第四十七話 盤外の一手


 どこか煌びやかな装飾が施された部屋の一室。

 普段見慣れている素朴でありながら調和のとれた落ち着きある屋敷の風景とは違い、彼らの威光を示すように飾り立てられた空間に、俺と父さんは何人かの護衛を引き連れながらもこの男を目の前にして椅子に腰かけていた。


「…ゴアグル殿。突然の来訪申し訳ない」

「いえいえ。栄誉あるガリアン伯爵の頼みとあらば、このゴアグルもお役に立てて何よりでございます」


 俺たちの眼前に座っているのは、今回の暗殺未遂事件の首謀者と思われるゴアグル大司教。

 おそらく今回俺たちが訪れてきた件に対して内容は彼も把握しているのだろうが、見た限り慌てたような様子は全くない。


 てっきり暗殺の件がこちらに露呈した段階で教会から立ち去っているかと思っていたのだが、こうも堂々と表に出てこられてくるとこちらの方が警戒心を高めてしまうくらいだ。

 見た限りでは概要がこちらにバレているとは思っていないのか、焦ったような様子は見られないが……この男の内心までは分からない。


 この態度も表面的に取り繕っているだけのもので、頭の中では思考を巡らせている可能性だって考えられるし油断することはできない。


 …この自信に満ち溢れた態度がどんなことを聞かれようとも言い逃れられるだけの作戦があるからこそ出ているものなのか、そもそも自分が悪事を働いたとすら思っていないのか……

 前者ならばまだしも、後者ならば質が悪いなんてものではない。


 悪人の思考を理解したいとも思わないが、時としてこういう人種は常人では思いもよらない行動に出る時がある。

 分かり合いたいなんて考えてもいないが、それによって俺は不利益を被った可能性があるのだからその分はきっちりと取り立てさせてもらおう。


 俺がそんな思考に耽っていると、隣で静かにゴアグルの動向を見守っていた父さんがいよいよ本題を切り出しにかかる。


「実はですな……ついこの間我が家に賊が侵入しまして、息子のアクトを狙ってきたのです」

「なんと! それはさぞや恐ろしかったことでしょう……我々でお力になれることがあれば、ぜひご協力させていただきますとも!」


 …わざとらしい。そんな感想が第一に浮かんでくる。

 父さんが先日起こった襲撃に関する話題を挙げた途端に、ゴアグルはその顔を驚愕に染めるようにして心の底から胸の内を痛めるように顔をゆがめている。


 だが、その身振りがいささか過剰すぎるのだ。

 それこそ、まるでこの話題を振られることを事前に分かった上でそのための反応をあらかじめ考えていた、といったような感じだ。


 もちろんこれは俺の主観による印象でしかないので勝手な推測だが、傍にいる父さんの顔を見れば表情をしかめるとまではいかずとも、向こうにバレない程度に眉をひそめているので似たような感想を抱いたのだろう。

 その気持ちもよく分かる。なにしろ俺だって、内心では目の前にいる愚者への敵意を抑えるので精いっぱいなのだから。


 その感情を悟られるわけにはいかないので表には出さないように堪えているが、こんなふざけた態度を見せられ続ければいつ決壊してしまってもおかしくない。


(……落ち着け。まだこいつに制裁を受けさせる時じゃない。その時までは静かに抑え続けるんだ)


 内側で膨れ上がりかけた敵意を露わにしてしまえば、それだけ相手のガードを固くさせてしまうことになる。

 向こうがこちらに対して警戒していないということは、それだけ付け入る隙があるということでもあるのだから好機とも言える。


 そのチャンスをふいにするような真似はしない。


「えぇ、非常に驚きました。それと妙な話なのですが……その賊というのがこともあろうか、ゴアグル殿がアクトの暗殺を依頼してきたと吐いたのですよ。…その辺り、どうなのでしょうか?」

「なっ!? そのような事実、あるわけがありませぬ! 私がガリアン伯爵の長子を恨むなどそれこそお門違いというものでしょう!」


 父さんが細かい経緯を話し始めた途端、先ほどまでしていた大げさな身振りはそのままでありながらも俺を襲ったという事実を必死に否定するゴアグル。

 まぁあっさりと認めるなんてことはありえないと思っていたが、予想通りの展開すぎてもはや笑えてくるレベルだ。


 …それによく言うよ。散々こっちを見下してきたというのに、いざ自分が怪しまれる立場となれば自らの潔白を証明しよう躍起になる。


「それに、私がそのようなことをする動機とてありません! …こちらを疑うというのなら、それ相応の証拠を頂かなければ納得もいきませんぞ?」

「ぬぅ……それに関してはごもっともだが…」


(…まっ、こうなるよな)


 苦し紛れの弁明のようにも聞こえるが、実際のところゴアグルが言っていることは正しい。

 俺たちは仕向けられた暗殺者の証言によってゴアグルの名が出たからこそここまでやってきたが、逆に言ってしまえば証拠はそれしかないのだ。


 その取引の現場や物的証拠を取り押さえたのならばともかく、犯人の自供程度ではこの男を連行させるのに足りないのも事実。

 やろうと思えば貴族の嫡男を危険に晒したとして強引に罪に問うこともできなくはないだろうが、それは完全に悪手だ。


 どれだけこの男が悪質な思考を抱えていようとも、その立場として大司教という教会の重要なポストに立っている以上、そんな者を証拠もなく捕まえたとなれば教会と敵対関係になってしまうことは避けられない。

 ただでさえ向こうにフーリの身柄を狙われている以上、そんなことをしてしまえばこの件を片付けた後に彼女の身柄を引き渡せなんて要求が飛んできかねない。


 …あぁ、全く持って面倒だ。

 どのように動いたとしても組織としての結束力がこの男を守ってしまっているし、そのせいで俺たちは不用意な行動をとることができない。

 強引に動けば後の我が家の衰退にも影響しかねない面倒ごとに発展し、正当な証拠がなければどうあっても不利な場所に立たされる。


 こうなってしまえば、こちらにできるせめてものことは教会に抗議文でも送ることで内部による制裁に期待する他ない……と、以前までの俺なら思っていただろう。

 しかし、そんな甘い仕打ちは見過ごせない。


 俺が今日、この場に同行することを願ったのはこの男に引導を渡してやるため。

 もう二度と俺たちに危害を加えてくることがないよう、徹底的に後願の憂いを潰してやるためなのだから。


(またに頼るのは申し訳ないけど……仕方ない)


 打つ手が限られた今、取れる手段は選んでいられない。

 何度も彼女の手を借りてしまうことは申し訳なく思うが、なにしろ本人直々に了承をもらっているのだから構わないだろう。


 俺は身動きを一切取らずに魔力だけを操作し、外にいるであろう彼女へと合図を送るために事前に決めていたパターン通りに魔力を動かしながら外へと流していく。

 この場にいる者は話し合いに集中しており魔力の感知にまで意識は向けられていないし、それは父さんも背後の護衛たちも同様。


 …普通はどれだけ別のことに集中していたとしても近くに不自然な魔力の流れがあるならそれに注意するものだろうに、この男は自分が話し合いの中で有利な立場にあるという勘違いから優越感にでも浸っているのかそんなことにも気が付かない。

 そんなんだから、俺みたいな子供にもあっさりとやられるのだろうに。


(もうそろそろかね……っと、来たか)


「っ! な、なんだこの魔力はっ!」


 いち早く異変に気が付いたのは父さん。次点で護衛の騎士たちといったところか。

 数秒前までは何の変哲もなかった箇所から唐突に吹き荒れ始めた魔力の奔流にさしものゴアグルも異常は感じ取ったのか、何が何やらといった様子で周囲をきょろきょろと見渡していたが……もう遅い。

 始めの段階で俺の行動を咎めていればこうならずに済んだというのに、が来た時点でもう止められないことは確定してしまったのだ。


 護衛が警戒したように武器を構える中、次第に荒れ狂っていた魔力は一点に収束していき……そして、その人はこの場に現れる。


「……ふぅ。やっほー、ガリアン! 突然だけどお邪魔するねー!」

「レ、レティシアッ!? なぜここにいるんだ!」


 部屋に突然現れた彼女はその燃え盛るような赤髪を揺らしながら床へと降り立ち、この場の困惑などものともしないといった様子で堂々とこちらへと近づいてくる。

 さすがの父さんもこの展開は予想していなかったのか驚いたように声を上げているが、俺の師匠……レティシアはそれすらも軽々と受け流して自分の用件を手短に伝えてくる。


 相変わらず奔放だよなぁ……分かり切ったことだけど、あの人の突発さには毎回こっちが苦労させられるんだから勘弁してほしい。

 そんな俺の内心の溜め息など一切合切無視するかのような勢いで突っ切るのが師匠でもあるし、それが彼女の大きな魅力でもあるので大きく文句も言えないが。


 いずれにせよ、師匠の来訪に度肝を抜かれた俺以外の面々は呆然としたようにしていたが、真っ先に正気を取り戻した父さんがその行動を咎める。

 …しかし、それに対する返答は非常に簡潔であり……更なる驚愕をもたらすものだった。


「いやーごめんごめん。ちょっとアクトが困った状況になってたみたいだからさ。そこの…ゴアグル? だったっけ? そいつが悪事働こうとしてる証拠、持ってきたよ」

「……は?」


 その声は誰が漏らしたものだったのか。

 あまりにも予想外なその一言は、この場における優勢と劣勢を一気に覆しうるものだった。

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