第三十六話 許容されないもの
ぽつぽつとつぶやかれていく、リシェルがこんな森の中を駆けることになった経緯。
その原因とも言えるものとして、本人の口から語られたのは魔法の適性だという話が出てきたが……それが追い出された原因だと?
まだ先の見えてこない話に内心戸惑いも出てくるが……それを言葉にするよりも前に、彼女から話が続けられる。
「村の風習と言いますか……ちょっとした習わしのようなもので、十歳になったら皆平等に魔法の適性を調べるというものがあったんです。…そして、そこで判明した適性というのが闇属性のものだったんです」
「闇属性…! …そういうことか」
「…はい」
闇属性。それは希少とされている光属性と比較してもさらに使い手が少ないとされている魔法属性のことであり、適性を有する者自体滅多に見かける機会はない。
そして、この属性でできることというのは……対象の精神への直接干渉。
相手の意思を希薄なものとさせ、その感情を思うがままに操り、極めれば意思そのものに触れることさえできるというもの。
端的に言えば、意識ある存在に対する洗脳を可能とする魔法だった。
利便性のみを考えれば、他者の治癒が可能な光属性と並べても遜色ないレベルの有用性を秘めているこの属性。
その適性所持者の母数の少なさも含めて考慮すれば、それこそあらゆる場面で引っ張りだこになっていてもおかしくない。
…だが、その有用性に反してこの属性は世間一般から受け入れられることは少ない。
その原因は、一言で言ってしまえば倫理の問題だった。
意識ある存在を洗脳することができる魔法。
昆虫も、動物も、魔獣だって……果てには、人間まで。
そこに自我が存在している限りは操られる対象となり、いつ何時主人格がすり替えられるかも闇属性の使い手次第。
そんな事実が世界に広まっている中で、わざわざ彼らに近づこうとする者などよほどの物好きでもない限りはいない。
そしてその傾向は、高い地位に君臨している権力者ほど顕著なものとなっている。
当然だ。いつ自分を裏切って意識を乗っ取るかも分からない能力を持った者を傍に置いておくメリットなどないのだから。
たとえその術士本人をどれだけ信じていたとしても、そうなるという可能性がある以上は無視できる問題でもないのだ。
良くも悪くも、この世界では魔法の適性が重要視されることが多い。
それが役に立つ属性であれば共に喜び……悪意に富んだものであれば遠ざける。
全く持って掌返しもいいところなものだが、目の前の少女はその例を一身に受けてしまったのだろう。
「…つまり、君は闇属性の適性があったから村を追い出された……ということでいいのか?」
「その通りです。…それまで普通に接してくれていた人たちは人が変わったように私を避けるようになって……中には、私に直接悪意をぶつけてくることもありました」
「…そこまでか」
闇属性の使い手が冷遇されているということは知っていた。
その事実を知ったばかりの時にはそんな風評が正しいのかどうかと考えていた時期もあったが、やはり世間に広まった固定観念というのは簡単に覆せるものではない。
俺も貴族という立場がある以上、意識が乗っ取られることへのリスクは十二分以上に理解しているつもりだが、それでも心のどこかでは引っ掛かる部分もある。
「私は親もいない孤児だったので、村の人たちだけが頼れる相手でした。…だけど、それももう寄りかかれる場所ではなくなってしまったし、段々と直接的な暴力を振るわれることも増えてきました。…あれ以上あの村に留まっていたら、いつか私は壊されてしまう。そう思って、ここまで逃げてきたんです」
「……なるほど。事情は理解した」
親もいない孤児。それ自体はさして珍しいものではない。
命の価値が前世と比べても軽いこの世界では、ふとした拍子に身近な者を亡くすことも往々にしてあることだ。
…それでも、その当事者となった者がその現実に納得するかどうかは別問題だが。
リシェルにとって不幸だったのは、闇属性魔法に適性を持ったこと……ではない。
そもそも魔法というのは単なる道具のようなものに過ぎず、それをどう振るうかは本人次第なのだから。
どれだけ凶悪な特性を有していたところで、属性自体に罪はない。それは断言できる。
だからこそ、彼女にとって不幸だったのはその現実を直視せず、魔法という一面だけでリシェルという個人の価値を断定する者達に囲まれてしまったことだったのだろう。
それに加えて、親という子供にとって最も寄りかかりやすい支えがいないことも大きかった。
支えてくれる者はおらず、自分一人だけが追い込まれていく状況。
わずか十歳の子供が背負うには重すぎる不幸の連鎖こそが、リシェルにとって最大の不運だったと言わざるを得ない。
「ここで助けてくださったことは、本当に感謝しています。ありがとうございました」
「…それは気にしなくてもいい。それよりも、君はこれからどうするんだ?」
こんな状況であっても助けられたことに対する礼は忘れない律義さには呆れにも近い感情が出てくるが、別に俺としても純粋な善意だけで助けたわけではない。
こうして話をしているのだって、どうして獣人がこんなところにいるのかという事情を聞き出すためだったし、その先の目的にしても結局は俺のためでしかない。
そしてそのためにも、彼女のこれからの行動指針は聞いておかなければならないことだった。
もしリシェル自身が向かう先が明確に見えているのなら……その時は俺も、潔く手を引いておこうと思ったから。
自分の目的のためにもここで彼女を手放してしまうのは惜しいが、本人の自由意思はしっかり尊重する。
無理やり引き留めるような真似はしないし、万が一提示する条件に乗ってくれればいいなというくらいのものでしかないのだから。
「…そうですね。ひとまず一旦は、この森を抜けて街にでも向かいます。そこで適当な仕事でも見つけて、しばらくはそれで暮らそうかと……」
「それはほとんど不可能だろう。そもそも、森を抜けると言っているが現在位置だって分かってないんじゃないのか?」
「うっ……」
痛いところを突かれたと言わんばかりに俺の指摘に表情を歪ませるリシェル。
一応はこれからのことに関しても思考は回していたようだが、やはり子供の考えることゆえに詰めが甘いところがある。
まず、森を抜けるという算段だがここからほとんど無理な話だ。
俺のような協力者がいるのならともかく、彼女もさすがにこれ以上は俺の世話になるつもりはないようだし一人で動くつもりだったのだろう。
そうなれば、間違いなく森を抜ける前にまた別の魔獣に襲われるのがオチだ。
先ほどは俺が手助けに入ったから九死に一生を得ることができたが、今度もそうなるとは思えない。
リシェルにとって唯一の抵抗手段でもある魔法も闇属性では直接的攻撃力は低いし、それだけでは魔獣の襲撃をやり過ごせる可能性は低い。
何か他の防衛手段でもあれば話も変わってくるが、見た感じそういったものを所持しているわけではなさそうだ。
森を抜けるだけでもこれだけの障害があるのだ。
では、万が一奇跡的に森から脱出できたとして、その後のことを考えてみよう。
密林地帯であるダグ森林から抜け出し、街へと向かうリシェル。
その先で生活をするために定職でも探すことになるだろうが……おそらく、ここでもつまずくことになる。
そもそも、村から追い出された獣人の子供という情報だけでもまともに取り合ってくれる店は少ないだろうしそこに加えるように闇属性の適性持ちだという事実まで露見してしまえば関わってくれる場所すら存在するかどうか怪しいレベルだ。
世間にとって偏見の目で見られることが多い闇属性に備わっている禍根というのは、それほどまでに根深いものなのだから。
ここももし無事に仕事にありつけたとしても、それはまともな仕事内容である可能性は低い。
子供ゆえに足切りのしやすい犯罪の実行役か、それとも何か割のいいものではない低賃金の雑用でもさせられるか。
可能な限り最善の可能性を導き出したとしても、せいぜいが死亡率が圧倒的に高い冒険者になるくらいのものであり、そんなものを十歳の子供がこなせるはずもない。
そうなれば待っているのは悲惨な未来だけであり、ここで生き延びたとしても明るい道が残されている可能性は皆無に等しいのだ。
それを当事者であるリシェルにも正直に話してやれば、彼女は苦々しい感情を醸し出しながら、それでも諦めた様子など微塵も感じさせない意地の強さを滲ませながら言葉を続けてくる。
「…で、でも、私にはそうするしかないんです! もう先のことも分からなくなってしまったけれど、死ぬという結末に甘んじたくはないんです!」
「……そうか。よく分かった」
自分でも理解はしているのだろう。その選択肢がいかに無茶なものであるのか。
何も変わらないまま続いていくと思っていた未来は唐突に閉ざされ、頼れる者はおらず、それでもその先に何かがあると信じて走り続けた。
そして今、絶望的なまでの現実をしっかりと直視しながらも、それに心折れることなく抗おうとしている。
…全く。そういう諦めの悪さは大切だが、振るう場所を間違えている。
だけど、だからこそ俺はそこが気に入った。
自分の命や未来が掛かった場面でその先のことも冷静に考えられる思考能力。
極限状態であっても俺という目上の立場を不快にさせないように振舞いに気を遣い、自然に立ち回れる行動力。
そして何より……闇属性という最高の才能と、彼女から感じられる魔力の片鱗。
その全てが俺の求めていた基準に優に到達しており、話を聞いていく内に尚更手放したくないと思った。
ゆえに、俺はリシェルに一つ提案を持ち掛ける。
「だったら、俺のところに来ないか? せっかくのリシェルの才能をここで捨ててしまうのは少し惜しい」
「……えっ?」
俺から口にした提案に、呆然としたように目を丸くしてこちらを見上げてくる彼女。
その内容は、俺たち二人にとってひどく単純なもので……彼女にとってひどく信じられないものだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます