第四十三話 兄妹だから
俺に向けられてきた謎の悪寒。
あれからは結局襲撃などのトラブルが発生するようなこともなく、もう一度あの寒気が襲ってくることもなかった。
…あの感情の方向先にいた何者かが俺の反撃を認識したと同時に立ち去って行ったのか、それとも別の誰かに向けていた矛先がたまたま俺にぶつかってしまっただけだったのか………
いくら考えても、手元にある判断材料が少なすぎるため最終的な結論も下せない。
何度かあえて【探知】を切ったりしてこちらから隙を晒してみるようなこともしてみたが、それでも一切の違和感は感じ取れなかったのでおそらくあの場にはもういないのだろう。
それはそれで不気味なものだが、そうこうしている内に時間も過ぎていき、遠くで子供たちと走り回っていたフーリがこちらに戻ってくるのが見えた。
「にぃさま! ただ今戻りました!」
「おっと! 随分遊んでたな。楽しかったか?」
「はい! それはもう!」
一直線に走ってきたと思った否や、真っすぐに俺の胸へと飛び込んできた彼女はその顔に満面の笑みを浮かべており、それを見ると先ほどまで緊張感で強張っていた俺の心も溶かされていくようだった。
「フローリアちゃんは本当にお兄ちゃんのことが好きなんだねー。すっごく嬉しそうだもん」
「それは当然のことですよ、メイ。にぃさまは世界で一番格好良い方なのですから!」
俺に抱き着いてきたフーリに少し苦笑いを浮かべながら語り掛けてきたのは、メイと呼ばれていた少女。
茶髪の髪に大人しそうな雰囲気はどこか理知的なものを感じさせるが、彼女もまた一緒に遊ぶ中でフーリと仲良くしてくれたのだろう。
フーリにとっての友人が増えることは今後のことや彼女自身の成長を考えても確実にプラスになることなので喜ばしい限りだ。
「えっと、メイちゃんだったか? フーリと仲良くしてくれたならありがとうな。…できれば、これからも一緒に遊んでくれたら助かる」
「それはもちろん。フローリアちゃんのお兄ちゃんなら信頼できるし、私もフローリアちゃんとはまた遊びたいので!」
「そいつは良かった。また機会があったら是非頼むよ」
おそらく俺たちが貴族だとはバレていないようだし、それゆえにこうした軽いコミュニケーションもできているのだろうが、こういった気兼ねなく付き合える関係性というのは意外と大事なものだ。
特に俺とフーリなんかはこれから面倒なしがらみを抱えた相手との関わりも増えていくだろうし、そのためのガス抜きという意味でもこの子たちとのつながりは大事にしたい。
もちろん、俺たちがここに来れる回数はそう多くはないのでできても月に一回程度だろうが、彼らならそんなことは気に留めることもなさそうだ。
「…フ、フローリア! べつにきてほしいわけじゃねぇけど、またここにこいよな! こ、こんどはもっとおもしれぇこともしてやるからよ!」
「はぁ…? 私もいつ来れるかは分かりませんけど、皆さんと遊びたいことは確かですからいずれまた来ますね」
「ふ、ふんっ! まぁてきとうにまっててやるよ!」
俺とメイが軽い会話を繰り広げていると、そこに混ざってくるかのように特大の声量を張り上げたガルス少年が入り込んできた。
彼は幼さを残したその顔を真っ赤にしながらフーリへとアピールのようなものを繰り返し、言葉では興味もないなんて言っているが……その裏に隠された真意はバレバレである。
それこそ分かっていないのは張本人であるフーリ本人くらいのもので、俺や他の子供たちからは呆れたような感情が湧き上がってくる始末。
…うーん。フーリは自分から向ける感情はひたすらに真っすぐなんだけど、それに反して自分に向けられる恋慕のようなものにはひどく鈍感になるようだし、これは難しい恋路になりそうだ。
そもそも、平民と貴族の立場で恋愛なんてできるのかという話も出てくるが……それに関してはガルス自身の頑張り次第だろうしな。
現実を語ってしまえばその想いが成就される可能性は非常に低いとは思うが、断じてゼロではないしぜひとも頑張ってほしい。
…まぁ、今の妹では俺に対する愛情が大きすぎてそれ以外にはあまり関心も寄せられないのだろうが、それはまた別の話だ。
決して叶わぬ恋という現実から目を逸らしたわけではない。うん。
そんなことよりもフーリが遊んでいる間に大分時間も経っていたようだし、帰るにしてもちょうどよいタイミングだろう。
「俺たちはそろそろ帰ろうか。早く戻らないと母さんたちも心配させちゃうからな」
「あっ、そうですね。では皆さん、今日は本当にありがとうございました! またいつか一緒に遊んでください!」
俺が帰宅をフーリへと促せば、彼女はそれまで共に駆け回っていた子供たちへと礼の意も兼ねた別れの挨拶を告げる。
そうすると子供たちも一斉に一時の別れを告げ始め、その中ではメイも小さく手を振っておりガルスはもうフーリが帰ることになってしまうのが不満なのか口を尖らせている。
そんな反応すら微笑ましく思えてしまうのは、俺が彼の内心を把握しているからなのだろう。
…本当に、今日も何が起こるのやらと思っていたけれどここにフーリを連れてきてよかった。
これだけの友人に囲まれて、そして心置きなく関わることができる縁を作り上げられた。
最初はこんな展開になるとは思ってもみなかったが、終わってみれば想定以上の成果で締めることができた。
そんなことを考えながら俺たちは長く居座っていた広場を後にし、街の中心部にある屋敷へと帰っていくのだった。
…それは、帰りの道中のこと。
俺は行きと変わらぬ様子を保ちながら腕に抱き着いているフーリを温かい目で見守り、それと並行して周辺の警戒は怠らない。
あんな出来事があった以上仕方のないことではあるが、やはり頭の片隅ではまだ見ぬ敵の影を思い出し無意識にでもそちらに思考は分散されてしまう。
それ自体は別に悪いことではないのだろうが……その態度の機微を感じ取られたのだろう。
今まさに隣で歩いている妹に、不思議そうにこちらを見上げられながら話しかけられた。
「…あの、にぃさま。先ほどから辺りを見渡していらっしゃいますが、何かおかしなことでもありましたか?」
「え? …あぁいや、何でもないんだ。ただちょっとそこら辺の気配で気になる物があってな」
…驚いた。内心では先ほどまでの動揺を悟らせないようにと細心の注意を払っていたつもりなのだが、彼女にはそんな小手先の技術は通用しないとでも言うのだろうか。
実にあっさりと俺の隠し事を見破られてしまったが、その詳しい内容を彼女に話すつもりはない。
なぜなら、もしこのことをフーリに話したりすれば間違いなく彼女は俺の身を心配してくるだろう。
思い上がりだと言われるかもしれないが、フーリにとって兄という俺の存在はかなり大きなものであり、それが害される恐れがあるとなれば確実に首を突っ込もうとしてくるはずだ。
だが、俺は彼女をそんな事態に巻き込ませるつもりはない。
そもそもこの一件がただの勘違いである可能性だって限りなく低いが存在はしているし、こうして今まで実害を向けられていない以上は何も起こらずに済むことだって考えられなくはない。
そうだとしたら、何の根拠もない不安を抱かせてしまう必要はない。
たとえどれだけの危険が迫っているのだとしても俺にとっての最優先はフーリの安全なのだから、それを無理に揺らがせることはない。
そんな考えを巡らせながらフーリに心配をさせないようにと微笑んで答えてやれば、彼女も納得……とまではいかなかったようだが、それ以上は追及はしないでくれた。
「…そうですか。ですが、何か困ったことがあればしっかりと言ってくださいね? 私たちは兄妹なんですから、悩みがあるならしっかりと支え合うものですよ!」
「…そうだな。その時は頼らせてもらうよ」
眩しいほどに曇りなき笑顔で告げられた一言に、俺は一瞬返答を詰まらせてしまうが……多分、無難に返事をできたと思う。
兄妹は助け合うもの……か。
そんな何気ない一言に、思うところがなかったわけではない。
現在の俺は何もかもを一人で解決できるようにするためにもがいている最中であり、無用な危険にフーリを関わらせるつもりなど皆無だ。
その考え自体は変わらないし、これからも貫き通していくつもりだ。
…ただ、たとえどんな状況にあっても俺のためにできることをしてくれると言ってくれるこの子の優しさに嘘をついてしまっているようで、少し、ほんの少しだけ心が痛んだこともまた事実だった。
…だからこそ、だろうか。
これは、彼女の思いを蔑ろにしていた俺への罰でもあったんだろう。
今宵の晩、俺は敵の凶刃に晒されることになり……その意識を闇へと落としていくことになる。
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