第二十話 出発、暴露


 フーリの視察に付き添うということが決まってから数日後。

 諸々の準備も進めながら用意をしていた俺たちにとって、その時間はあっという間に過ぎ去っていき、いよいよ当日を迎えた。


 現在は俺とフーリが屋敷の正面門前に用意されている馬車に乗り込むために歩いていきながら、父さんと母さんに見送られている最中だった。


「フローリア。くれぐれも失礼のないようにね。アクトもフローリアのこと、頼んだわよ」

「分かってるよ。フーリもそれくらいのことは理解してるからそんなに心配しなくても大丈夫だ。なっ、フーリ?」

「はい! にぃさまもいますから、お母さまは屋敷で待っていてくだされば大丈夫です!」


 いざ馬車に乗ろうとすれば、その光景を心配して声を掛けてくる母さんによって引き留められている現状。

 自分の子供が二人だけで街に降りていこうとしているのだから心配する気持ちも分からないでもないが、さすがにこの調子では時間に遅れてしまうのでそろそろ向かわなければならない。


 ただでさえ俺は向こうからの評判を落としているというのに、これ以上不評を買えばどんな対応になるか分かったものではない。

 そんな俺の内情を察してくれたのか、未だに心配してくる母さんの肩に手を置いて優しく諭してくる。


「まあまあ、私たちはここで見送ってやるのが役目というものだろう。…アクト、フローリアのことを頼んだぞ」

「…ええ、必ず無事に帰ってきます」


 なんだかんだで父さんの方も心配はしてくれていたようで、短い言葉のやり取りではあったが、その節々からその気持ちは伝わってくる。

 それに言われずとも、フーリのことはしっかりと見ておくさ。

 そのために今日は共に行くことにしたんだからな。


 あぁそれと、今日は師匠はこの場にいない。

 なんか昨日のうちに、『明日は用事あるからそっち行けないんだ! 申し訳ないけど、頑張ってね!』とだけ言い残して去って行ってしまったので、その用事についても聞き出せずに別れてしまった。


 …ほとんど連日のように訪れてきていた師匠だけど、わざわざ俺たちに用事があると言って来ない日があるのは何気に初めてだったので、少し気になりもしたが……あの人にもやることくらいはあるのだろう。

 この世には下手に探りを入れない方がいいこともあるということはよく知っているので、追及するつもりもない。


 どうしても気になるなら、後日に問いただせばいいだけの話だしな。


 なんにせよ、俺たちは俺たちのやるべきことをやるだけだ。


「もうそろそろ行こうか。それじゃあ父さん、母さん。また後で」


 時間を確認すれば、もうじき約束の時間も迫っている。

 ここいらが良いタイミングだろうと思い、両親と軽く一時の別れを伝えながら馬車へと乗り込んでいく。


 馬車の周りでは護衛として付き添ってくれている者達が付き従っており、父さんたちに一礼をするとそれぞれが馬にまたがりながら馬車の移動速度に合わせて走らせていく。

 俺たちは見送ってくれた両親や使用人たちの声を背に受けながら、少しずつ揺られていく車内でその身を楽にしている。


 …いよいよこの時がやってきたって感じがするけど、実際はまだ始まってもないんだよな。

 この後の展開を考えれば温厚に事が進むとは考えづらいし、この間に気合いを入れておいた方が良さそうだ。


 そんなことを考えながら揺れる馬車の中で思考に耽っていると、窓から物珍しそうに眼を輝かせながら外を眺めていたフーリがはしゃいだように話しかけてきた。


「にぃさまっ、にぃさま! これが屋敷の外の風景なのですね! 何だか新鮮です!」

「…そういえば、フーリは外に出たことが少なかったもんな。こんな風に見れるのもいい経験だろうし、今のうちに見ておくといい」

「はい! …ところで、にぃさまは落ち着いていらっしゃいますが、珍しくはないのですか?」

「あー、俺の方は……ちょっとな」


 思い返してみれば、フーリは生まれてからまともに外出したことはなかった。

 訓練に使っている敷地や観賞用に整備されている様々な花々や噴水が設置されている庭園を散歩するくらいのことはしてきたが、こうして市井に出てくる機会なんてなかったしな。


 まぁ、貴族令嬢が街に降りてきたことがバレたら騒ぎになることは目に見えているし、現に今も走っている馬車の周りには領民が視線を向けてきている。

 そんな中で堂々と外を歩き回るのは、色々とリスクも高いからな。……いや、俺に関しては……うん。あれは必要なことだったし、ちゃんと了承も取ってたから非はないだろう。


 だが、そんな俺の曖昧な態度を不審に思ったのか、フーリは若干こちらを怪しむようなジト目を向けてきながら俺の方に近寄ってくる。


「…にぃさま。なぜそこで誤魔化すようなことを言うのですか。もしや、何か私に隠していることでもあるのではないですか?」

「…別にフーリに隠してたわけではないんだぞ? ただ、何というか……少し前に、師匠と一緒に何度か街を散策したことがあってな…」


 まるで浮気を白状する夫のような心情になってくるが、状況的にはそれに近しいものになっているのだから笑えない。

 先ほどまでの楽し気だった雰囲気から一転して、急激に車内の温度が冷え切っていったような気がするが……目の前の少女から発せられるオーラを見れば、それも気のせいではないだろう。


 …遡ること数か月前のことになるが、俺は師匠との模擬戦をしている最中に武器の短剣を折ってしまったことがある。

 その時はある魔法を試用運転していたこともあって、その負荷に短剣の耐久力が絶えられなくなってしまったのだろうが……これまた不幸なことに、屋敷に訓練用の短剣がそれ以上は用意されていなかったのだ。


 もちろん、刃のついた実戦用のものであれば用意はあったが、模擬戦で余計な傷を付けるリスクを高めることもないだろうということで、最初は新しい短剣の在庫が手に入るまで模擬戦は自粛しようと思っていた。

 しかし、それに待ったをかけたのが師匠だ。


 彼女は俺との特訓が継続できなくなると知るや否や、領内に存在している鍛冶屋に短剣を調達しに行こうと提案してきた。

 どうやら彼女の中で俺との模擬戦は相当に楽しみにしていたものだったようで、それが少しの間とはいえできなくなるのは嫌だったらしい。


 だが、いくら師匠とはいえ勝手に外出しては騒ぎになってしまうし、俺も貴族の端くれとして父さんの許可なしに不用意に出歩くわけにはいかない。

 なので、無理だとは思うが外出の許可を要求してみたところ……なんと、実にあっさりと許諾されてしまった。


 その返答を聞いた時には目を丸くして驚いたものだが、許可を出した詳しい理由を聞いていけば、そもそも師匠が一緒にいる時点で護衛としては十分すぎるし、それならば安全性も十二分に確保されている。

 …それと、こういった時に師匠を止めようとしても勝手に連れて行こうとするだけなので、止めたところで無駄だという話も聞かされてしまった。


 ともかく、以上の理由から無理に引き留めようとするくらいなら事前に許可を出しておいた方が良いということで、何ら障害もなく俺たちは外出の権利を獲得した。

 ここまでとんとん拍子に話が進むとは思っていなかったので、俺としては何気にこの世界で初めてのまともな外出に心を沸き立たせながら、軽い変装も施して領地に自らの足で乗り出していった。


 その道中では、屋敷にいるだけでは決して見ることができなかった領民の日々の暮らしを実際に眺めることができたし、温和に暮らす人々の営みというものを肌で感じられた。


 …だが、もちろん良いものばかりではなかった。

 時折道端では、壁にもたれかかりながら倒れ込むようにしている者達も見かけたし、そういった毎日の生活にも困窮している者の姿というものも目に入ってきた。


 父さんの治世によってそのような者達があぶれないようにと施策を凝らしているようだが、やはり全てを掬い取ることはできずにああいった飢えや病に苦しむ人というのも一定数はいるようだった。


 全てが全て、綺麗なわけではない。

 それは屋敷にいるだけでは知りえなかったことだし、こうして実際に経験してみるというのは俺にとってもそれなりの刺激となって吸収されていった。


 俺とて、万能ではない。

 あのような者達全てを救えるほどの力なんてものはないし、天才的な知恵が回るわけでもない。

 俺にできることは大事な者達を守るための努力を重ねるくらいのもので、それだって自分の周辺に手を伸ばすくらいのものが精いっぱいのものだろう。


 …けれど、あんな光景を見せられて無関心でいられるほど、意識の切り替えができるわけでもなかった。


 俺にとって最も大切なのは、フーリの存在だ。

 この子には平穏で幸せな暮らしを続けていてほしいと思っているし、それは今でも変わっていない思いだ。


 それでも、大切なのがそれだけなわけではない。

 同じ家族でもある父さんや母さん。…そして、生まれ育ったこのフィービル伯爵領も同じくらいには、守り通したいと考えている。


 全てを掬い取ることはできない。

 …それでも、自分にできる可能な範囲で救えるものがいるのなら、それは手を差し伸べてやりたいとも思った。


 まぁ、そんなのは俺自身に余裕ができてからの話だ。

 現状で師匠にボッコボコにされている程度の実力ではそんなものは夢物語だと言われて終わりだし、力なき言葉に説得力なんて皆無だ。


 まずは何よりも、力を身に着けること。

 大切なものを守り通すためなら、それは最優先で取り組むべきことだ。


 なんにせよ、もともとは武器の調達をするだけだったはずだが、初めての外出は思わぬ副産物を手に入れられた散策となった。

 …ちなみに、その後も俺と師匠はこっそりと街へと降りていく機会があり、その度に領民と会話を交わしていたりもする。


 さすがにこちらの身分を明かしてはいないが、話に応じてくれた者達は皆気さくに応答してくれたので、これも良い思い出だ。


 …そして、そんなことを打ち明けられた我が最愛の妹の反応はと言うと………。


「…むうぅ! にぃさまたちばかりずるいです! 私を除け者にしています!」

「の、除け者にしたつもりはないんだぞ!? ただあの時は、フーリも小さかったから危険だと思ってな……」

「それでも、にぃさまはレティシアと何度も街に出向いているのでしょう! 今度は私とも一緒に行ってください!」

「そ、そうだな……師匠に相談すれば何とかなるかもしれないけど…」


 フーリは俺と師匠が二人きりで出かけていたというシチュエーションが羨ましかったようで、自分とも出かけろとお願いされてしまった。

 …俺とフーリの二人だけだと危険だから許可はされないだろうけど、多分師匠にもついてきてもらえば大丈夫かな。あの人、面倒見もいいし。


 何だか強引に外出の約束を取り付けられてしまった気がするが……仕方ないだろう。

 愛しい妹からの頼みなんだから、危険ならばともかく師匠と一緒なら安全も確保されているし、そのお願いを断るなんて選択肢は俺の中には存在していなかった。


 …帰ったら、一回相談してみるか。


 乗り込むまでは少し緊張感すら漂っていた馬車の中だったが、どうしてか今では和やかな雰囲気が辺りには満ちているのだった。

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