第三十八話 師と従者の会話
俺の掌をつかみながら、満面の笑みで最高の返事を返してくれたリシェル。
それを見た俺もまた口元に笑みがこぼれてきそうになるが……そこでふと、俺たちの近くに寄ってくる魔力の存在に気が付いた。
「…何か近づいてきてるな。もう少しでこっちまで来る」
「なっ! も、もしかして魔獣ですか!? す、すぐに離れないと!」
俺の言葉にリシェルは慌てたような反応を見せるが、あいにく今回の相手はそう慌てるようなものでもない。
魔力の反応を詳しく見ていけばその相手が誰なのかはすぐに想像がつくし……何よりも、あんな馬鹿げた魔力量を感じさせてくる反応を持つ者がそう何人もいるはずがない。
なのでリシェルを安心させるためにも近くにいる相手は危険なものではないと言い聞かせれば、彼女は少し落ち着いたようにその場に座り直した。
そして、その巨大な反応に気が付いてから数十秒もしないうちにそれは次第に俺たちのいる場所へと一直線に向かって突き進み、とうとう姿を現した。
「やっほー! いやー、久しぶりに大暴れしたけどやっぱり気持ちいいね! アクトとの模擬戦も楽しいけど、こっちも捨てがたい……ん? アクト、そちらのお嬢さんは誰?」
「…色々と言いたいことはありますけど、とりあえず怪我がないようで何よりです」
鬱蒼とした木々の間をかき分ける……いや、より正確に言うならばなぎ倒すかのような勢いで現れたのは予想していた通り師匠のレティシアだった。
ちらりと彼女の背後を見れば、どこか体の一部が炭化している魔獣の山が転がっているという地獄絵図が広がっていた気がするが……今は放っておこう。さもないと余計な思考にリソースを持っていかれそうだ。
幸い……というか、当たり前だがあの暴れっぷりに反して師匠に目立った外傷はないようだし、ひとまずはそれを喜んでおこう。
っと、それよりも今はリシェルのことだったな。
当然のことだが先ほどまではこの森には俺と師匠の二人でしか来ていなかったというのに、そこにいつの間にか正体も不明な少女が加えられているのだから師匠の疑問も最もだ。
それを隠し通すつもりもないし、むしろこの人には事情は詳しく説明しておいた方がいいのでしっかりと紹介しておこう。
「それとこの子ですが、名前はリシェル。森でゴブリンに襲われそうになっていたので助けました。それと、いずれ俺の専属使用人になってもらおうと思って勧誘しましたね」
「ふーん? まぁアクトがそれでいいならいいんじゃない? にしても、また随分と可愛い子を見つけ出したもんだね」
ふむ。我が師匠ながら状況を飲み込む速度は圧巻の一言だな。
普通なら女の子を助けたという事実だけでも根ほり葉ほり聞き出されそうなものだが、この人も興味のあることには全力を注ぐけどそれ以外のことは放任するタイプだもんな。
だからと言って雑な対応になるわけでもないから、そこは助かる部分でもあるけど。
俺が軽いリシェルの紹介を終えると、師匠は彼女の顔を興味深そうにジロジロと眺めている。
…だが、唐突に現れた謎の魔法使いのような美女という展開でさえ困惑していたリシェルが師匠から距離を詰められたことで更に困惑してしまっているので、それはやめてやってほしい。
「リシェル。この人は俺の魔法の師匠でもあるレティシアって魔法使いだ。分かりやすいところで言うと、『炎舞の魔女』なんて呼ばれたりもしてるが……」
「えぇっ!? あ、あの火属性魔法の中では最高峰の使い手とも呼ばれている魔法使いですか!?」
「なんだ、知ってたか。多分リシェルが言ってる通りの人で合ってると思うぞ」
「よろしくねー! あ、私は別に貴族ってわけでもないから畏まらなくてもいいよー!」
「そ、そういうわけにはいきませんよ!」
師匠も師匠なりに彼女の緊張をほぐそうとしてくれていたのか、わりかしフランクに語り掛けてくれてはいたが、そのビッグネームゆえにますます萎縮させてしまったようだ。
俺はもう何年も一緒に過ごしてるから忘れかけそうになるけど、世間一般的には『炎舞の魔女』というのは相当に有名な存在だ。
その魔法の腕前もさることながら、俺も街を歩いているときに少し耳にした噂ではあるが、そこに刻まれている偉業も凄まじいものなのだ。
曰く、広大な草原を一晩で焼け野原へと変貌させた。また別の噂では、北の果てに住まう竜を死闘の果てにその首を落とした。果てには、万にも及ぶ魔獣の軍勢を単独で葬ってみせた……等々。
どこまで本当なのかは定かではないし、そのほとんどが眉唾だと断ずる者も中にはいるが……とにかく、とんでもない人物だということは間違いのない事実だ。
ちなみに、この噂のほとんどは本人から聞いた話だと実話らしい。
特に当人は隠そうともせずにあっけらかんとした様子で話してくれたので、聞いているこちらの気が抜けてくるくらいだったが、そんな気楽な態度とは裏腹に明かされる内容の密度がまたとてつもないものであり、聞かされている最中は言葉も出てこないくらいに驚きの連続だったことは記憶に新しい。
…いやぁ、今更ながら俺って凄い人に師事してるんだな。
いつかは追い越すつもりではあるけど、やはり師匠の偉大さを実感できるのは彼女の弟子としても嬉しい限りだ。
まぁそれはともかくとして、要は世間のネームバリューとして師匠は凄まじいということ。
幸いと言うべきか、詳しい容姿までは明らかになっていないので街を散策していても騒がれることはないが、正体を明かされれば思わず気が動転してしまうくらいには影響力もあるのだ。
現に、リシェルも焦ったように師匠を前にして緊張したようにしているしな。
「まあまあ。師匠もあまりリシェルを虐めないでやってください」
「虐めたつもりもないんだけどね……まぁあんまり怖がらせちゃうのもあれだし、とりあえずこれくらいにしておこうか。…ところでアクト、リシェルちゃんは屋敷に連れていくの?」
「そのつもりですね。何か不都合でもありました?」
リシェルを俺の専属使用人として雇うという考えがある以上、一度師匠に【
「いや、不都合ってほどでもないんだけど……こう言っちゃあれだけど、リシェルちゃんかなり汚れてるでしょ? 一回連れていく前に、少しでも身体の汚れを落としてからの方がいいんじゃない?」
「あっ…た、確かにそうですね……」
師匠が言ったことにリシェルが納得したように反応し、自分の身体を見下ろすようにして状態を確認していく。
確かに言われた通り、今のリシェルは清潔とは言い難い。
魔獣に追い回されていた経緯もあってかその服は破れている箇所も多いし、そこから覗く素肌も土に塗れてしまっている。
…もっと早く気が付くべきだったな。言われずともその点には思い至れたはずなのに、彼女の勧誘という目的に意識を集中しすぎたあまり頭の中からその事項を外してしまっていた。
「なら、汚れだけでも洗い流そうか。それくらいならすぐにできる」
「そうしたら、この辺りに水場はありましたかね…? ひとまずそこで水浴びだけでもしてきますが……」
「あぁ、そんなところまで行かなくても大丈夫だ。こっちで何とかできるからな。…【
「へ? …わわっ! き、綺麗になっていきます!」
俺の口から魔法名をつぶやくと同時に、リシェルの身体に付着していた汚れはまるで最初からそこに存在していなかったかのように消え去っていき、元の美しい姿を取り戻していった。
今使ったのは水属性魔法の【
ただ、この魔法でできるのはあくまで汚れの洗浄だけなので擦り傷や切り傷を治してやることはできない。
そういうのは光属性魔法の領分だしな。さすがに水属性魔法でそこまでの効力を生み出すことはできなかった。
だが、今はそれだけでも十分だ。
若干煤けたようにも見えていたリシェルの髪なんかは本来の艶やかさを取り戻しており、肌なんかにも少し潤いが戻ってきている気がする。
…これは少し誤算だったけど、どうやらこの魔法を使うと対象の肌や髪なんかにも潤いや肌艶なんかが戻るようだ。
今まで使ったことがあってもせいぜいが訓練後の汗を流すためくらいの用途でしか使用していなかったし、そこまでの効果はあるとは知る由もなかったので嬉しい副次効果を知ることができたな。
「…凄いです! アクト様の魔法はこんなことまでできるんですね!」
「そんな大したものでもないんだけどな。有用であることは確かだけど、他の魔法と比べてしまえば見劣りもするし」
そんな俺の魔法を身をもって味わったリシェルはと言うと、俺を持ち上げるように喜んで褒めてくれたがあいにくそこまで称賛されるほど凄い魔法でもないので素直に受け取りにくい。
これと比較すれば他の魔法の方でも明らかに威力や効力では優れているものだってゴロゴロあるし、そちらの方が見栄えという意味でも良いものは多いからな。
いずれにせよ、リシェルの汚れは一通り落とせたしこれで大きな問題もないだろう。
所々で破れてしまっている衣服は……ひとまず俺の上着を着てもらうことでしのいでもらおうとしよう。
「じゃあ師匠。【
「はいはーい。それじゃあ私の近くに寄ってもらえる? すぐに発動しちゃうから」
「分かりました。…リシェル、もう少しこっちに来てもらえるか?」
「はっ、はい!」
一度屋敷へと戻るために魔法の準備を始めた師匠の傍へと寄って行き、未だに緊張した面持ちが溶けていないリシェルも近くに来るように言っておく。
特に反対する様子もなく従ってくれたので、俺たちが近くへと集まったのを確認した師匠はすぐに【
その瞬間に俺たちの姿はこの場からかき消され、屋敷の近隣へと移動していった。
なんだかんだと急展開が続いた今日の訓練ではあったが、それだけ得るものもあったし決して無駄にはなっていないだろう。
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