第四十八話 決定打
それは俺が父さんと教会に向かう前日のことであり、森の中でいつもと変わらない訓練をこなしている最中のことだった。
「あ、そういえばアクトって明日教会に行くんだよね? あのー…ゴアムル、だっけ? アクトに暗殺者を仕向けたっていうやつを捕まえるために」
「……ゴアグル、ですよ師匠。一応敵とはいえ、名前くらいは覚えておいてください」
「私、興味ない相手の名前覚えるの苦手だからなー。…ってそれよりも、今は教会に行くことの方だよ。実際どうなの?」
たった今、複数体の魔獣を相手取りながら戦闘をこなしていた真っただ中だったので、その緊張感が解けたこともあって師匠の間の抜けた質問にこけそうになってしまったが、それは何とか堪えて返答する。
「…まぁその通りですね。あの時のことは十中八九やつが犯人でしょうし、その身柄を抑えるために行きますよ。……ただ」
「捕まえるためには証拠が足りない、と?」
「……はい。実行犯からの証言こそありましたが、それだけじゃ罪を擦り付けようとしているとでも言われて言い逃れをされておしまいです。もちろんこっちも退くつもりはありませんが、ほぼ確実に泥沼になるでしょうね」
明日に迫った教会への訪問だが、その目的は穏便なものとは程遠いものだ。
建前上は教会の近況を聞くためのものとなっているが、実際は暗殺未遂を行ったとされているゴアグルへの事情追及、場合によってはその場で身柄を確保という流れになっている。
…しかし、それがあっさりと終わるなんて楽観的な考えは状況を考えれば抱けるはずもない。
まず間違いなく向こうからの抵抗だってあるだろうし、その立場や教会という一大組織の影響力を加味すれば下手な手段すら打つことはできない。
それはひとえに明確な証拠がないゆえに後手に回らざるを得ないというだけのことなので、何か一つでも証拠となるものがあれば話は変わってくるのだが……そう都合よく転がっているものでもない。
なので結局こちらにできることは、それこそ数える程度しかない。
そんな仕返しとしては弱すぎる手しか取れないことに頭が痛くなってくるが……そんな俺の内心などお見通しだったのか、師匠は腕を組みながら何てこともないといった風に告げてきた。
「ふーん? だったら私の持ってるものも役立つかもね」
「…? 持ってるもの? 魔法具か何かでもあるんですか?」
何かしら考えがあるとでも言うような様子で伝えられてきたのは、どこか要領を得ない言葉。
肝心の内容はぼかされながら一人で納得したように頷いていたが……この苦しい現状をひっくり返せる手でもあるというのか?
「魔法具ではないけどね。この前ゴアグルってやつがアクトのことを狙おうとしてる証拠つかんだから、もしよかったらそれあげるよ」
「………はぁ!? ちょ、ちょっと待ってください! …何でそんなものを師匠が持ってるんですか!」
そのあまりにも想定外な内容に、俺は冷静さすら忘れて叫んでしまう。
なんせこちとら、具体的な証拠がないことで頭を悩ませ続けてきたんだ。
だというのに、その決定的なまでのものを当事者でもない師匠が持っているというのだからこんな反応にもなるだろう。
…まさかこんなところから転がり込んでくることになるとは思ってもいなかったが……そんな混乱をよそに、師匠は普段と変わらない様子で説明を続けてくる。
「ほら、アクトたちが教会に行った日あるでしょ? その時私が用事があるって言ってついていかなかったやつ」
「…そうですね。実際その日は師匠も屋敷に来ませんでしたし」
思い返してみればあの日、教会へと視察に赴いた時のことを考えてみれば師匠は用があると言って会うことはなかった。
その時は私用で来れないのだろうと思い込んでいたのだが、もしやその時に何かをしていたというのか?
「その時なんだけどさ、本当は用事もなかったんだけどアクトが教会に行くって聞いて嫌な感じがしたからこっそり後を追いかけたんだよね」
「………はぁ、そうですか」
「で、そうしたら二人が戻っていった後にあの司教がぼそぼそ怪しいこと呟いてたからその記録取っておいたんだ! いやー、本当に役立つとは思ってなかったけど何でもやっておくものだね!」
「……経緯は分かりました。ただ、一つだけ言わせてください」
「ん? なぁに?」
…なるほど。細かいことは把握した。
俺とフーリが教会へと向かった時、てっきり師匠は用事があるからこちらに構えないものだとばかり思っていたが、そうではなくこちらにも秘密裏に動くためだったらしい。
それ自体は別に構わないし、結果的にとはいえ現在役立っていることも確かなので言うことはない。
…それでも、一つ言っておかなければ気が済まないことがあった。
「……前から知ってたなら教えてくださいよ! 俺、危うく死ぬところだったんですけど!?」
俺の心からの叫びは森中に響き渡っていき、木々を揺らしながらこだましていく。
…いや、本当に心底そう思ったわ。
ゴアグルが俺のことを狙っているということが事前に分かっていれば取れる対策だってまた変わって来ただろうし、俺が無駄に囮のような形になることだってなかった。
最終的に生き残れたからこんなことだって言えるわけだが、始めからそれが分かっていれば動き方だってもっと選べた。
…師匠に対して言いがかりのようなことを言うのはお門違いだということは理解しているが、それでも口にせずにはいられなかった。
「まぁ言っても良かったけどね。でもこういうのって事件が起こる前に言ったところで意味なんてないし、それなら現場が発覚してから出した方が効果的でしょ?」
「…そうだとしても、せめて俺には言っておいてください。その違いで心構えだってできましたし、死にかけることもなかったんですけど」
「はっはっは! アクトなら何だかんだで生き延びるとは思ってたし、私からの信頼の証だよ。……それに、アクトはこの程度で力尽きるほど弱くないからね」
若干ジト目になりながら不満を口にすれば、師匠はこれっぽっちもまともに受け止めずに笑っていた。
信頼してくれるのは嬉しいのだが、あまり俺の力量を過大評価しないでほしい。
将来は誰にも負けないくらいに強くなるつもりだが、現時点ではまだ師匠にも及ばない程度の力量なのだからそこも考慮してほしいものだ。
「とりあえず、その辺りの事情は分かりました。悪事の証拠があるのならそれは助かることは間違いないですし、頼りになることも確かです」
「そうそう。それで明日のことだけど、もし私の証拠が必要だってなったら【念話】を飛ばしてもらっていい? それを合図にして私もそっちに乗り込むから」
「了解です。一応向こうに気づかれないようにはしておきますよ」
会話の中で出てきた【念話】という魔法。これは俺と師匠が共同で作り出した魔法であり、効果は物理的距離を無視した意思の疎通が可能になるというものだ。
…生み出しておいてなんだが、これが完成したばかりの頃はとんでもないものを作ってしまったと慄いた記憶がある。
この世界は物流における移動手段と同様に連絡手段の発達も遅々として進んでおらず、一般的に遠方の相手とやり取りをしようとすれば手紙でも送るくらいしか手段はない。
それだって相手に届くまでに日にちはかかるし、運ばれていくまでに破損や紛失してしまう可能性が常に付きまとう。
そして、そんな懸念事項を一挙に解決してしまうのがこの【念話】だ。
己の魔力を特定の波長に合わせることで同様の波長に接続している相手との対話をすることができるこの魔法は、俺たちが独自開発している魔法のいくつかと同様に世間に与える影響が大きすぎるので基本的に秘匿している。
…まぁデメリットとして魔力の波長を操れるほどに卓越した技量があることを前提としているので、普通の人間にはまず扱えないのだが。
身内だと俺と師匠は普通に使えるが……あぁ、最近だとフーリも使えるようになるために必死に特訓してるな。
ブラコンである彼女にとって兄である俺といつでも連絡が取れる魔法というのはとてつもない魅力を持っていたようで、今までも気合いを入れて俺たちの訓練に参加はしていたがそれにも一層やる気を漲らせている。
俺の見立てだとあの調子ならオリジナルの【身体強化】もそれなりの練度で使えるようになってきているようだし、妹の成長は喜ばしいことだ。
話を戻そう。
ひとまず、驚愕続きの話だったので全容を理解するのにも時間がかかってしまったが、これで俺たちは明日の交渉において強力なカードを手に入れたことになる。
この手札で十分だと慢心するつもりもないが、それでも場の劣勢を覆せる効力くらいは発揮してくれるはずだ。
…そして当日、それは想像以上の効果をもたらしてくれることになる。
◆
「レティシアだと……? …ま、まさか貴様、『炎舞の魔女』かっ!? なぜこのような場所にいる!?」
「別にどこにいようと私の勝手でしょ。それよりも今はあなたの不正の証拠持ってきたんだから黙っててくれる?」
(…師匠、なんか怒ってる?)
教会の一室に突然現れた我が師匠に一同は混乱した様を見せていたが、それが最も顕著だったのはゴアグルだろう。
…あの男の場合、レティシアが現れたことに対してというよりもその発言内容に困惑しているといった方が正しいか。
なんせ先ほどまでは自分が圧倒的に優位に立っていたというのに、それを訳も分からない状態で割り込んできた部外者に揺らがしかねられないことになったのだからそうもなる。
…手心を加えるつもりは全くないし自業自得でしかないので、同情の余地もないが。
それとどうでもいいことだけど、師匠が『炎舞の魔女』であることをゴアグルのやつ一目で見抜いてたな。
どこかで知ったのかもしれないが、まぁ今はそのネームバリューもプラスに働くからいいか。
「…レティシア。お前の自由さにはほとほと困らせられてきたが……まさかここまでしてくるとはな…」
「いいじゃん別に。今回はガリアンたちにもちゃんと得なことだし!」
「……そういう話ではない」
何だか師匠がやってきたことに父さんも頭を押さえている気がするが、多分以前にも振り回されるようなことがあったんだろうな。
昔からの友人と言っていたし、そのくらいのことは平気でしそうな人だからそこは不思議でもない。
「…だが、証拠を持ってきたというのはどういうことだ? お前のことだ。考え無しに言ったわけではないのだろう」
「そりゃ言葉の通りだよ! そこの人がアクトを狙ってた場面をばっちり記録に残してたから、それを見てもらおうかと思ってね」
「……ば、馬鹿なことを言うなっ!!」
どこまでもマイペースに語っていた師匠の言葉に被せるように焦ったかのような大声を上げたのは、目の前に座り込んでいたゴアグル。
彼はそれまでの落ち着き払った振る舞いなどどこへやったのかと言われそうな荒々しさをその身から感じさせながら声を張り上げ、レティシアが語ることをことごとく否定しようとする。
「わ、私の不正の証拠だとっ!? そんなものあるわけないだろうが! …そもそも貴様は何なのだ! 勝手にここまで入り込んでおきながらその態度、つまみ出されたいのかっ!」
「ワーワーうるさいねぇ……これ以上あなたと話すと耳がやられそうだから、もう出しちゃうね?」
そう言うと師匠は、ゴアグルの声を完全に無視するという姿勢でその準備に入る。
事前の宣言通り、とある魔法の用意をし始めた彼女にそこにいた者全員が何をするのか予想もつかないといったように見守っていたが……その用意が整った時、驚きの光景が展開される。
「こんなもんかな……【
その魔法が解き放たれた瞬間、彼女の手元から無数の光が放たれるようにこの場を照らしていき……ある光景が映し出された。
それは、ここではない一室の空間。
その中心には見慣れた男……ゴアグルが一人で座り込みながらくつろいでいる様子があり、普段とは全く異なった様相で居座っていた。
「これは……? …っ! ま、まさか貴様! やめろ、それ以上は流すなぁっ!!」
「本当にうるさいな……良いから黙って見てなよ。…【フレアバインド】」
「があぁぁっ!?」
真っ先にその景色に思い至ったのは、張本人であるゴアグル。
彼は現在映し出されている映像が一体何を表しているのかに考えが追い付くと、その先の言動を思い返して焦った声を上げながらレティシアの魔法を止めようと駆け寄ってこようとするが、そんな抵抗を見過ごす彼女でもなく炎の拘束で地に伏せられてしまう。
そうしている間にも順調に宙に浮かび上がった光景は進んでいき、ついに彼の言葉が静かに響き渡っていく。
『…そういえば、フローリア嬢はあの小僧に随分と懐いていたな』
まるで何かを考え付いたかのように、自身の思考を肯定するかのような意思を感じさせる声色でつぶやかれたのは俺とフーリに関すること。
…なるほどね。そういうわけか。
俺はてっきり、ただ単にアクトという個人がやつにとって目障りな存在だから狙われたのかとばかり思っていたが事実はそうではなかったようだ。
こいつの本当の目的は、あくまでもフーリという存在を教会の手駒とすること。
それによって得られる利益によって、己の欲を満たすことだった。
…そして、それを達成するための手段は実に簡単だ。
俺とフーリの仲の良さに考えが至った者ならば、まず何よりも先に思いつくであろう単純な思考。
『……ふむ。となれば、やりようもあるか。アクト・フィービルには消えてもらうとしよう』
「あ、あああぁぁぁぁっ!?」
彼女の支えであり心の支柱でもある俺を抹消することでできた傷に、自らが寄り添うことだ。
部屋に響き渡ったこれ以上ない明確な悪意の証拠に、床に転がっていたゴアグルが叫び声を上げながらかき消そうとしていたがそんなことで隠し通せるほど曖昧な代物じゃない。
その声はここにいた全員の耳に確実に入ってきたし、紛れもない悪事の証明だった。
「特定の空間に起こった事象を記録しておける無属性魔法、【
「で、でたらめだっ! こんなことを言った覚えなどないし、大方貴様が私(わたくし)の不正をでっち上げるために改竄でもしたのだろう!」
…おぉ。ここまで追い詰められておいてまだ抵抗する気力があるのには素直に尊敬してしまうが、あいにくその程度のことで揺らぐほど甘い相手でもない。
自分が相対している人物のことをもっと深く考えていれば、もう少しまともな選択もできただろうに……言ったところで無駄か。
「まさか私に責任転嫁してくるとはね……その根性は見事なものだけど、一方は貴族の嫡子を狙った疑惑のある聖職者。もう一方は世間でも魔女なんて呼ばれてる魔法使い……さて、みんなはどっちの意見を信じるだろうね?」
「あっ……ち、違う! これは何かの間違いだ!」
俺たちの方へと視線を向けながら告げられたその一言は、ある意味最後の宣告だったのだろう。
そして彼女の言う通り、ゴアグルの主張を信じる者は……皆無だった。
「…その男を、連れていけ」
「「はっ!」」
「ま、待て! こんなことありはしない! 話を聞けっ!」
これだけの意見をそろえられてしまえば、向こうに勝ち目などあるはずもない。
父さんの一言で準備を整えていた護衛も一斉に動き出し、這いつくばっていたゴアグルの身柄を取り押さえて外へと連れ出していく。
あの男はその背中が見えなくなるまで耳障りな言葉を喚き散らしていたが……俺は、その姿をただひたすらに見つめ続けていた。
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