第三十七話 不透明な未来
俺の方から持ち掛けた提案。
その内容が彼女の想像の遥か斜め上のものだったからか、口にした次の瞬間には理解が追い付かないといった様子で目を丸くしていたが……徐々に頭が追い付いてくるや否や、どこか遠慮でもするかのように首を横に振ってくる。
「いやいや! そこまでしてもらうわけにはいきません! …それに私は闇属性の適性持ちなんですよ!?」
「知ってるよ。その上で誘いを持ち掛けたんだ」
闇属性の最大の特徴とも言える洗脳効果。
それを真っ先に警戒するのは操られたら都合の悪い者、立場の高い者であり、俺のような貴族はその筆頭とも言い切れる存在だ。
そんな相手からまさかの勧誘を持ち掛けられたのだから、リシェルの驚きようにも理解はできる。
だが、俺とて気まぐれや冗談でこんなことを言っているわけではない。
もともと俺の考えとして、自分のやることに対する補佐のような立ち回りをしてくれる者が一人は欲しいと思っていた。
立場としては俺の専属使用人として、常に傍に置いておける存在であり、いざという時に頼れる戦力としても数えられる者。
しかし、そんな都合のいい存在が現れる機会などそうそうあるわけもなく、しばらくは頭からも抜け落ちてしまっていたがリシェルを見た瞬間に確信した。
彼女ならば、その役割であっても十分にこなしえる存在になれると。
極限の中でも発揮できる集中力。
俺相手でも冷静に会話ができる交渉力。
そして……闇属性魔法という逸品級の才能があったことが決定打だった。
全てがこちらの望む能力を兼ね備えており、命がかかった場面でありながらも諦めるわけではなく、しっかりと次のことに考えを馳せることができているという面も良い。
万が一の時には妥協案を持ち出すわけではなく、最善策を貫き通す強い矜持はこれからのことを思えば必須級の適性なのだから。
「あぁ、もし闇属性魔法で俺のことを操ってしまう可能性を考えているのならばそこは心配しなくてもいい。多分俺には通用しないから」
「……へっ?」
その言葉を聞いた瞬間、今日一番の気の抜けた声を漏らすリシェル。
それもそのはずだ。
他者を操るとされている魔法。その特性ゆえに細かい詳細は広まっておらず、知られているのは断片的な情報しかないというのに……実にあっさりとした様子で、自分には効かないと断言されたのだから。
しかし、それを嘘だと言い切ることもできなかった。
何せ、目の前にいる少年にはその発言に対して確固たる自信を持っており、そこに嘘を織り交ぜた雰囲気は感じられない。
それは、他人の感情を操る術を持つリシェルだからこそ、他人の感情の機微を感知できる彼女だからこそ分かりえたこと。
そして、他でもないそんな発言をした俺はと言うと、当然闇属性魔法に抗する対抗手段を持っている……わけがなかった。
いや、それはそうだろう。
ただでさえ手元にある情報が不足している魔法の対抗策。
万全の態勢が整っているのならともかく、肝心の闇属性魔法の使い手すらいない状況でその対策まで生み出せるわけがない。
ゆえに、今の俺に洗脳に抗するだけの手段はなかった。
しかし、それは今現在の話だ。
俺は自身が有する水属性や無属性以外にも、それぞれの属性でできることを把握しておくために師匠やフーリの力を借りて火属性や光属性魔法のサンプルを時折見せてもらい、そこに対する対抗手段を編み出すための研究も進めていた。
その作業を進めていく過程で気が付いたのは、魔法は決して不可思議な代物ではないという事実だった。
一見万能にすら見える超常現象を引き起こす魔法だが、その原理を追求していけばその全ては一定の法則に基づいて引き起こされる事象の一つでしかない。
例えば、水属性であれば大気中の元素と魔力を結び付けて水を発生させ、火属性であれば周辺に存在する熱を魔力によって強制的に引き上げることで炎を生み出し、光属性であれば人の自然治癒能力と再生能力を魔力で活性化させることで治癒を行う。
それらは決して人に理解できない代物ではなく、よくよく紐解いていけ明確なプロセスのもとで取り行われているものでしかなかった。
それゆえに、闇属性魔法だって必ず一定の法則というものは存在しているはずだ。
他者を操る。その能力がいかなる原理によって行われるのかはまだ未知の領域だが、その発動過程や魔力の流れを読み取っていけばその詳細を明らかにすることはそう難しいことではない。
そこからさらに発展させていけば、闇属性魔法への対抗策とて必ず見つけられるはずだ。
そういった思考を巡らせていたからこその発言だったわけだが、やっぱりまだ信じ切れないといった感じだな。
「正確に言えば、今はまだリシェルの魔法に抗う術はない。だけど、それもいずれは必ず編み出してみせる」
「…できるんですか? 本当に、そんなことが…」
「あぁ、できる」
一切の躊躇もない断言。
何の根拠もなく、それこそ俺の手には負えないほどの事態にだってなり得るかもしれない。
それでも、そんな未来はありえないと一蹴するかのように俺はその可能性を切り捨てた。
…確かに無謀なことだというのは分かっている。
世間からの評判は最悪な闇属性に対する抵抗手段。
この世界に生きる者達だって馬鹿ではないのだから、過去にはそれを生み出そうとした者も中にはいたことだろう。
だが、現在の常識として広まっている知識ではそんなものは存在していない。
編み出すことはできたが誰かが秘匿しているのか、それとも……そもそも編み出すことさえできなかったのか。
可能性は多く考えられるが、少なくともはっきりしているのはわずかな情報さえ俺たちの手元にはないということだった。
…そうだとしても、別に関係はないか。
なんせこちとら、魔法に関してはかなりの技量を誇っていると自負している俺に加えて魔女の二つ名を持つ師匠がいるんだ。
知識としても腕前にしても、これ以上なく頼りにできる相手がいるのだからこれでできないなんて言う方がおかしいくらいのものだろう。
そこまで考えて、俺はもう一度リシェルを引き入れるために自分の手を差し出す。
「もちろん、俺のところに来るかどうかはリシェルの自由だ。そこを強制するつもりはないし、断ったところで何かしようなんて考えちゃいない。…だけど、俺個人としては受け入れてくれたら嬉しいと思ってる」
「…私としても、あなたのお誘いはありがたいものです。それが最善だということも分かっています。だからこそ、一つだけ聞かせてください」
「なんだ? 答えられることなら構わないが」
差し伸べられた掌に対して少し躊躇するような、どこか迷ったような雰囲気を漂わせながらリシェルは地面に座り込んでいる。
本人としても、俺の誘いがこれからのことを考えれば最良の選択であることは理解できているようだが……それと同時に、聞いておかなければならないこともあったのだろう。
そしてその問いは、彼女の口からもたらされる。
「あなたが私を欲するのは……闇属性魔法の適性があったからですか?」
「…そのことか」
リシェルが聞いてきたことは、それまでの境遇を考えればある意味当然の疑問。
ここに至るまでの元凶となり、そして今も自身の境遇を蝕む要因となっている魔法の適性を備えていたからこそ自らを欲しているのではないか、と。
…ここで、そうではないと口にすることは簡単だ。
たった一言、本音とは違う言葉をぶつければこの場は乗り切れるし、彼女も一応の納得はするだろう。
だが、それでは駄目なのだ。
それではあくまで一時しのぎの言葉にしかならないし、リシェルをこの場だけで納得させられたとしても彼女の心の奥底には猜疑心が募っていくだろう。
ゆえに、今かける言葉はそうじゃない。
今俺がリシェルに伝えるべきことは、何よりも素直な感情であり隠しようもない本音なのだから。
「適性があったから勧誘したということは否定しない。事実、それがあったからこそリシェルと話をしようと思ったことは確かだからな」
「…っ! そう、ですか……」
「だけど、それだけじゃない」
「…え?」
彼女に俺が求めていた能力が備わっていたからこそ、こうして誘いを持ち掛けているということは否定できない。それは純然たる事実だからだ。
それでも、それが全てというわけでもない。
…多分、俺の中で彼女を求める理由としてはこれが一番大きいだろう。
「適性があったから、高い才能を持っているから。…それ以上に、俺が君自身を欲しいと思ったから誘っているんだよ。こう言ったら笑われるかもしれないけど……リシェルになら、背中を任せられると思ったんだ」
「……!」
俺がリシェルに固執する理由。
それは魔法の才があったからでも、的確な能力があったからでもなく……ただ、なんとなく彼女ならば信じられると思ったからだ。
理屈でも何でもない。単なる直感に過ぎないが、いずれ俺の背中を支えてくれる、信用に足る相手になってくれると感じたからこそ、俺は彼女を求めたのだ。
「いいん、ですか…? 私みたいな子でも…」
「関係ない。他からどう思われようと、リシェルがいてくれたら俺は助かる」
たとえ世間から迫害のような扱いを受けている者であろうと、そんな評判よりも俺は己の目で見た情報を信じる。
それがどんな結末につながっていようとも、もし失敗してしまったのなら後から死ぬ気でその結果を覆してやればいいだけのことなのだから。
「リシェルがどんな過去を辿ってきたのか俺は知らない。それでも、これからの将来に手を加えてやるくらいのことはしてやれる。…俺と一緒に、来てくれるか?」
「…はいっ! 私の人生をあなたに捧げます! アクト様!」
俺の言葉に、一瞬何かを決意するかのような雰囲気を纏わせた直後に申し出を受け入れてくれたリシェル。
差し伸べた手に乗せられた彼女の手は、ひどく汚れてしまっていたが……そんなことも気にならなくなるくらい、浮かべられた笑顔は魅力的なものだったと言えよう。
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