第四十九話 愚か者の末路
ゴアグルの悪事を暴き、その身柄を捕らえてから数日が経った。
あれから人伝いに聞いた話ではあるが、この件を受けて教会もやつを庇いきれなくなったのか大司教の職務は解かれ、その上教会への所属自体が取り消されたらしい。
今回に限ってはあちらに全面的に非があるのでこちらも強気に出ることができ、向こうに対して大きな貸しを作ることができたので今後はフーリへの勧誘も表立ってできなくなるだろうとのことだった。
…俺の暗殺騒動の結果、フーリの安全が高められたということが果たして良かったのかどうかは判断に困るところだったが、一つの勢力から妙な干渉がなくなるとでも思っておけば悪くはないだろう。
それとやつ自身の処遇だが、今回の件を受けて余罪も含めて調べてみたところ……なんと、他にもあくどいことを当たり前のように行っていたようで詳しく調べていけばいくほど罪が膨らんでいったとのことだ。
結果、情状酌量の余地なしということで極刑が確定し、それが実行される日程もそう遠いものではない。
現在はフィービル伯爵領内の留置所で万が一にも逃げ出さないように牢獄でその身を繋がれているとのことだ。
そして今、身柄を拘束されているゴアグルはというと………
「…くそぉ! どうして
…薄暗い牢獄の中で、己の置かれている状況に不満を漏らしている真っ最中だった。
自分の作戦は完璧だった。万に一つも失敗することなどなかったはずだ。
何せ相手はただの子供であり、それに対して自分が仕向けたのは熟練の殺し屋。
両者の戦力差は歴然であり、たとえあのアクトとかいう
そうしてあの生意気な子供が消えてくれれば、自分はフローリア・フィービルの心へと入り込みその莫大な才能を我が物とできていた……はずだった。
だというのに、現実はそんな予想とは裏腹にことごとく失敗続きであり、一向に暗殺成功の知らせが届く様子がないと不思議に思っていれば唐突に標的の方からこちらに近づき、訳も分からないまま牢に閉じ込められている。
彼の思考の中に、自らが犯した悪事が露見したゆえに罪の清算をする時が来たのだという意識はない。
ただ、自分は正義のためにして当然のことをしたまでであり、このような対応は間違っていると本気で思い込んでいた。
…ここまで来てもまだ自らの愚かさに気が付けないのは、捉えようによっては才能だったのかもしれない。
伸ばし方さえ間違えなければ、自分の正義を信じぬく執念深さにもなりえたかもしれないが……そんな仮定の話に意味はない。
ただ一つ確かなのは、もうこれ以上彼に救いはやってこないということだけだった。
「ちっ…! …まぁいい。いずれはここからも出れるはずだ。そうなればまずはあのアクトとかいう小僧から粛清してやるとしよう……」
そんな来るわけもない未来を盲目的に信じ込みながら、ゴアグルは冷たい牢の中で一人恨み言を口にし続ける。
…いや、あながち間違ってもいないこともある。
ゴアグルがこの牢獄から解放されることは永遠にないだろうが、少なくとも出れないということはない。
事実として、近日中にも彼がここから外に出される機会は用意されているのだから。…処刑場の断頭台に上がるための一歩として、という前提の下にはなるが。
そしてもう一つ、彼の言葉の中に真実が混ざっているとすれば………
「…ん? 誰だ、この足音は。まさか看守か!? おい、ここから早く出せ!」
石造りでできた空間はほんの些細な物音であっても強く反響するように設計されている。
それは囚人の生活音然り、定期的に牢を見回りに来る衛兵や看守の足音なども同様だった。
カツンッ……カツンッ…と少し先も見ることが困難な暗闇の中で、誰かの足音が響き渡るのを聞いたゴアグルはそれを自身を不当に捕らえた看守のものだと考え、声を荒げるが……残念ながらそれは正しくない。
次第に近づいてくる足音。目を凝らして見ればその者の姿形も徐々にはっきりと輪郭を結ぶようになり、牢の目の前まで正体不明の人物が近づいてくるとそのシルエットも明らかになった。
「…よぉ。看守じゃなくて残念だったな」
「なっ!? …な、なぜ貴様がこのような場所にいる!? …アクト・フィービルッ!」
暗闇の影から姿を現した者。
それは今しがた彼自身が恨みを吐いていた対象でもある、アクトだった。
◆
…さて、父さんたちにもかなり無理を言ってこの留置所までやってきたわけだが、こんなところに送り込まれても性根は変わらないものだな。
かすかに聞き取れた独り言だけでも俺に対する恨みをつぶやくだけで、自分が悪いだなんてこれっぽっちも思っちゃいない。
別にこいつの改心に期待して様子を見に来たわけでもないので構わないのだが、ここまで変わる兆候が見られないと逆に尊敬できてしまうくらいだ。
っと、今はそんなくだらないことよりもここに来た目的を果たさないとな。
「なぜここに来たのか、か……まぁ俺も正直言うと来るべきかは迷ったんだが、お前には言っておきたいことがあったんでな」
「言っておきたいことだと…? ふん! どうせこのような場所にいる
…うわぁ、こいつマジか。
この男が馬鹿なことは理解していたけど、まさかこれだけのことをしでかしておいてまだ釈放される可能性があるとか思ってるのか。
極刑が確定している以上はどのような手段を持ち出してきてもそのような未来が訪れることなどありえないのに、まだそんなことを言っていられる胆力があったとは。
もはや清々しさすら覚える思い込みの激しさだが……一度現実を見せた方がこいつも落ち着いてくれるだろう。
「…先に言っておくけど、お前がここから出れる可能性なんてものはゼロだ。既に処刑が決まっている以上、それを覆すことはお前にも、他の誰にもできやしない」
「……は? ふ、ふざけるな!
ふむ、この様子を見る感じだと自分の最終的な処分に関することは聞かされていなかったようだ。
どうせ教えたところで結果も変わらないし、聞かせたことで意地でも脱獄を図りそうなやつだからその判断も正解だったのかもな。
まぁ、今俺が教えたことでそれも意味なんてなくなってしまったわけだが。
「そんなこと俺が知るか。…ただ、貴族の命を狙ったということはそれだけの重罪になるということだ」
この国において、貴族の持つ力というのは相当に強い。
それは王族から与えられている土地を治めるという意味でも、そこに住まう民を守護するという意味合いでも大きな責任と力を持たされており、それだけに貴族を狙ったとバレれば即刻首が飛ばされるのだ。
「お前がそれを理解できていれば……いや、どうでもいいか。今日はそんなことを言いに来たわけじゃないしな。……俺がここに来たのは、お前に礼を言っておきたかったからだ」
「…礼、だと?」
口にした言葉が意外だったのだろう。
そう。俺がこんなところまで訪れたのは、ある意味でこの男には感謝することがあったから。
その礼を直接伝えてやりたかったからだ。
「そうさ。今回の件を通して俺も色々と学ぶことがあった。…この世界を生きる上で、大切なことを思い知らされた」
思い返してみれば、俺は今までフーリを始めとした大切なものを守ってみせると決意しておきながら心のどこかで敵対した者への甘さを捨てきれていなかった。
それは前世の価値観が残っているがゆえに、相手に対する容赦の手を緩めてしまうことがあったのだろう。
…だが今回、ゴアグルという今世において初めて出会った悪と対峙して、その考えを改めることができた。
敵に対して情けをかけていれば、いつかその魔の手は俺の身近な者達に這い寄ってくる。
そんなことを続けていれば……いずれ、取り返しのつかない事態を招くことになりかねないから。
「初めて出会えたのが、あんたみたいに間抜けな悪人で良かった。…狙われたのが俺で良かった。もしあんたがフーリを狙っていて傷の一つでもつけていたら……何をしていたか、自分でも分からない」
こんなことを口にすればフーリに怒られてしまうのは目に見えているが、そう思わずにはいられなかった。
今回は偶然ターゲットとなったのが俺であり、死にかけこそしたが生きてこうして復活できたし、そこまでこの男に対する怒りも沸いてこない。
しかし、これがもしフーリや身内に向けて悪意を向けられ、それによって危害を加えられていたら……俺は果たして正気でいられただろうか?
その罪を許さず、徹底的に追い込むか……はたまた、感情任せに殺していたか。
どうなったのかは想像もできないけど、少なくとも現状より最悪の方向に突き進んでいたことは間違いない。
それを避けられたのはひとえに、この敵対者の怠慢ゆえだったのだから。
「…俺は、自分にとって大切なものを狙ってくる輩に今後一切容赦をしない。そしてそれは……お前も同様だ」
「ひっ…!」
その一言は自分でも驚くほどに低い声が出てきた。
敵対者への情けを捨てる。それは今後のことを考えれば必須の覚悟だったし、俺の掌から大切をこぼれ落とさないようにするためにも曖昧にはしておけないものだ。
だからこそ、俺はこの男の目の前で宣言することを選んだ。
それは己の甘さを教え込んでくれた相手への感謝と……その報いを、しっかりと受けさせるためのもの。
そんな俺の気迫に今ここで殺されるとでも思ったのか、先ほどまでの威勢はどこへやらといった様子で気色悪いくらいにこちらへとゴアグルはすり寄ってこようとする。
「わ、分かった! この前の件ならば謝罪する! だから水に流そうではないか! …そ、それにこの場で
「……はぁ、もういい」
…こいつ、謝罪するとか言っているがそもそも自分がそのような選択もできない立場にあるということを忘れているんじゃないか?
あまりの愚かさに溜め息も漏れてくるが、別に俺もこいつに直接手を下したいわけではないのでそんなことをするつもりもない。
こいつを断罪するのは、あくまでこの国の法なのだから。
「いずれはあんたの処刑も実行されるだろう。せめてもの情けだ。その瞬間くらいは見届けてやる」
「…っ! ま、待て……いや、待ってください! 処刑だけは勘弁してくれっ!」
俺の全てを見下げたような視線に、いよいよこいつも処刑の日程が本格的に迫っていることくらいは察したのだろう。
これまでは自分が釈放されると無意識に思い込んでいたからこそ耐えられていたが、それも意味がないと思い知ればそんな余裕もなくなる。
…そんな懇願など、はなから聞いてやるつもりもないというのに。
「言っただろう、避けようもないことだと。お前の犯してきた悪事なんだ。…その清算はきっちりしてくることだな」
「そ、そんな……っ!」
「……あぁ、そういえば」
どうすることもできない現実を突きつけられ、先がなくなった己の未来をようやっと実感したのかその顔からは色が失われていく。
清算すべきことが返ってきただけだというのに、そのせいで存在していたはずだった将来まで失っているのだからかける言葉もないが、最後にふと思い出したことがあった。
「お前はフーリのことを言いくるめて手駒にすることで、あの子よりも上位に立とうとしたみたいだが……フーリにはお前なんかとは比較にもならない程に魔法の才能がある。それに加えて、他人を思いやれる優しい心もな。……あの子はお前よりもずっと、特別だ」
「…あ、あああぁぁぁぁぁぁっ!!」
…それはある種、何よりも鋭利な一撃だったのかもしれない。
誰よりも優れていたと思っていた、特別な存在なのだということを心の拠り所にしていた愚か者の末路は……実に呆気ないものだった。
髪を掻きむしり、聞き入れられない事実から目を背けようと床に頭を叩きつける敵対者の最期を、俺は目を離すことなく見届けていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます