第7話 母、帰宅

 りゅーちゃんと過ごす三日目。梓は授業が終わる、とすぐに大輝を伴って帰路についた。いつもよりも速足の梓に、大輝は合わせて足を速める。


「おばさん、もう帰って来るのか?」

「さっき、駅前だっていうメッセージ来てた。先に帰らないと、りゅーちゃんと鉢合わせされたら困る」

「まあな……」


 どうしてこんな子どもが我が家にいるのか。まさかうちの息子が……などと早まられては敵わない。梓と大輝は二人してほとんど走って通学路を進み、息を切らせて梓の家へ飛び込んだ。

 梓が鍵を鍵穴に入れるよりも早く、何故か内側から戸が開く。急ブレーキをかけた二人の前に現れたのは、りゅーちゃんではなかった。


「何の音かと思ったわ。お帰り、梓。大輝くんもいらっしゃい」

「あ……お邪魔します、おばさん」

「た、ただいま、母さん」


 二人を出迎えたのは、梓の母である美津野木紗織みずのきさおりだ。長い髪をクリップでまとめ、お気に入りのウサギのエプロンをしている。どうやら帰宅してから、しばらく時間が経っているようだ。


(しくった……!)


 母が先に帰っているなど、想定外だ。走って来ただけでは説明が出来ない冷汗が背中を伝い、梓は唾を呑み込んだ。

 しかし、黙っているわけにはいかない。大輝と二人顔を見合わせ、正直に話すことにした。


「母さん、あの……」

「りゅーちゃんも待ってるわよ、あなたたちのこと」

「――え?」

「おばさん、今何て?」


 話そうとしたその内容を先に母親に言われ、二人は言葉に窮する。

 そんな二人の気持ちを知ってか知らずか、紗織はからりと微笑んだ。


「そんな顔しなくても、お父さんから聞いていたからわかるわよ。龍神様なんでしょう?」

「……そうか、祖父さんの実の娘だったね。母さんは」

「そうよ。お父さんの書斎には、不思議な本がたくさんあったし、本人も神話や説話、伝説の類が大好きだった。だから、少しくらい現実離れしたことがあっても驚かないから」

「流石過ぎる」


 あっけらかんとした母親の言葉に、梓は感服するしかない。父の清矢せいやへのフォローもしてくれると言うのだから、頼りになる。


「オレ、いらなかったな?」

「そんなことない、りゅーちゃんと約束しただろ。母さん、じゃありゅーちゃんは俺の部屋にいるの?」

「ええ。待ってるわよ、二人のこと」


 夕食が出来たら呼ぶ。そう言った母に見送られ、梓と大輝は梓の部屋へ向かう。戸を開けて入れば、りゅーちゃんがまた本棚を漁っていた。


「お帰り、二人共」

「ただいま。……ってか、母さんと話したのか?」

「ああ。丁度、飲み物を取りに部屋を出たところで会った。何処かに通報されそうになったが、私自身のことや龍磨たつまとの関わりを伝えたところ、すぐに信じてくれたぞ」

「適応能力高いな、俺の母親」

「お蔭で助かったぞ」


 ニコニコと微笑むりゅーちゃんは、一気に力が抜けた梓と大輝の前に、皿を一枚置いた。二人が顔を上げれば、そこには昨日りゅーちゃんが選んだドーナツが二つ置かれている。


「どうしたんだよ、これ?」

「紗織が買って来てくれた。昨日初めて食べて美味かったんだと言ったら、慌てて帰って来るだろう梓たちにと言ってな。勿論、私は別のものを貰っている」


 好きな方を選べ。りゅーちゃんにそう言われ、梓はプレーンドーナツを、大輝はいちごクリームの入ったドーナツを選んだ。

 ドーナツを食べながら、りゅーちゃんは梓たちに高校生活の話をせがむ。面白いかどうかはわからないぞと言いながら、梓たちは彼らの日常の話をしてやる。するとりゅーちゃんは、楽しそうに声を上げて笑った。


「ふふ、そうか。そんなことが」

「そうなんだよ。あの時はどうしようかと思ったけど、今思い出しても笑える。……くくっ」

「仕方ないだろ、大輝! 眠過ぎたんだよ。あの時は政経の爺さん先生の耳の遠さに助けられた……」


 話は基本的にくだらなく、大輝が話すと梓の失敗談が主となる。反対に梓が話す時、大輝の面白エピソードが暴露されるのだ。

 しばらく駄弁っていたが、大輝がふと「そういえば」と梓を見る。


「梓、最近眠気は?」

「え? あ、そういえば、眠くないかも……」

「私がここにいるからだろう。夢を渡って何度も呼びかけたが、会う前にいつも目覚めてしまっていたからな。時間をかけても良いかと思っていたが、思いの外早く現実で会えてよかった」

「お前の声だったのか」


 ようやく謎の声の正体がわかり、梓はほっとする。

 ここ数日、りゅーちゃんが来てからは授業中眠気に襲われることは極端に減った。授業をつまらないなと思っていると眠気は感じるが、板書などのために手を動かしていれば居眠りもない。そのお蔭か、小テストでの点数が倍近くに跳ね上がっている。勿論点数が倍になったとはいえ、満点ではないが。

 しかし声の正体がわかったことで、梓の中で別の疑問が頭をもたげる。


「なあ、何であんなに悲痛な声で呼んでたんだよ。その、お前を目覚めさせようとしている奴に何かされていたのか?」

「されたと言うか。梓には言ったかもしれないが、あいつは私の心臓の位置を知っている。お前が見たのは、その時の風景だろう。……何度も心臓を撫でられれば、良い気はしない」

「まあ、な」


 恐怖を覚えていたのだろう。りゅーちゃんはぶるっと体を震わせた。梓もあいまいな返答しか出来ず、会話が止まる。

 しかし、りゅーちゃんは「とりあえず過ぎたことだ」と目を細めて笑う。梓の睡眠不足が解消され、自分も梓に会えたのだからそれで良いと。


「今は、あいつから逃げ続けることだ」

「そうだな」


 一度襲撃しているのだから、相手にこちらの居場所はほとんど知られている。完全に把握される前に、対策を講じたい。梓は、普段とは別の意味で土曜日を待ち遠しく思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る