲季ッ!!」
「言ったでしょ? 『あたしたちは、主様が敗れれば消える』って」
砂の城が崩れるように姿を消していく咲季を見て、大輝はその向こうに見える光景に目を細めた。
「……っ。近衛、倭!」
「まさか、こんなガキに……
近衛倭は自分の右の肩口を眺め、力なく呟く。そこにあるはずの腕はなく、あるべきものは今地面に転がっている。それぞれの傷口からは、血ではなく霧のようなものが湧き上がっていた。
それは、どう見ても人間のものとは違う。梓はまさかという言葉を呑み込んだが、疑念はほとんど確信だった。ちらりと見た自分の剣に、血はついていない。
梓は一歩近衛に近付き、わずかな躊躇いの後に口を開いた。
「――あんた、人形だったのか?」
「正解。私は、人間をとうの昔に止めた人形だ。いつの時代かも覚えていないが、終りある人の生に絶望し、自ら人であることを辞めた。……しかし、その生もこれでおしまいのようだな」
少しずつ少しずつ、近衛倭の体が崩れ落ちていく。本体から離れてしまった右腕は、既に崩れて跡形もない。
梓と近衛の短い会話に、七海たちはそれぞれに驚いていた。
「近衛倭が人形? 全然わからなかった……」
「大昔から、一度も傷つかずに今まで生きて来たっていうことか」
「何もしなければ、見た目は普通の人と変わらないものね。でも、人形だったなんて思いもしなかった」
「……梓くん」
命の心配そうな声に、梓は「大丈夫だよ」の意味を込めて曖昧に微笑んだ。うまく笑えなかったのは、まだ感情の整理が出来ていなかったから。人であると思っていた者が本当は人形だったなど、どういう感情で受け止めるべきかがわからなかった。
複雑な顔をしている梓を見上げ、近衛倭は「妙な顔だな」と微笑した。
「こうなってしまえば、私に出来ることなど何もない。……ああ、一つ置いて行かなければならないものがあったな」
「置いて行く?」
一体何を置いて行こうというのか。梓が尋ねると、近衛倭は腕を上げようとしてその腕が消えていることに気付く。諦めて、まだ残っている顎である場所を示した。
「……咲季ちゃん?」
「あれは、私の力で創った人形。一度死んだ者は、創った主が死ぬ時共に消える」
「じゃあ、咲季ちゃんも……」
梓たちが見つめる中、咲季は最期に唇を「ばいばい」と動かし消える。妹だったものが残した最後の一欠片の光を両手で掴まえ、大輝は唇をかみしめそれを抱き締めるように自分の胸に押し付けた。
咲季と同様、紫谷縁とヴィルシェも空気に溶けるようにして姿を消した。
「――咲季」
「咲季ちゃん……」
大輝と梓が感傷的になる中、顎より上しか残っていない近衛倭が短く呪文を唱える。それによって彼を中心とした波動が生まれ、広がっていった。
りゅーちゃんがピクリと反応し、険しい目で消えていく近衛倭を見る。神でもあるりゅーちゃんは、特殊な力のわずかな変化も見落とさない。それが、より多くの人々を巻き込む強い力であった場合は猶更だ。
「お前、先程の呪文はまさか」
「察しが良いな。咲季という人間の記憶を人々から消したのだ。彼女がいなくても、何の違和感もないようにな」
「……オレは、覚えているぞ」
「俺も。多分、みんなも」
梓が「どうだ?」と尋ねると、七海たちは全員頷く。
彼らの反応に、近衛倭はフッと笑った。
「お前たちの記憶は、わざと残してある。……それが、人形になる前のお前の妹の願いだったからな」
「咲季の……」
絶句する大輝から目を逸らし、近衛倭は自身の姿を見て息を吐く。もう頃合いだ、という声が聞こえてくるようだ。そうしているうちに、彼の体はほとんど消えてしまった。唇が消えても、何故か近衛倭は話すことが出来た。
「創生の龍。お前を起こせず、残念だ」
「そう簡単に目覚めてなるものか。……眠れ、永久に」
「……お前は、まだ永眠など出来ぬだろうがな」
そう言い残し、近衛倭は消えた。
彼の消えた跡には存在を示すものは何もなく、ただ静かで冷たい洞窟の床が広がっている。梓たちはしばしその場に留まり、それぞれに思いを巡らせていた。
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