第十九話 頼れる相手
父さんとの話し合いも一段落し、そのまま執務室を後にするために足を進めようとしたのだが……その前に、父さんの方から話しかけられた。
「あぁ、アクト。今の件とは別に、一つ聞いておきたいことがあるのだが……」
「…? はぁ、何でしょうか」
先ほどの用件は終わったはずなので、呼び止められた理由が分からず一瞬戸惑ってしまうが、また別件だと聞かされてその耳を傾ける。
それまでの張り詰めた空気感からは一転して、そこまで緊張感も感じられなくなったが……肝心の内容に皆目見当もつかないので、一体どんな話だというのだろうか。
「そんな身構えずとも大丈夫だ。ただ聞いておきたかったのは、お前の専属使用人をどうするかということさ」
「あー……なるほど」
また何か不穏な話が飛び出してくるのではと思って少し構えていたが、どうやら実際はそういった類の話ではないようだ。
そして、父さんの方から持ち掛けられてきた専属使用人という言葉でほとんどの内容は察せてしまった。
専属使用人というのはその名の通り、貴族一人に対してほとんど付きっ切りで身の回りのことを任せる者のことであり、その役職柄特殊な仕事を任せることも多い。
なので、大抵の場合は信用のおける者であり能力の高い者に任命するのが普通のことだ。
もちろん、必ず専属使用人を決めなければならないというわけではない。
場合によっては使用人を定めてしまうことがデメリットになってしまうことだってあるし、それを好ましく思わない者とているのだから。
決まった者が常に傍にいれば便利くらいのものなので、特段無理に決めてしまうことでもないが……仮に使用人を任命するとなれば、その者の信用性も確かめなければならないので、父さんも一応の確認をしてきたのだろう。
「今は特に考えていないかな。いなくてもそこまで困るものでもないし」
候補を挙げるとすれば、パッと思い浮かんでくるのは幼い頃によく俺の世話をしてくれていたメアリーあたりだが、彼女は現在その手際の良さを買われて複数人の使用人をまとめる立場にあるので、その役職から引きはがしてしまうのは忍びない。
そうなると他に任せられそうな者は思い当たらないので、結局専属として任命できそうな者はいないということになってしまう。
…理想を言うならば、俺の専属となる者にはある程度の戦力として数えられるくらいには実力が欲しいと思っている。
俺はフーリのことを守ると誓い、そのために力を高めようとに訓練に臨んでいるが、やはり俺一人では手が届くことにも限界があるのだ。
大きすぎる才能を持つ彼女は、あらゆる勢力からその身を狙われる恐れを抱えているし、現に今も教会からは目を付けられている。
それも温和な交渉であればまだいいが、時に人の欲望というのは想定もできない方向に舵を切ってくることもある。
その時、いざという時に傍に戦力として頼りにできる者が一人でも近くにいれば、フーリの護衛役を任せることもできる。
それだけではなく、俺としても自分のやることに対する補佐のような役回りをしてくれる存在がいてくれると非常に助かるのだが……そこまで条件を求めてしまうと、さすがに当てはまる人物などいなくなる。
…まぁ、そこまで焦って決めるものでもないし、そもそもとして無理に用意するものでもない。
いずれは欲しいものだが、それもその時が来てからでいいだろう。
「そうか。だが、もし専属を任せようと思う者がいたら言ってくれ。その時はこちらも動く必要があるからな」
「分かった。それじゃあ、俺はもう戻ってもいいかな?」
「ああ、色々と頼んですまなかったな。この埋め合わせは確実にすると約束するよ」
「気にしなくてもいいよ。じゃあ、フーリのところに行くから、何かあったらまた呼んでくれていいよ」
どこまでも家族のことを思ってくれている父さんに苦笑も浮かんでくるが、そんな父さんだからこそ信頼しているのだ。
俺にフーリの付き添いを任せようとしている時にも、心から申し訳なさそうにしているのは伝わってきたし、そんなリアクションを見せられては憎さだって湧いてくるわけがないというものだ。
というか、この件に関しては父さんが悪いわけではないし、避けようのない事故のようなものだ。
そんなことでいちいち腹を立てていたら身が持たないし、何よりもそうするくらいならこれからどのように行動していくべきかを考えた方が建設的だ。
そんなことを考えながら執務室の扉を開けて廊下へと出ていき、父さんとの話し合いを終わらせる。
…そういえば、フーリは教会に向かうことを知っているんだろうか。
一応、今話したことも含めて確認しておいた方がいいかもな。
「あっ! にぃさま! お話は終わったのですか?」
「ついさっきな。待たせてごめん……っと」
俺が庭へと戻っていくと、どうやらちょうどフーリ達も訓練途中の休憩を挟んでいる最中だったようで、簡易的な椅子に腰かけていたフーリが俺めがけて飛びついてきた。
そんな可愛らしい反応を見せてくれる妹に対して、俺も抵抗することもなく優しく受け止めてやる。
俺の胸にしがみつくようにしてきたフーリは、ほんの少しの時間でも俺と離れていたことが寂しかったのか、ぐりぐりと顔を押し付けるようにしてくる。
俺としてもフーリと離れていた時間は寂しいものだったので、今は存分に甘えさせてやろう。
「また随分と甘えたがりだな。何かあったのか?」
「…これはにぃさま成分を補充しているのです。にぃさまはすぐにどこかへ行ってしまわれるのですから!」
「そ、そうか……我慢させちゃったみたいだな」
どうやらこの一連の行動は、フーリが言うところの『にぃさま成分』とやらを吸収するためだったようだが……俺の体からそんな未知の成分が発せられているとは思わなかったので、少し頬が引きつる。
まぁ、これくらいのことはフーリとのコミュニケーションの中では当たり前のことなので、特に言及したりもしない。
なんにせよ、可愛い妹からの要望なのだから、それを拒否する理由もないしな。
そのまましばらく俺たちは抱き合った状態のままになっていたが、その様子を離れた場所から見ていた師匠が見かねたように声を掛けてくる。
「またフーリも一段とアクトに甘えてるね……アクトが離れてからそんなに時間も経ってないよ?」
「私にとってはその時間も長かったんです! なのでこれは正当な補給です!」
「…なんて言ってるけど、どうにかしたら? アクト」
「まぁ良いじゃないですか。フーリがそう言ってくれるなら俺も嬉しいくらいですし」
「そういえば、アクトもそっち側だったか……」
別におかしいことを言ったつもりもないんだが、なぜか師匠は頭を押さえるようにしながらこちらに呆れた視線を送ってくる。
…おかしなことも言ってないよな?
「はぁ……とりあえずそれはいいや。それで、ガリアンと何を話してたの?」
「そんな大したことでもないですよ。ただ、今度教会への視察があるって言われただけですね」
「教会に視察? …ははぁ、なるほどね」
フーリが目の前にいることなので、予定は軽く伝えたがそこに含まれる思惑なんかはぼやかして師匠に話した。
だが、それだけでも彼女にとってはおおよその経緯を察するのには十分すぎるものだったようで、向こうの意図なんかも理解したのだろう。
普段は気楽な言動が目立つ人だが、こう見えても世間では『炎舞の魔女』なんて大層な二つ名を付けられている人だし、凄い人物であることに違いはないのだ。…多分。
「…にぃさまは、教会に行かれるのですか?」
「ん? …あー、違くてな。今度行くのはフーリの方なんだよ。やっぱりまだ聞いてなかったか」
「私が、ですか?」
それまで俺の胸に顔をこすりつけるようにして甘えていたフーリだったが、俺と師匠の会話を聞いてこちらを見上げてくる。
どうやら話の流れから俺が主体となって教会に向かうものだと思ったようだが、実際に主となって出向くのは彼女の方なのでそこは訂正しておく。
すると、先ほどまでの上機嫌な様子はどこへやら。
俺に密着しながら向上させていた気分を下降させながら、不機嫌そうに俺の目を見つめてくる。
「…そうなると、私一人で教会へと向かうことになるのでしょうか?」
「まぁ、視察っていうならそうなるのかな。フーリにとっても初めての公務経験になるし、いいんじゃない?」
「……むぅ。貴族としてそういったことも必要なことは理解していますが……やっぱり、にぃさまと一緒が良いです!」
…あっ、そういうことか。
何でフーリがいきなり不機嫌になってしまったのか分からなかったけど、彼女は自分一人で教会へと向かわせられると思っていたらしい。
しかし、考えてみればそう思ってしまうのも無理はない。
普通は視察ともなれば貴族一人に対して護衛を複数人付けて行くのが当然のことだし、そこにもう一人、ましてや兄妹がついていくなんてことは少ない。
そういったことから、フーリも自分だけで教会に向かうと判断したのだろうが……しかし、口では嫌だと言っていても、貴族の責務としてそういったことも行わなければいけないことも理解しているようで、その不満も飲み込もうとしてくれていた。
…本当はもっと我儘を言いたいだろうに、理解ある子に育ってくれて少し嬉しくも思えてしまった。
だが、今回に限ってはそんな我慢をする必要はない。
何せ、俺が彼女に同行することは既に決定しているのだから。
「…フーリ。そう言ってくれるのは嬉しいけど、実は俺も視察には同行することになってるんだよ。あくまでフーリの付き添いって立場だけど───」
「それならば行きます! 視察も楽しみです!」
…わお。我が妹ながら、何という掌返し。
先ほどまでは頬を膨らませながらもなんとか飲み込もうとしていたというのに、俺の言葉を聞いた瞬間に満面の笑みを浮かべながら了承の意を示してきた。
もともとはフーリを教会の強引な勧誘から守るためについていこうとしただけなんだけど、こうして妹に喜んでもらえたなら受けた甲斐もあったかな。
態度を一変させて嬉しそうに抱き着いてくるフーリを抱きしめ帰しながら、俺はそんなことを思っていた。
「アクトも一緒に行くの? …てことは、ガリアンと話してたのはそのことか……」
「ははは……否定はしませんよ」
そんな俺たちのやり取りを眺めていた師匠は、わずかな会話内容から流れを理解したらしい。
しばらくはふむふむと口元に手を当てながら考える素振りを見せていたが、それも一段落するとこちらに話しかけてくる。
「まっ、色々と大変そうだけど、何か困ったことがあったら私を頼りな。いざって時は助けてあげるからさ」
「…ありがとうございます。その時は遠慮なく頼らせてもらいますよ」
かけられた言葉は、これ以上ないくらいに力強い相手からの援護だった。
師匠ほどの実力があれば大抵のことはどうにかできるだろうし、その一言は今の俺にとっても何が起きたとしても大丈夫だという安心感を与えてくれた。
まだまだ不安要素も残っているが、もう引き返すこともできない。
視察までの日程も迫っている今、精一杯できることをやろう。
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