第九話 新たな命


 屋敷へと戻っていった俺と師匠は、お互いにやることは違うがせっかくなので俺も母さんに会いに行くことにした。

 じゃ体調も心配だし、あまり過剰に行くのも良くないだろうが少し調子を確認するくらいなら大丈夫だろう。


 そんなことを考えながら長い廊下を師匠と歩いていき、母さんがどこにいるのかを近くのメイドに尋ねながら向かって行った。

 そこまで時間をかけることもなく目当ての部屋までたどり着き、その扉を開いていくと、そこにはいつものように微笑みながら佇んでいる母さんの姿があった。


「あら、二人とも戻ってきてたの? 思ってたよりも早かったわね」

「そろそろ訓練も終わるから、一応一声かけておこうかなって思ってね。そんな大層なことでもないよ」

「そういうことね。アクトちゃんはどうしたの?」

「かあさんがげんきかきになったからきたんだ。だいじょうぶ?」

「…優しいわね、アクトちゃんは。でも大丈夫よ。もう大分安定してきたからね」


 そう言うと母さんは、大きくを慈しむように撫でる。

 …そう。この数か月の間で、母さんはその体に新たな命を宿していたんだ。


 最初はその変化にも俺は全く気づけていなかったし、その事実を聞かされた時にはかなり驚いたが……それと同じくらい、嬉しくもあった。


 何しろ俺は、前世では一人っ子だったこともあってか、密かに兄弟というのに憧れを抱いていたんだ。

 そんな中で俺に妹か弟ができるともなれば、その感動も一塩というものだ。


「うふふ。アクトちゃんもいよいよお兄ちゃんになるのね! ついこの前生まれたばっかりだと思ってたのに、何だか不思議な感じだわ」

「それに関しては同意だねー。私も最近出会ったばかりだと思ってたのに、もう一年が経ってるんだもんね」


 二人がそんな会話を繰り広げているが、確かにこの一年は気が付けば過ぎ去ってしまっていた。

 師匠と出会えたところから始まり、それから無我夢中で与えられる課題に答えていく日々。


 時には厳しくもあった毎日だったが……それも、どこかでは満たされた日常だったことも間違いない。

 そうして気づけば、いつの間にか新しい家族が増えようとしているのだ。

 …何だか随分と遠くまで来たような気がするが、俺にできることはこの幸せな日々を保てるように、壊されないように努力を続けることだ。


 それだけは怠らないようにしよう。


「アクトちゃんも、下の子が生まれてきたら仲良くしてあげてね? せっかく新しい家族になるんですもの!」

「…もちろんだよ」


 そんなこと、言われるまでもない。

 わざわざ伝えられずとも可愛がるつもりだったし、しっかりと愛情をもって接していくつもりだった。


 願わくば、これから生まれてくる弟か妹にも嫌われたくはないものだ。


 そしてそんな会話を続けていると、当初の用事は済ませたと言わんばかりに早々に部屋を出ていく師匠の姿があった。


「それじゃあ私はそろそろ帰るね。アクト、今度来るまでにもっと強くなっておきなよ?」

「はいはい。またいつでも来てね」

「…わかりましたよ。またこんど」


 どこまでも自由気ままな振る舞いに我が師のことながら苦笑が浮かんでくるが、もはや慣れ切ったものだ。

 この調子だと、また後日訪れた時には模擬戦でボコボコにされそうだが……せめて次は、軽傷で済ませられるくらいには準備を整えておこう。


 そのまま部屋を後にした師匠を見送りながら、二人だけ部屋に取り残された俺と母さんは、ちょっとした雑談に花を咲かせる。


「…かあさん。とうさんはどこにいるの?」

「ガリアンは多分執務室にいるんじゃないかしら。最近はお仕事も忙しいらしくてこもりっきりらしいから」

「そっか……わかった。ありがとう!」


 ここに来るまでに父さんの姿を見かけなかったので、それが気になって母さんに居所を聞いてみればどうやら仕事場にこもっているらしい。

 それならばこちらが邪魔をするわけにもいかないので、無理に尋ねる必要もないだろう。


 それに俺はこれから勉強の予定も入っているので、ここで寄り道をしていったら時間も足りなくなってしまう。

 そこまで詰め込まれたスケジュールというわけでもないのでそこまで焦る必要もないが、余裕を持たせて行動するに越したことはない。


 なので、そのまま部屋にいた母さんにも勉強してくることを伝えて一度離れ、別の部屋へと移動していく。

 そして、その歩いていく道中で考えに耽る。


(…俺が考えたところでどうしようもないかもしれないけど、もう少しで母さんは出産の時期だ。…やっぱり、心配だな)


 俺が一つ不安に思っていることは、この世界における出産のリスクだ。

 ここは前世とは違い、医療技術もそこまで発達していないので前世と同じように安全に産む、というわけにはいかないのだ。


 ちょっとした怪我程度なら魔法による回復で間に合ってしまうという事情もあり、そういった流れを助長する原因の一つにもなっているが……やはり、魔法だけでは不十分なことも否めない。

 母体に多大な負担を強いることになってしまう出産というのは、めでたいことでもあるのと同時に大きなリスクが付きまとうものなのだ。


 聞けば、俺を産んだ時にはそれなりにスムーズにことを進められたそうだが、それでも苦労した面も多かったらしい。

 そんな前例を考えれば今回もあっさりと終わる、という可能性は低いだろう。


(…まぁ、それくらいのことを父さんが考えてないわけがないだろうし、伯爵家の権力も使えば万全の態勢は整えられるだろうから……結局はそこに任せるしかないけどな)


 母さんのことをしっかりと愛している父さんのことだ。

 この一大イベントに対して何の準備も進めていないわけがないし、俺が憂慮するよりもずっと前から用意だってしているはずだ。


 可能な限り母体に負荷がかからないようにしてくれるだろうし、子供を安全に産めるように少しでも可能性を広げてくれるだろう。

 だったら、無駄に騒ぎ立てるよりも専門家に流れを任せた方が圧倒的にいい。


 それにいくら考えたところで、俺程度の子供が力になれるようなことなど皆無だ。

 …だが、大切な家族の安全を願ってしまうのは、決して悪いことではないだろう。


(とりあえず、出産の予定日まではちょこちょこ様子を見に行こう。母さんだって内心は不安だってあるだろうし、少しでもそれを和らげられるようにしよう)


 師匠との特訓や日々の勉強など、やることは多いが時間を作ろうと思えば作れるし、それくらいは大した苦でもない。

 ともかく、無事にその日を迎えられるようにすることが先決だ。


(…でも、俺に弟か妹ができるのか。まだもう少し先の話なのに、期待しちまうよな)


 頭の中で考えるのは、これから産まれてくる新しい家族のこと。

 まだ性別も定かではない下の子のことを考えると無性に気分が高まってくるし、この感情は気づけば高揚してくるようだった。


 …まぁ、俺のやることは何も変わらない。

 たとえどんな結末になろうと産まれてきてくれた子には全力の愛情を注ぐだけだし、その決意は今日の母さんの様子を見てさらに固くなったくらいだ。


 長い廊下を歩いていきながら、俺は一人でそんなことを考えていた。




 ……そして、月日は経ち一か月後。

 ようやくその日はやってきたのだった。

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