第四十話 約束した散策
リシェルを我が家に招き入れることになってから数日が経過し、それからというものの屋敷を歩いていると彼女とすれ違う機会も出てきた。
まだ能力的な面で専属使用人を任ずるには不足している面も多いので、ひとまずは一般の使用人と同じ仕事をこなしながらその技能を磨いてもらい、いずれは俺の専属となってもらう予定だ。
それがいつ頃になるのかは不明だが、時折見かけるリシェルのやる気の高さを思えばそう遠い話でもないだろう。
今はとにかく彼女を信じて待つだけであり、その時が来るまでは合間に魔法の指導を受けさせるために呼びだしたりするくらいの接触にとどめておこうか。
もちろん定期的に近況を聞くためにも対話の機会は設けるが、それ以外の面であまり過度に話しかけてしまうとせっかく盛り上がっているリシェルのやる気に水を差してしまうかもしれないし、その辺りの塩梅は見極めなければいけない。
まぁどちらにせよ、俺にできることはリシェルの仕事環境を整えてやるくらいのことだし、そこから先はどうあっても彼女次第。
結局はそこに期待する他ないので、俺が変にうろたえても余計な騒動を招いてしまうだけなので大人しくしておくことにする。
さて、屋敷近辺での近況はそんなところだ。
以前に比べて大分賑やかになってきた俺の周辺だが、やはりこれくらいでは満足していられない。
俺の目標はフーリや大切な者達との平穏な日常を守ることであり、そのためにはどうしても這いずり寄ってくる悪意を軽く跳ねのけられるレベルの力がいる。
そのためにも、日々の研鑽を命がけでこなしながら力を磨く毎日だが……そればかりに集中するわけにもいかない。
これでも貴族という立場上、子供ながらにやることも多いのだ。
日々の勉強に加えて、魔法の鍛錬。それからこれから貴族同士の付き合いの一環で使うことになるであろうマナーの数々など。
魔法が目立つゆえにそれにばかり目を取られそうになるが、それ以外のことも同等レベルで習得優先度は高いのでそちらも無視はできない。
ゆえにこう見えても忙しい毎日を送っているのだが……今日に限っては、その忙しさとも無縁な時間を過ごすことになっている。
「フーリ、あんまり一人で遠くには行かないでくれよ? はぐれたら危ないからな」
「はいっ! 絶対に一人では行きません!」
俺の問いかけに元気いっぱいの声で返してくるのは、その美しい碧色の瞳をこちらへと向けながら、滑らかな銀髪……ではなく金髪へと変えているロングヘアを揺らしたフーリが元気に満ちた声で返事を返してくる。
普段とはまた異なる姿の妹は少し慣れないところもあるが、それもまた最高に可愛らしいのだから反則級である。
そしてそれに並ぶように立っている俺も本来の銀髪とはかけ離れた水色に髪色を変化させており、パッと見ただけでは俺たちが伯爵家の子息と令嬢だと気づける者はそう多くはないだろう。
「フーリも今日は張り切ってるねー。まぁその気持ちも分からなくはないけどさ」
「当然です! なんせ今日は待ちに待ったにぃさまとのデートなのですから!」
「…あぁ、外に出れるのが嬉しいとかいうわけではなかったんだね。相変わらずブラコンと言うかなんというか……」
そんな俺たちの後ろに立つようについてきてくれているのは、いつもと変わらぬ服装に身を包んだままの恰好をしている師匠。
こちらとは違い彼女は何の変装もしていないのでその美貌はそのまま周囲へと晒されており、今も街行く領民に視線をこれでもかと感じるというのにそれを本人が気にする様子はない。
そう。今の俺たち三人はいつものように屋敷の中ではなく、その外である領都を散策している真っ最中だった。
何気ない市井のど真ん中をご機嫌で歩いていくフーリとそれに続いて俺たちが歩いていくが、当然こんなことをしているのには理由もある。
以前、教会への視察に向かう際に馬車に揺られていた時に俺がぽろっと漏らしてしまった言葉を覚えているだろうか。
車体に身を揺らされながら初めて見る光景に興奮するフーリに対して、師匠と街を見回ったことがあったと失言してしまったあれのことである。
あれ以来、フーリは俺と一緒に出掛けたいと申し出てくる回数が明らかに増加してしまい、その度にそれとなくお茶を濁して誤魔化してきたのだが……それもいよいよ限界が近づいてきてしまった。
もちろん妹の頼みとあらば俺も全力で叶えてあげたいのだが、屋敷の中で実現できることならともかく街に出かけるとなると話がまた変わってくるのだ。
このフィービル伯爵領は父さんの治世によって定期的に自警団が見回っているし、もし怪しい輩がいるようものならすぐに対処に当たるように声かけがなされているので他の領地と比較しても治安は整えられている。
…しかし、それはあくまでも相対的に見たらという話でしかなく前世の日本なんかと比べてしまえば決して安全とは言い難いのだ。
どの世界でもよからぬことを考える輩というものは存在しているし、少しでも油断していればすぐに襲い掛かられるのがこの世界での常識なのだ。
そんな場所に妹を連れていけば不測の事態が起きる可能性は否定できないし、何かあってからでは俺の方も対処が遅れることだってあるかもしれない。
…え? 俺が街に降りるのはいいのかって?
俺は良いんだよ。街に行くときは大体師匠という護衛がついてきてくれるし、俺自身もそれなりに自衛手段はあるからな。
これでも実戦訓練を始めてからは今までと比較にもならないスピードで成長できていると自負しているし、その実力も並のものでは収まらないと自覚はしている。
なんせ、今の俺なら単独でも警報級の魔獣三体程度は余裕で相手取れる自信があるし。自分でも本当に己が六歳児なのかどうか怪しく思えてきたくらいだ。
話を戻そう。
それなりの戦力として出来上がってきている俺と師匠の二人ならそんな万が一が起こる可能性は限りなく低いし、暴漢なんかに目を付けられたところで大した問題にもならない。
だが、俺と師匠から魔法の講義を受けて着々と成長してきているとはいえ、まだその力量が普通の子供レベルで収まっているフーリに対して想定外の事態に自力での解決を望むのは酷というものだろう。
【身体強化】を始めとした無属性魔法も少しずつ扱えるようになってきているので、最低限の自衛はできるとは思うがその程度では万全の対策とは言い難い。
なのでフーリを外に連れていくのはもう少し彼女が成長してから……と思っていたのだが、俺の予想を遥かに超えてくる彼女からの熱烈な要望に断り切ることができず、結局了承することになってしまった。
その判断を下した時には己の意思の弱さに呆れたものだが、目の前で心の底から喜ぶような妹の姿を見れば、それも致し方ないと思えてくるのだから不思議なものだ。
決まってしまったことは仕方ない。
それをいつまでも嘆いていたところで状況が改善するわけでもないのだから、そうするくらいならできることに注力した方がよほど建設的だ。
そう判断するや否や俺はすぐに行動に移り、まず最初に師匠に同行の願いを申し出に行った。
幸いにも師匠は快く了承してくれたので、見守り役としてもこれ以上なく頼りにできる相手を確保できたことには安心した。
そのままの流れで両親にも俺たちが街へとお忍びで出かけることの旨を伝えに行き、それを認めてもらうために嘆願せねばならない。
父さんには具体的な経緯を話した際に少し渋られてしまったが、師匠も共に行くと伝えればギリギリではあったが何とかそちらからも頷きは頂けたので無事に障害もなく乗り越えられたことに安堵するばかりだった。
…本音を言えば父さんには首を横に振ってしまった気持ちも無きにしも非ずだったんだけど、やはり師匠の名前を出すと大体の懸念要素は心配するだけ無駄になるのだろうか。
想定していたよりも非常にあっさりと予定が決まってしまった今回の外出だったが、どうせ行くのならフーリには楽しんでもらいたいしせっかくの機会をふいにするのももったいないので、市井の様子をその目で見て領民の暮らしぶりを学んでもらうこととしよう。
もはや投げやりにもなっていた思考に陥りかけていたが、そんなことでも考えなければ頭が痛くなりそうだったので考えられる不安要素は全て無視した。
まぁ、俺と師匠なら大体の脅威は跳ねのけられるだろうし、それこそ街に伝説級の魔獣でも現れない限りは問題もない。
そんなこんなもありつつ迎えた今日の外出だったが、どこか不安を感じている俺の胸中とは裏腹に天候は雲一つない快晴であり、気持ちの良い空気を肌に伝えてくる。
そんな空の下で髪をたなびかせながらはしゃぐフーリの姿はさながら天使のような美しさすら醸し出しており、最愛の妹の愛らしさを噛み締めることができたことを嬉しく思うばかりだ。
「それにしても、また見事に髪色を変えてるけどそれ意味ある? どうせなら顔つきから変えちゃった方が良かったんじゃない?」
「これで十分ですよ。人って髪色が変わるだけでも印象がかなり変わるものですし、そもそも父さんや母さんはまだしも俺たちの顔なんて知ってる人の方が少ないですしね。…というか、俺たちより師匠の方が変装した方がいいでしょ。凄い見られてますよ」
「私は別に貴族でもないからバレたところで問題なんてないからいいんだよ。もし不埒な相手がいたら燃やしてやればいいもん」
「……さすがに街で焼死体事件まで起こさないでくださいよ?」
俺とフーリは現在自分たちが貴族だとバレないように軽く変装を施しており、それは魔法によって行っている。
現在も発動しているのは無属性魔法の【偽装】であり、効果としては物体の見た目を変化させるというだけのシンプルなもの。
見た目を変化させる範囲に応じてその消費魔力も上昇していき、あまり複雑な形状を構築しようとするとその難易度も準じて上がっていくのだが、人二人分の髪色を変化させるだけならそこまで難しくもない。
この魔法を使って俺たちは変装して正体を隠し、こうして堂々と街の通りを歩いているというわけだ。
…だが、それ以上に特に何も変装を施していない師匠の容姿に見惚れるかのようにする者の視線がこちらに突き刺さってくるので大した意味がない気もする。
注目されればそれだけ正体がバレるリスクも高まるし、それは避けたいところなのだが……言ったところで聞き入れられることが無いのは承知の上である。
俺にできることは、それこそ師匠の美貌につられてやってきた悪漢なんかが焼かれないように最低限の配慮をしてやるくらいだ。
当然、行き過ぎたことに手を出そうとしたやつらの安否などは知ったことではないが。
「にぃさま! 早く行きましょう!」
「…そうだな。あまり遅く帰ると母さんたちも心配するだろうからな」
…どちらにせよ、俺がやることは何も変わらない。
今も俺の前で手招きをしながら目を輝かせているこの子が楽しめるように、全力を尽くすだけだ。
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