第三十五話 獣の少女との救出


 …結構危なかったな。

 【探知】に反応した妙な魔力の集まりが気になって現場へと赴いてみれば、まさかのその場には複数の魔獣と一人の少女がおり、まさに襲い掛かられんとしている瞬間だった。


 さすがにそんな状況を見せられて見捨てられるほど俺は非情になったつもりはないので、一瞬で【身体強化】を全開にして彼らの間に割って入ったが……ゴブリンの振るった短剣を力任せに根元から叩き切り、その勢いに任せて首を落としてやらなければさしもの俺でも救出は間に合わなかっただろう。


「…おい、大丈夫か?」

「……あなたは?」


 ともかく、今は助けた子の安否を確認するのが先決なので声を掛けたが……質問に対して質問で返されてしまった。

 しかし、俺の身分を話すには少し時間がかかるしそんな暇も現状を考えれば余裕もないので、返答ができるくらいには体力は残っているということで判断しておこう。


「それに関しては後だ。とりあえず、あいつらを片付けてくる」

「…ま、待って! あなたみたいな子供じゃあの数には勝てない! 私が時間を稼ぐから、その隙に逃げて!」


 俺がゴブリンの始末をしてくると口にした途端、なぜか彼女は焦ったように忠言を呈してきた。

 まぁ、彼女がそう言ってしまう気持ちも分かる。

 この場に俺が飛び込んできた時こそ派手なものだったが、明らかに俺は六歳の子供にしか見えないし、実力を度外視すれば普通の一般人としか思えないだろう。


 自分が危機的状況であることすら忘れて俺の命を優先しようとするその心意気は立派なものだが……おあいにくさま、それは無用な心配というものだ。

 確かに見た目は単なる子供でしかないが、こちとらこの程度の相手に後れを取るほど弱くはないのだから。


「問題ない。それよりも、君はこれを飲んで身体を休めてろ」

「えっ? あ、ありがとう……」


 そう言って俺が懐から投げ渡したのは、瓶に詰められたポーションだ。

 以前に俺が師匠から振りかけられたものと同一のものであり、あの時は傷口に直接振りかけられたが普通なら経口摂取する方が効果は高いのだ。


 見たところ、全身は土に塗れておりボロボロだしそこらに傷口がつけられており痛々しい有様だが、致命傷は受けていないようだ。

 これならばあのポーションの回復量でもそれなりに体力も戻ってくるだろうし、余裕も取り戻せるだろう。


 詳しい経緯を聞くのはその後だ。


(だけど、それよりもまずこっちを仕留めないとな。まぁすぐに終わるとは思うが)


 どうして彼女がここにいるのか。なぜゴブリンに追い回されていたのか。

 聞きたいことは山のようにあるが、何よりも先に目の前の敵を排除しなければ話も進められない。


 だが、それほど気負うような相手でもない。

 少し前までの俺ならばいざ知らず、今となっては一般級の魔獣程度ならば相当数でも頭数をそろえてこない限りは敵ではないのだから。


 そんな突然現れた乱入者である俺に対して、ゴブリンたちは対応に悩むかのようにその動きを止めている。

 恰好は単なる子供にしか見えない俺だが、少し前にやつらの仲間を一体瞬殺しているのでその実力との乖離から鈍っているだけかもしれないが、それは悪手だ。

 他のやつらならどうかは知らないが、俺と敵対した上で動きを止めるなど的にしてくれと言っているようなものだ。


「これで終わりだ。【水刃アクアカッター】」


 魔法名を口にした途端、目の前に佇んでいたゴブリン全ての近辺に水の刃が浮かび上がり、その首を斬り落としていく。

 運よく初撃を逃れた個体も中にはいたようだが、たった一発の魔法を逃れた程度で反撃を許すほど甘くはない。

 避けられたと判断した次の瞬間には再び起動していた【水刃アクアカッター】によってその胴は両断され、あっけなくその命を散らしていく。


 魔法を使ってから十秒も経過しないうちに殲滅は完了し、思っていた以上に手ごたえのない戦いだったと言えよう。

 早く決着を付けられることに越したことはないので、文句もないが。


 それよりも、今は後ろで呆然としながら殲滅劇を眺めていた彼女のことを気にかけてやった方がいい。


「…よし、問題なく倒せたみたいだな。そっちの怪我の状態はどうだ?」

「へ? あ、あぁいや、ポーションを飲んだからもう大丈夫そう。…それよりも、あなたってこんなに強かったんだね……」


 振り返った俺の強さに対して信じられないような態度を見せる彼女。

 琥珀色の瞳を際立たせるような紫色のボブヘアは所々茶色に染まってしまっており、体に付着した汚れから本来の容姿からはかけ離れた姿なのだろうが……それでもどこかでは顔立ちに少女らしい愛らしさが感じられ、きちんと手入れをすれば将来は相当な美女になることが予感できる。


 そんな箇所に一瞬目を引かれそうになるが、それ以上に視線を持っていかれるのは彼女の頭頂部。

 そこに生えている、まるで猫を思わせるかのようなだった。


「そうか。それならよかった。…にしても、君は獣人だったんだな」

「うっ、うん……」


 獣人。それはこの世界に存在している純粋な人ではない種族のことであり、エルフやドワーフといった種族とも並んで数えられることが多い者達だ。

 その特徴は見ての通り、人の見た目に獣の耳や尻尾が付け加えられたような容姿を有しており、身体能力なんかも人と比べて相応に高いものを持っている。


 だがその分、全体としての数が比較的少ないのであまり見かけることはないのだが……何だか久しぶりに異世界らしいものと出会った気がするな。


「色々と聞きたいことがあるんだけど……その前に、まずは自己紹介をしておこうか。俺はアクト・フィービル。一応、フィービル伯爵領の長男でもある」

「…うえぇっ!? お、お貴族様だったんですか!?」

「あっ、やっぱり気が付いてなかったんだな」


 聞き出したいことは多くあるが、それ以前に情報のやり取りをするならばお互いのことを明かしておいた方が後々の会話もやりやすくなる。

 そう意図して俺の身分を正直に明かしたのだが、やはりと言うべきか彼女は俺が貴族……それも、伯爵令息だということには気が付いていなかったらしい。


 これまでの会話の中でそれ自体は薄々察していたので、別に気にもしていないのだが彼女の方からすればそういうわけにもいかないのだろう。

 唐突に自分を助けてくれた何者かが現れたと思ったら、それがまさかの貴族だという急展開もいいところな流れに頭が追い付いていないといった感じだ。


「あ、あの! 私あなたにとんだご無礼を!」

「あぁ、別に構わないよ。これが公式の場ならともなく、さっきのは誰も見ていない場でなおかつ君も死にかけていたんだ。ある程度のことは許容してる」

「あ、ありがとうございます……」


 言動の中で見えてきた振る舞いから推測はしていたが、おそらく一般的な平民である彼女からしてみれば貴族相手に粗相をすれば首が飛ばされるとでも思ったんだろう。

 確かに失礼な相手にはそういった対処を取る場合もなくはないが、先ほどのはどう考えても訳アリなケースだ。

 そんな場面につけこむようにして軽々しく命を奪うほど、俺も器を小さくしたつもりはない。


 なので萎縮してしまった彼女を安心させる意味合いでも気にしていないという意思表示をすれば、ようやく少しは落ち着いてきたのか顔を上げてくれた。


「それで、君の名前は? よかったらこんな危険地帯にいる経緯なんかも教えてくれると助かる」

「は、はい……私はリシェルと言います。歳は十になったばかりで。見ての通り猫型の獣人です。…そしてここにいるのは、元居た村に捨てられたからです……」

「…捨てられた?」


 細かい事情を聞くためにも自己紹介を兼ねて聞き出していけば、彼女……リシェルは苦々しい表情をその顔に浮かべ、重苦しい雰囲気をその身に纏いながら詳しい経緯を答えてくれた。


「私がもともと暮らしていたのは、隣領のスローキア子爵領にある小さな村でした。そこでは私以外にもたくさんの獣人が暮らしていて、静かだけど穏やかな生活を続けていたんです」

「…なるほど。だけど、それだけなら何も問題がないように思えるが」


 語られていく内容を聞いて一つ納得できたのは、リシェルがフィービル伯爵領の出自ではなく隣領の出身だったということ。

 俺が知っている知識ではこの領内に獣人が暮らしている村など記憶になかったので、それも疑問の一つだったのだがそういうことなら納得ではあった。


 …しかし、そうなると余計にわからなくなってくることもある。

 もし本当にリシェルがスローキア子爵領で生まれたというのなら、わざわざこんなところまでやってくる理由など無いはずだ。


 いくらスローキア子爵領とフィービル伯爵領が隣接しているとはいっても距離にしてみれば徒歩ならかなりのものだし、そう容易くやって来れるものでもないのだ。

 おそらくだが、それも含めて先ほどの村から捨てられたという発言が絡んでくるのだとは思うが……。


「…村から捨てられたと言ってたな。辛いかもしれないけど、その理由を教えてもらってもいいか?」

「…はい。その……追い出された原因というのは、私の魔法の適性にあったんです」


 そこからつづられていくのは、リシェルの苦い過去。

 彼女が自分の身を削ることになってまで村を離れることになった要因の一部始終だった。

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