第四十五話 信頼と失敗


「………んっ。ここは……」


 俺が目を覚ますと、そこには見慣れない景色が広がっていた。

 普段から過ごしている自室ではなく、現在も横になっているベッドはいつもとは違い簡素な作りのものだ。


 辺りを見渡して見ればそこもまたあまり見かけることの無い場所であり、ベッドの周りは白い布で仕切られていたりと何だか前世の病院を思い出すような風景だった。


「…あぁ、ここって確か屋敷の医務室だったか」


 そこまで確認したところで、今現在自分がいる場所にもなんとなく当たりがつけられた。

 俺は普段から怪我を負ってもフーリが光属性魔法で癒してくれるのであまり利用する機会もなかったが、我が家には怪我を負った時や体調不良になった時のために治療のための部屋が用意されている。


 それこそが俺が今まで寝ていたであろうこの場所であり、何気に初めてまともに利用しているかもしれない。


「まぁ今はそれよりも……何でここに寝てるんだ?」


 俺が疑問に思ったのは、なぜこんなところで目を覚ましたのかというところだ。

 起きる直前のことはどこか記憶があやふやになっており、すぐには思い出せないが自分がここにいる理由くらいは分かりそうなものだ。


「確か起きる前は自分の部屋で寝ようとしてたはずで………っ! …そうか、そういえば暗殺されかけて毒を食らっちまったんだっけか」


 顎に手をやりながら冷静に覚えている限りのことを振り返ってみれば、そこで最後に途切れてしまっていた記憶が唐突に蘇ってきた。

 そこで思い出したのは、俺めがけて襲い掛かってきた暗殺者との戦いの末、思いもよらない箇所から毒を受けてやられかけたことだった。


 最後の最後で敵の油断していた隙を突き、何とか撃退はできたのだろうがそのまま俺も意識を失ってしまいその時点で覚えている記憶は途切れている。

 …だがこうして今生きているということは、最悪の事態は防げたということなのだろう。


 俺としてもあの襲撃はかなりギリギリの綱渡りだったし、正直毒の効力を考えれば命を落としていたとしてもおかしくはなかったと思うのだが……その辺りのことは詳しい者から聞かないと分からないだろうな。

 そしてそこまで考えた辺りで、静かな時間が流れていた医務室の扉の奥からかすかに人の声が聞こえてきた。


「……い…ど………よ…」

「……とう……こ………」


 その声の主たちはどうやら二人で歩いてきているようで、その方向に耳を傾けていればどこかこちらへと近づいてきているようだった。


「誰かいるのか…? でも、この声って……」


 徐々に俺のいる場所へと近づいてくる声は次第に明確にその会話も聞こえるほどに鳴ってきたので、その声質や話している内容からもおおよそは誰がそこにいるのかも察せられてきた。

 …そして、その声が医務室の前までやってきたかと思えば廊下に響いていた足音も一度立ち止まったかのように静まり返り、部屋と廊下を隔てていた入口の扉が開け放たれた。


「アクトー! 起きてるかな? 私たちが見舞いに来たよー」

「レティシア! にぃさまは病人なのですから少しは静か、に……」

「やっぱりいたのはフーリだったか。師匠の方も変わりないようで」


 予想通り、やってきたのはもはや飽きるほど見慣れた師匠とフーリの二人だったようで、静謐な空間に師匠のはつらつとした声が響き渡ってきた。

 あまり病室にいる相手に対してする対応ではない気がするが、そんな細かいことを彼女に求めたところで無駄でしかない。


 なので俺の方も普段と変わりない様子でその声に応じたのだが……なぜかフーリの方が、俺の姿を見た瞬間にその愛嬌のある瞳を涙目にしながらこちらへと飛びついてきた。


「に、にぃさまっ! にぃさま…っ! やっと目を覚ましてくださったのですね…!」

「うおっ!? …ど、どうしたんだフーリ。そんないきなり抱き着いたりして……」


 こちらの返答を聞く暇もなく飛び込む勢いのままに駆け寄ってきた彼女だったが、その情緒の変貌っぷりにこちらの方が困惑させられてしまう。

 その様子のおかしさを尋ねようともしたが、どうしてか感極まったようにしてしまっているフーリは俺の胸に顔をうずめるばかりで答えられる状態でもなさそうだ。


 だったらこの場にいるのはフーリだけではないので、もう一人の人物に詳しいことを聞こうと師匠が立っている場所を向いてみれば……どういったわけか、こちらも驚いたように目を丸くしながら俺の方を見つめていた。


「…いやー、確かにふざけて起きてる? とは言ったけど、まさか本当に意識を取り戻してるとは思わなかったよ。とにかく元気そうで何より何より!」

「……あの、俺が寝てる間に何があったんですか? それと俺の部屋に襲撃をかけてきたやつがいたはずなんですけど、そいつは今どうなってますか?」


 何だか現状がよく分からないが、少なからず事情を把握していそうな師匠にこれまでの経緯を聞いてみれば彼女は実に軽い口調で教えてくれた。


「あぁ、あのふざけた侵入者ならアクトの部屋で転がってたからそのまま街の収容所まで連れていかれたよ。今頃尋問でも受けてるんじゃない?」

「…なるほど。逃げられたわけではないならよかったです。しかしそれなら、フーリは何でこんなに泣きついてきてるんですか?」


 聞いた限りではあれから誰かが俺の部屋の異変を感じ取ったのかそのまま大人しく捕まえられたようだ。

 そういうことなら俺も命を懸けて戦った甲斐があるというものだし、結果論ではあるが無事に生き延びることはできたしこちらの勝利と言ってしまってもいいだろう。


 …だが、そうだとしたら尚更分からないことも出てきてしまった。

 こうして今では体調にもほとんど影響は出ていないようだし、おそらくあの時に食らった毒は誰かが解毒でもしてくれたのだろう。

 だとしたら何故、フーリはこんなにも俺を強く抱きしめてきているのだろうか………


 そんな純粋な疑問から尋ねた質問ではあったが、師匠の方はこちらの方には先ほどまでとは異なり、とても呆れたような表情を浮かべながら口を開いてくる。


「…私も後から聞いた話だから現場を知ってるわけじゃないけど、アクトはあの侵入者から毒を受けたんでしょ?」

「はい。滅茶苦茶苦しかったですけど」

「それね、一回アクトは死にかけたんだよ。…で、その状態のアクトを最初に発見したのがフーリだったみたいでこの子の治癒が無かったら実際死んでたんだからね?」

「……え、それ本当ですか?」

「本当も本当。大マジだよ」


 …師匠の口から語られたのは衝撃的すぎる事実であり、その内容に俺は驚きを隠せない。

 確かにあの毒はとてつもないほどに苦痛を伴ったものではあったが、まさかそれほどまでにヤバい代物だったとは思ってもみなかった。


 そしてそんな毒を受けた上で、死にかけていた俺を発見したのが他でもないフーリだったと………


「フーリが全力で魔法を使ったから何とか毒も打ち消せたけど、それでも少しは身体に毒が回っちゃったみたいでしばらくは目を覚まさなかったんだよ。…それが今の今まで続いてたってこと」

「…そういうことだったんですね。フーリ、ありがとうな。…それと、心配かけさせてごめん」


 今も尚力強く俺の服をつかんでいる妹への感謝を伝えるためにも感情をあふれ出させている彼女の頭を撫でれば……それまで震わせていた身体を大人しくさせ、フーリは内心で激しく揺れているであろう激情を押さえ込んだようにしながら俺に言葉を掛けてくる。


「…にぃさま。私は言いましたよね? 困っていることがあるなら言ってくださいと、兄妹ならば助け合うものだと。…どうしてっ、あのような者に狙われていると教えてくださらなかったのですか!」

「……それに関しては言い訳のしようもない。ただ一つ言えるのは、フーリを信じてないわけではないんだ。…もし教えたりすれば、お前にも危害が及んでしまう。それだけは避けたかったんだ」

「私はそんなことを望んでおりません! …私は、にぃさまがいなくなってしまうのではないかと思うだけで怖かったのです! 一人だけで抱え込まないでください!」

「あっ……」

 その言葉を聞いて、納得した。

 俺は散策の最中に悪意を向けられていると分かった時点で、フーリにはその事実を伝えないことを選択した。


 それはひとえに、彼女の安全を守るため。

 実力面でも精神面でも、自衛の術を多く持っている俺の方が狙われたところで対処できる可能性は遥かに高いという合理的な思考から導いたものでもあった。


 …だが、その結果として俺は死にかけて何よりも大切な存在であるフーリを悲しませてしまった。

 本当にこんな結果を招いておきながら、その選択が最善だったと言えるのか?


 もし今回の立場が逆だったとして、俺ではなくフーリが狙われていてそのことを彼女が一人で抱え込んでしまっていたとしたら……その時、俺はそんなことに納得できるだろうか?

 …答えは分かり切っている。できるわけがない。


 そしてその答えは、今も妹が味わっているものと寸分違わないものなのだ。

 そんな簡単なことにすら俺は気づけず、ただ一人で全てを解決しようと突っ走ってしまっていた………


 ようやくその事実に思い至った俺は、自分がしてしまった失敗を思い知った。

 俺があの場面ですべきだったことは、心配をかけさせてしまうとしても周囲の者に協力を仰いで備えることであり、決して独力での解決ではなかった。


 俺一人にできることには限界がある。

 だからこそ、彼女の力を誰よりも詳しく知っている俺であるからこそフーリの力量を信頼して共に立ち向かうべきだったのだ。


 まだ三歳の子供だから……そんな一面にばかり固執した考えから生まれた不安など、彼女には蛇足でしかないのだから。


「…そうだな、一人で突っ走ったりしてごめん。今度からはもう黙ったりなんてしない。ちゃんとフーリにも相談するよ」

「……約束してくださいますか? もうこのようなことはしないと」

「あぁ、約束する。絶対にフーリを一人にはさせないよ」

「…ならば、もう少しこのままでいさせてください」


 これ以上、この腕の中にいる小さな妹を俺の過失で悲しませることなどあってはならない。

 そんな決意を固めながらフーリの瞳を見つめ返し、嘘一つない言葉で約束をすれば……ようやく彼女も納得してくれたのか、先ほどまでと同じように俺の身体を強く抱きしめている。



 …あぁ、こうして妹を抱きしめられているのもある意味では綱渡りの結果なのだろう。

 確かに俺は運よく生き残れた。敵を退けることはできた。


 だが、内心ではフーリを泣かせてしまったことに対する己への不甲斐なさと……そんな状況を引き起こした敵への怒りが沸き上がってくる。


 誰だかは知らないが、俺の家族に手を出そうとしたんだ。

 その末路は…きっちりと処罰を下させてやろう。

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