第十三話 無属性魔法の価値


「それじゃフーリ。その結界の中からは絶対に出ないでくれよ? 俺との約束だからな」

「はい! ここからは絶対に出ません!」


 いつものように師匠と特訓をするため庭にやってきた俺たちだが、今日に限ってはいつもとは違うこともある。

 それは他でもないフーリの存在であり、普段ならばいないはずの彼女の姿がここにあるのは明らかに異常だった。


 しかし、これも仕方がないのだ。

 あれだけぐずられてしまえば俺には妹を放っておくなんて選択肢はまずありえなかったし、考えた結果この現状が最善のものだったのだ。


 もちろん、危険対策も万全に整えられている。

 師匠が直々に張った結界によってフーリが想定外の負傷を負ってしまう可能性は限りなく軽減されているし、注意深くそこから出てはいけないとも言い聞かせているので、俺との約束をしっかり守ってくれる彼女なら出てしまう心配もない。


 今回師匠が使った結界は魔法による影響を一定以上遮断してくれる性能を有する類のものなので、魔力の関係ない人や物なんかは普通に素通りできる。

 俺たちが気を付けるべき点があるとすれば、フーリが土埃なんかに塗れないように激しい戦闘を控えておくくらいのことだろう。


 …さて、準備は整った。

 フーリが見守ってくれていることで緊張感なんかはいつもとは比べ物にもならないが、それも良いスパイスだとでも思っておこう。

 でなければ、思わぬところで予期せぬミスを犯しそうだった。


「にぃさま! 頑張ってください!」

「おや、可愛いお姫様からの応援が飛ばされてるけど……無様な姿は見せられそうにないね」

「はは……まぁ、精一杯やりますよ。まだまだ格好悪いところは見せたくないので」


 背後からかけられる声援に、無意識の内に俺の口角も上がってくる。

 最愛の妹から受け取った激励だ。下手なところは出せない。


 まだまだ師匠には実力も及んでいない身だが……今日こそ、一撃を入れさせてもらおう。


 心の中でそんな決意を固めて、俺は屋敷から持ち出してきた一本のを取り出す。

 この短剣は屋敷から持ち出してきたものであり、あくまで訓練用の得物なので刃は潰してあるが、材質は鉄を用いてあるので当たればそれなりの痛みが与えられる。


 剣を逆手持ちに構えながら数秒、正面数十メートルの位置に立っている師匠とにらみ合う。

 お互いに隙を探り合いながら沈黙の時間は続き……それに痺れを切らした俺の方から一気に仕掛けに行く。


「……ふっ!」


 それまで踏みしめていた地面を爆発的な勢いで飛び出していき、まるで弾丸を思わせるような加速をもって距離を縮めていく。

 かなり離れていたはずの両者の距離はほんの数秒でゼロへと近づいていき、その勢いのまま短剣が師匠の体へ向けて振るわれる……一瞬そう思ったが、そんな簡単にいく相手でもない。


 短剣を振るおうとした直前、狙いすましたかのように俺の真正面に炎の壁が唐突に出現し、それを見ると同時に加速の勢いを弱めて一旦後方に下がる。

 水属性魔法で俺の体を包めば炎の壁を突っ切って特攻もできたかもしれないが、それでは大火傷は免れないだろうし、初手からそんな無茶をするわけにもいかない。


 落ち着いて体勢を立て直し、向こうからの追撃を警戒しておくことも忘れない。

 そうしていると、轟轟と燃え盛っていた炎はその熱を分散させていき、その奥で何事もなかったかのように佇んでいる師匠の姿があった。


「また随分と早くなったね。…でも、私に攻撃を当てるには少し足りないかなー?」

「できれば今ので仕留めたかったんですけどね……というか、なんで近接戦にまで普通に対応できてるんですか」

「そこは経験の差だよ。魔法使いたるもの、間合いに踏み込まれた場合の弱点だって克服しておくものだからね」

「そんなことできるのは師匠くらいのものだと思うんですけど……まぁ良いです」


 そんな軽口の応酬をしながらも緊張感は途切れさせず、常に意識は相手を観察しておくことは忘れない。

 …ほんとは最初の奇襲で一気に攻撃を当てたかったんだけど、やっぱりそう上手くはいかないな。



 俺の初手で発揮させた異常な加速。そして数十メートルの距離を一瞬で詰められるほどの瞬発力。

 あれこそが俺の三年間で磨き上げてきた魔法の一端であり、その中でも愛用しているものの一つ。


 俺自身が適性を持っている水属性魔法とは異なる、無属性魔法の【身体強化】である。


 無属性魔法とは、適性を持たなければ扱えない属性魔法とは違い、属性を付与していない素の状態の魔力を扱って行使される魔法のことだ。

 その特性ゆえに、魔力さえ有していれば誰でも扱うことができるのだが……その代償とでも言うのか、得られる効果が微妙なものが多かったり、絶大な効果を持っていても扱うために莫大な魔力が要求されたりなど、性能がピーキーなものが数を占めている。


 例えば、俺が今挙げた【身体強化】。

 これは本来、己の体の外側に無属性の魔力を纏わせることで全身の身体能力を底上げさせるという魔法なのだが、その強化倍率としては多くても二割増しといったところであり、便利ではあるがそこまで有用なものでもない。


 しかし、ここで一つおかしなことがある。

 俺が先ほど行使した【身体強化】は明らかに二割増しなんて次元のものではなく、確実にそれ以上の性能を有していた。

 その性能差をもたらしているのは、師匠と魔法の扱い方について議論を重ねているときに思いついたことだった。


 師匠から初めて【身体強化】について聞かされた時、俺はふとその内容に疑問を覚えた。

 なぜ肉体を強化するはずの魔法なのに、体の外に魔力を纏わせるのだろう、と。

 よくよく考えてみればおかしい話だ。


 体を強化するのならば絶対に内側に魔力を向けた方が効率だっていいだろうし、発動過程だってそうなるのが自然なはずだ。

 なのに、実際はそうなっておらず外側に魔力を向けた方法が世の中に広まっている。


 この疑問を師匠にぶつけてみると、彼女は『…確かに、そっちの方が自然だね。何で今まで思いつかなかったんだろう』とつぶやいていた。

 …おそらく、今まで師匠やそれ以外の者達がこの考えに行きつかなかったのは、それが至極当たり前のこととして認識されていたからだろう。

 どれだけ魔法に精通していたとしても、既に常識として凝り固まっていた知識に対して疑問を抱くというのは簡単なことではない。


 俺がこの疑問を投げかけられたのも、まだ魔法という概念に触れて年月が浅かったから。それに加えて、前世の記憶を保持していたことも大きかったのだろう。


 いずれにせよ、そんなところから着想を得た俺はものは試しにと魔力を外側に纏わせるのではなく、内部に浸透させていくようなイメージで使用してみたところ……屋敷の壁をぶち抜きかけた。

 想像をはるかに超える効果をもたらした【身体強化】によって加速された身体能力。体感としてはおよそ三倍といったところであり、しかもこれでさえ全力ではない。そんなところで油断していた俺は、もう少しのところで壁にぶつかりかけたのだ。

 ぶつかる直前にとっさの判断で上に向かってジャンプしていなければ、間違いなく大惨事となっていただろう。


 …しかし、そんなアクシデントこそあったものの、【身体強化】の性能を確かめることはできたし……同時に、なぜこの方法を誰も実践していないのかもわかった。


 この肉体の内部に魔力を浸透させるというやり方、非常に精緻な魔力操作技術が要求されるんだ。

 というか、それは当然のことだ。

 普通ならば人体には存在しない、魔力というものを無理やり組み込もうとしているのだから、ある程度の抵抗があるのは容易に考えられることだった。


 既に師匠を超える技量を持っている俺ですら「少し難しい」と感じるレベルのことだった、と言えばその難度の高さも伝わるだろうか。

 そして、この【身体強化】にはもう一つ欠点があるのだ。


 この魔法はあくまで肉体の性能を底上げするものであり、俺自身の知覚能力まで向上してはくれない。

 つまり、上がりすぎた身体能力に対して俺の反応速度がついていけなくなってしまったんだ。


 だが、これも同じ魔法の手によって解決することができた。

 同じ無属性魔法に分類されている【視力強化】や【思考加速】といった、感覚器官に関係するものを【身体強化】と同レベルで併用することによって、何とか反応速度も通常時と同じ感覚まで落とし込むことが可能になった。


 …まぁ、その分さらに魔力操作の技術で要求されるレベルが高まってしまったが、それも俺ならばなんとかできる範疇だ。


 しかし、それだけの手間をかけてでも愛用しているくらいにはメリットも存在しているのだ。

 具体的な理屈なんかはまだはっきりとしていないが、【身体強化】なんかの己の体のみで自己完結している類の魔法は、他の体外に放出する属性魔法とは異なり魔力運用のコスパが非常に優れているのだ。

 保有魔力量が比較的少なめの俺としてはそれだけでも主戦力として扱うには十分すぎる理由であり、こうして訓練でも常用している。


 それと、この従来とは異なる【身体強化】は師匠も何とか使うことができた。

 だがそれは逆に言えば、師匠クラスの使い手でなければ実践できないということであり、他人にこのやり方を伝授したところで易々と扱うことはできないだろう。


 しかしまぁ、それはある意味好都合でもある。

 サンプルが【身体強化】とそれ以外にはわずかな魔法しかないので何とも言えないが、おそらく無属性魔法の効果は魔力の操作技術と直結している。


 その事実を無闇に広げれば、俺たちにとって望ましくない相手にまでこの情報を与えてしまうことになり、せっかく手にできた俺たちの優位性を崩すことにつながってしまう。

 ゆえに、この事実は俺たち以外には明かさないこととして、信頼できる相手にだけ話すことにした。


 師匠もその提案に同意してくれたし、今ではこの情報を知るのは俺と師匠の二人だけだ。


 それ以降、俺は水属性魔法と並行して無属性魔法も鍛えており、それに合わせるように戦闘スタイルも接近戦を主としたものに変わっていった。

 近接戦闘の得物に短剣を選んだ理由としては、あまり重量のあるものを手にするとせっかく手に入れた俊敏さを低下させることになり、それは避けたいところだったので比較的軽量で小回りの利く短剣の技量を磨くことにしたのだ。


 そんな努力の甲斐もあって、今では近接戦の立ち回りも理解できるようになってきたし、着々と実力は増していっていると実感できる。

 …だが、そうした俺の努力を嘲笑うかのように上回ってくるのが師匠なんだけどさ。ほんと、何者なんだろうねあの人。


 そんな思考にしばしの間耽っていたが、今はあいにく模擬戦の最中だ。

 今日こそ一撃入れてやると意気込んで臨んだ試合なのだから、今はそれに集中するとしよう。




 …ちなみに、その後の模擬戦は普通に俺がボロボロにされて負けて終わった。

 少しずつ向こうの攻撃もさばけるようにはなってきてるけど、まだまだあの高みに手をかけるためには道のりが遠いようだ。

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