第四十四話 夜襲


 ───その日の夜は、寝苦しいものだった。


 今日はフーリの初めての外出に付き添っていたこともあり、その時間中は楽しくもあったし自覚はしていなかったが、やはり気づかぬ間に疲労も溜まっていたのだろう。

 この頃は季節の変わり目ということで気温も高まっていることもあり、体は疲れているのだがなかなか睡眠にはありつけずに自室のベッドの上で時間だけが経っていく。


(…にしても、今日は妙なことが多かったな。あの時感じた寒気も結局原因は分からなかったし……)


 寝れない頭の中で考えるのは、昼間に起こった原因不明の奇妙な出来事。

 てっきり俺を狙ってくる何かがいるものだとばかり思っていたが、その気配の欠片すらつかめない状況が続く中ではその確信も揺らいでくる。


 気を抜くつもりは毛頭ないが、これだけ何もない現状だとどこかのタイミングで致命的な隙を晒してしまいそうだ。


(別に何かが起こってほしいわけではないんだけどな……やっぱり不安だけが煽られるっていうのはいい気分はしない……って、なんだ、この魔力?)


 脳内で正体不明の気配に対する思考を張り巡らせていたからだろうか。

 いつの間にか無意識の内に発動させていた【探知】の範囲内に、ごくごく微細な魔力が反応してきたのが俺の感覚を通じて伝わってきた。


 その反応は天井裏から発せられているようで、魔力自体は非常に小さいものだったのでネズミか何かでもいるのかと最初は考えたが……そこから感知できた違和感から内心の警戒度を一段階引き上げておく。

 確かに感知できる魔力は微弱なものだ。そこから読み取れる情報から推測できるのは一見無害な小動物でも潜んでいるのではないかと思わせてくるが、よくよく観察してみればそこには明確な相違点が存在している。


 パッと見では単に小さな魔力。

 だが、その中心ではまるで渦巻くかのような動きをしている流れも確認できる。…そう、俺も良く知っている師匠が実践している自身の内側の魔力をの動きだ。


 ただの動物であればそれでよかった。その程度なら俺だって気にも留めないし、特段大げさな反応だって返すことはない。

 しかし、現在進行形で天井に潜んでいる

 俺のもとを訪ねるのであればこんな回りくどい真似をする必要などないし、そもそも魔力の偽装なんて手間をかけている時点でその正体にはなんとなく察しはついている。


(いよいよ実力行使に踏み切るって感じか…? 笑えないな、ほんと)


 万が一の場合を考えて【身体強化】を始めとした魔法を向こうに悟られないように発動させておき、もしものことがあったとしても最低限動けるようにはしておく。

 それと、俺があちらの存在に勘付いたような動きは一切見せないようにしておくことも忘れない。


 おそらく、相手は俺が自らの居場所を突き止めているとまでは考えてはいないはずだ。

 これだけの準備と手間を整えてくるとなれば向こうは確実に熟練者だろうし、そうだとすれば勘付かれたと分かれば即座に退いていってしまうだろう。


 ここまで迫ってきた場面でみすみす逃してしまえば、それこそ後の始末は面倒なことになる。

 ゆえに、今この場では表面上では何も分かっていない振りをしながら誘い出し、何かを仕掛けてくる段階まで俺はその時を待ち続ける。



 …そうしてどれだけの時間が経ったのだろうか。

 数分か。はたまた数十秒か。


 室内に不気味なまでに無音の空気だけが流れていく中、俺は閉じていた瞼を少しだけ開いて天井に細心の注意を払っていたが……とうとうその沈黙も破られる時がやってきてしまった。

 潜んでいた魔力の塊にかすかな動きが見られ、その方向へと目を向けるとそこには魔法によって強化されている俺の視力ですら思わず見落としてしまいそうになるほど小さな隙間があった。


 …そして、そこから覗くようにしてわずかに突き出された筒のような物体から空気を切り裂くような音が響き渡った。


(…っ! あれは食らっちゃいけねぇ!)


 筒から飛び出してきた物体。

 それは一本の極小の針であり、とんでもない勢いを保ったまま俺の首元めがけて飛んでくるのが加速する体感時間の中で視界に入ってきた。


 だが、それだけならば別にそこまでの脅威でもない。

 【身体強化】によって引き上げられた俺の防御力は並の攻撃ならばかすり傷で抑えられるくらいには高められているし、あの針にそこまでの深手を負わせられる威力があるとは思えなかった。


 …問題だったのは、強化された俺の目でもしっかりと捉えられたが針の先端に紫色の謎の液体が塗り込まれていたこと。

 見るからにヤバそうな色合いをしたそれを受けてしまえばさすがの俺でもどうなるかなど分かったものではないので、もう気づいていない振りなどしている場合ではないと判断して横っ飛びに針を回避する。


「ちっ! …そこから降りてこい! 【水球ウォーターボール】!」


 数瞬前まで俺が寝ていた位置には突き立てられた針が毒と思われる液体を滲ませながら突き刺さっている。

 …危なかったな。少しでも判断を遅らせていれば回避行動も間に合わずにあの一撃で終わらせられていたし、狙われた位置を考えても間違いなく相手は俺を殺す気でやってきていた。


 となれば、こちらも手加減なんて考えている余裕はない。

 いつまでも翻弄されてばかりの立場に甘んじるつもりもないので、今度はこちらの番だと言わんばかりに掌に水の球を生み出し、全力で天井に向けて叩きつける。


 かなりの勢いをつけて打ち放ったこともあり、部屋の天井には無数の亀裂が走っていき……その崩壊に耐え切れなくなった箇所から大穴を開いていったかと思えば、そこから一人の人物が姿を現してきた。


「…何者だ。こんなところまでやってくるとは随分と執念深いものだな」

「………」


 天井の崩落と共に落ちてきたのは、全身を黒装束で包んだ謎の人物。

 その恰好はかなりゆったりとした布で包まれているので、顔つきや体格なんかも一切読み取れず性別すらはっきりとは分からないが、唯一分かることは俺の命を狙ってきているということくらいか。


 目の前の人物に揺さぶりをかけるためにも質問を投げかけてみたが、それに反応してくる様子はない。

 当然か。これが対等な会話ならともかく、相手は自身の正体まで隠し、屋敷の警備までかいくぐってここまでやってきているのだ。


 そんな中で正体をばらすようなヘマはしないだろうし、余計な情報を漏らすメリットだってない。

 向こうが即座に追撃か撤退といったどちらかの行動に移ってこないのは、ひとえに子供にしか見えていなかった標的である俺が思いもよらぬ反撃を仕掛けてきたことゆえの混乱、といったところか。


 当初の予定としては初撃で放たれた吹き矢による一撃で仕留めるつもりだったのだろうし、姿だって俺の目の前で晒すつもりはなかったのだろうがこうして無理やり俺の目の前に引きずり出された以上、ただ逃げても厄介な展開になることは向こうも理解しているのだろう。

 …それゆえに、俺の方も次の行動は読めていた。


「………!」

「せめて返答してほしいんだが、なぁっ!」


 いつの間にやら懐から取り出されていた一本のナイフ。

 それを手に持っていた黒装束の人物は、俺との距離を一気に縮めんと駆け寄ってくる。


 やつが選んだのは予定を狂わせてきた要因である俺を抹殺し、目撃者を消してからこの場を去るというある種では力技にも等しい選択肢。

 だが、やつの立場なんかを考えれば最善の選択がそれであることは間違いないし、標的である俺を生かしたまま撤退することもできないのだろう。


 そういった考えがあったからこそ、あえて接近戦を仕掛けてきたのだろうが……俺相手にそれは悪手だ。

 なんせこちとら、不意打ちによる一撃さえ防げてしまえばそこからは俺の土俵なのだから。


 取り出されたナイフには先ほどの針と同様に毒のような液体が塗り込まれていたが真正面から向かってくるならばそう易々と受ける俺ではない。

 常人では考えられないほどの速度を持って接近してきた相手だったが、引き延ばされた体感時間の中ではその動きの一挙手一投足までもがはっきりと認識できている。


 俺はその動作に合わせるようにして足を振り上げると、ナイフの持ち手である右手を穿つようにして全力の蹴りを叩き込んでやった。


「…らぁっ!」

「………ッ!」


 こちらの理想通りの展開へと持ち込んで放たれた蹴撃は一寸の狂いもなく敵の腕へと吸い込まれていき、当たり所によっては警報級の魔獣ですら屠れる威力を秘めた衝撃によってやつは部屋の壁に全身を打ち付けられたようだ。

 …だが、魔獣相手に戦っている時と違うのは向こうが人間であることか。


 確かに今放った蹴りは必殺の威力を込めていたが、それもギリギリのタイミングで防御の姿勢を取られてしまっていたし、とっさに後ろへと飛ぶことで勢いも半減されてしまった。

 それでも十分なダメージはあったのだろうが、今の攻防で襲撃を終わらせたかった俺としては嬉しくない展開だ。


 まぁいいか。いくら相手が手練れだとしてもこれだけ手傷を与えられたんだ。

 こちらが優勢である事実は覆らないし、そこで押し込んでしまえばいずれは鎮圧もできるだろう……そう思っていた。


 …だからこそ、その思考の隙を突かれてしまったのだろう。


「どうする、まだこれ以上やるか? 大人しく投降してくれるな、ら……? …っ!? な、なんだ、これ、は…っ!」


 目の前でふらつくようにして佇んでいた襲撃者に大人しくお縄に付くように促してみれば、なぜだか相手は窮地のはずなのに勝ち誇ったような雰囲気を纏った……ように思えた。

 そんな反応に疑問を覚えつつも、こちらの言うことを聞くつもりもなさそうだったので更なる追撃を浴びせようと手をかざそうとすれば……その瞬間自身の視界が突然ぼやけるようにぐらつき、それに伴って体の平衡感覚も失われていった。


 …どういう、ことだ! 俺はあいつからの攻撃だって受けていないし、当然毒だって食らっていない!

 だというのに、まるで身体は少しずつ蝕まれていくかのようにその機能を低下させていき、俺の言うことを素直に聞く様子もない。


「……そう、かっ! 蹴りの時に、仕込んでやがったのか…!」


 霞がかったように薄まっていく思考の中で必死にこのようなことになった原因を予測し続けていけば、一つの事実にたどり着いた。

 俺はあいつからの攻撃は一切受けていない。それは確実だし、細やかな動きにも注意を払っていたのだから見逃した可能性だってない。


 …先ほどの攻防の中で思い当たることがあるとすれば、俺とやつが接触したのはこちらが蹴りを叩き込んだあの一瞬だけだ。

 あくまで推測なので断定はできないが、おそらくあいつは腕のどこかに仕込み武器のようなものを隠していたのだろう。

 そして俺が蹴りを放った瞬間、ナイフで攻撃すると見せかけて本命のそれを悟られないように表出させてきた。


 結果、俺は気づかない間に体内に毒を打ち込まれ、こうして一気に劣勢に追い込まれているということだろう。


 …馬鹿野郎がっ! 相手は手段なんて選んでこない手合いだというのに、目前の武器にばかり意識を取られてそれ以外の可能性を切り捨ててしまっていた!

 あれだけ油断するなと考えておいたというのに、それを忘れていたツケがここにきて回ってきたのだ。


 ぼやけた視界で敵の姿を見据えれば、向こうも相応の傷は負っているのだろうがそれでも自力で立ち上がれるくらいには回復したらしい。

 どこかその顔に自分の勝利を確信したような笑みを浮かべているかのようにも思え、少しずつ俺に止めを刺すために近寄ってきている。


 …このままただ苦痛にもがいていれば、確実に殺される!

 徐々に歩み寄ってきているあいつは既に俺が抵抗するだけの力など無いと思い込んでいるのか、その動作にはいくつかの隙が窺えた。


 あぁ、そうだ。もう今の俺は万全の状態とは程遠いし、まともに動けるようなコンディションではなくなってしまった。

 まさに虫の息という言葉がピッタリなくらいには無力になってしまったが……そんなだからこそ、やつの隙を穿つことはできる。


「ぐっ…! はぁ、はぁ…っ! …【ディープ、マニラ】ッ!」


 どさくさに紛れて構築していた、現在の俺の最大火力を誇る魔法。

 その掌をかざした先にはやつの姿があり、魔法名を唱えた瞬間に両腕と両足の四肢に向けて水の球が浮かび上がる。

 次の瞬間、水圧を急低下させる【ディープマニラ】の効果が発揮され、室内に人の骨や肉を砕くような鈍い音が響いた。


「………っ!」


 さしものやつもこれだけの攻撃に無反応とはいかなかったのか、かすかに耳に届く苦悶の声を上げながら倒れ込み、四肢を砕かれたことによってまともに立ち上がることすらできなくなったようでもがいてはいるようだが動く気配はない。

 あのザマでは俺に止めを刺すことはできないだろうし、ひとまず一命は取り留められた……っ!


 敵を無力化できたことに一時の安堵を覚えていると現在も俺を蝕んでいる毒の巡りが加速してきたのか、ひどい苦痛が襲い掛かってきた。

 …まぁ、あれだけ部屋で激しい戦闘音を響かせていたのだから屋敷の者も異常には気づいているだろうし、すぐに誰かが駆けつけてきてくれるだろう。


 幸いそこまでの時間は稼げたし、あとはそれを待つ、だけ………



 …そこまで考えたところで、とうに限界を迎えていたらしい俺の身体は耐えられなくなった痛覚から身を守るために意識をブラックアウトさせていく。


 その遠くなっていく意識の中で、聞き慣れた声をした誰かが叫び声を上げていたのは……俺の聞き間違いだったのだろうか。

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